ACECOMBATSISTER

shattered prinsess

エースコンバットシスター シャッタードプリンセス



















ミッション15b 東日本最後の賭け〜TheLastGamble〜



 北の暴風作戦第二日目 3月12日午前7時25分 沖縄

「朝っぱらから暑いわね・・・」
 今日何度目かの愚痴を零して咲耶は空を見上げた。
 太陽はとうの昔に空高く上っていた。雲量0。抜けるように青い空だった。
 ちりちりと日の光が肌を焼く。絶えられず振り払うけれど、それで払えるようなものでもない。諦めて焼かれるままにしていると、さっと潮の匂いのする風が頬を冷やしてくれる。首筋を撫でる風が心地よい。
 陽炎こそ立たないものの、3月の沖縄はもう海水浴ができた。学校の始まる前なので、今ぐらいが観光でにぎわう季節だった。
 けれど、今年のビーチはどこも閑散としている。泳いでいるのは地元の人ばかりだった。戦時下で食料も乏しいのに、沖縄の人たちは底抜けに明るい。本州出身の兵隊がみな塞ぎ込んで、自粛だのなんだのと自分を縛ってしまうのを見ていると、ここが昔琉球という別の国だったことがよく分る。この戦争が終わったら、沖縄に腰を落ち着けるのも悪くないかもしれない。
「お待たせ〜」
「もう、15分遅刻よ」
 ちょっとキツメだっただろうか?と、言ってみて少しばかり後悔。けれど、15分も待たされたのだからこれくらい言ってもいいはずだと思う。
 けれど、肩で息をしている衛ちゃんはお気に召さなかったらしい。
「15分くらい遅刻の内に入らないよ!さくねぇは横暴だよ!」
「1分だろうと、2分だろうと、ちょっとでも立派な遅刻よ。まったく、最近弛んでるんだから」
「それはさくねぇのお腹でしょ?」
 どれだけ食べても太らないという特異体質の衛ちゃん。私はノーマルなボディだった。食べて、それを使わなければ、体重計は恐ろしい数字をたたき出す。
「今、あなたはとても軽率なことを言ったわ」
「な、何かなっ!?」
 手を伸ばして掴んだ衛ちゃんの頭を強く握ってみた。
「最近、筋力トレーニングを積んでるんだけど・・・林檎を握りつぶせるようになったって言ったら衛ちゃんは信じてくれかしら?」
「何気に恐いよ・・・さくねぇ」
「悪いが、そろそろ話してをしてもいいかね?それとただでさえ沖縄は暑いのだ。痴話喧嘩はどこか別の場所でしてほしい」
 と、どこからか生気の欠ける声が聞こえてきた。
 振り返ると、そこには白衣姿の銀髪にまでなった髪の毛を風に揺らすお爺さんが立っている。背はひょろりと長くて、顔色はいつだって土気色だった。皺は深くて、表情が読めない。一体何時寝ているのか分らないくらい働いていて、日本経済はこういう人たちに支えられているのだろうと実感する。
「ああ、ごめんね博士。決して無視したわけじゃないのよ」
「いいさ、影が薄いのは昔からだ」
 歩きながら話そうと、カッコイイことを言って博士は歩きだした。
 割と長身である博士の歩幅は広い。けれど、妙にテンポが遅いので、普通に歩いていてもついていける。
「たった1ヶ月か・・・あのじゃじゃ馬をこれほどの短期間で飼い慣らしたあんたはやっぱり天才なんだろうな・・・」
 どこか遠くを見るようにして博士は言った。日の光を受けて、きらりと胸のプレートが光る。北崎重工航空宇宙技術開発部主任とそのプレートにあった。博士は今年で79歳。定年退職制度は博士だけは例外らしい。
「私はちょっと他の人より器用なだけよ。そんな大層なものじゃないわ」
「天才は皆、そう言うんだ。メビウス1」
「だから、そんなんじゃないってば」
 けれど、博士は私の抗議を聞こうともしなかった。ただ、じっと前だけ見て歩いていく。清潔とはいえない博士はちょっと近寄りがたい匂いがする。けれど、今日の博士はそれとは全く別の意味で近寄りがたかった。
 それはまるで見えない壁が空間を切り取ったような、ターボファンの轟音さえも透過させない透明な壁が博士の背中にちらついて見えるようだった。
 私は何も言えず、こんなとき何か面白いことを話して場を和ませてくれる衛ちゃんさえも沈黙したまま、私達は焼けたコンクリートの上を歩いた。
 傍らの滑走路をF−2がターボファンの轟音を響かせて駆け抜けていく。離陸、ややふらついた。そのまま急上昇して青空へと消える。翼と戯れていた風が髪を弄んだ。
 そして、古びた大型ブンカーに辿りつく。半世紀前に帝国海軍によって作られた古いブンカーはそこだけまるで時間を停止したかのように、基地の片隅にひっそりと佇んでいた。
 それはまるで古びた写真に閉じ込められた時間のように、ここに立てば空の色さえ色あせような錯覚を覚える。ただ、吹き寄せる風だけが、酷く、暑い。
 このブンカーからは、戦空で浴びる風と同じ風が吹き寄せる。死神の吐息の混じった風。アドレナリンと汗と涙と悲鳴が混ざった、錆びた干草のような香りのする風だ。
その風の匂いは骨身に染みて、拭いても、洗ってもとれない。
 装甲シャッターが電動モーターの力で巻き上げられる。きちんと保守点検を受けた半世紀前のモーターは独特の唸りを上げて1トンもするシャッターを巻き上げる。
「あの戦争の終わった日、絶望して見上げた空はこんなだったな・・・」
 空を見上げて博士は言う。
 空は晴れていた。目がつぶれそうになるほど、空は青かった。その色は切なく、悲しい。
 空の青さは海から染み出したものだと誰かが言ったけれど、この空に限っては違うと思った。この青さは・・・人の悲しみから染み出した青だ。
「どこで終戦を迎えられたのですか・・・」
 丁寧に、控えめに衛ちゃんが尋ねる。
「福井だ。福井の山奥だった。地下工場で特攻機を作っていた」
 遠い過去を見つける博士の瞳はこの空の青さを湛えていた。
「悲しかったよ・・・自分のやってきたことがまるで無意味と知らされた時は」
「決して、無意味なんかじゃないわ」
「いいや、違う!戦争に負けるということはそういうことだ!」
 博士は怒鳴った。感情に任せて怒鳴った。けれど、不思議と嫌な気持ちにはならない。きっと、その背中があまりに哀しげだったからだろう。
 風が舞った。
 乾いているのに、凍えそうになるほど冷たい風だった。
「地下工場で特攻機が完成するとすぐにカタパルトに乗せられて飛んでいった・・・何機も飛んでいったよ。最後にはパイロットがいなくなって、工員が乗って飛んでいった。次は私が飛ぶ番だった。だが、その前に戦争は終わってしまった・・・私は飛べなかった」
 まるで懺悔をするように博士は言葉を重ねる。
「それで、飛行機を作ろうとしたんですね」
 衛ちゃんが後を受ける。
「そうだ・・私は・・・私が乗る棺桶を作りたかったんだな。変だな・・この話は妻にも話していないのに、どうして私はお前さん達に話しているのだろう・・・」
 私には分らなかった。
 博士には家族がちゃんといる。私みたいに兄妹で殺しあうような家族とは違う、普通の平凡な、けれど幸せを感じさせてくれる家族がいる。おばあちゃんにも会った。世話好きで、可愛らしいおばあちゃんだった。けれど、きっとこの話を聞いても正面から受け止めているだけの強さも持っていると思う。しかし、博士は私達だけに話してくれた。
その意味は分らないけれど、大切なことだと思う。けれど、そこから先へ踏み出せない。何か言葉があるはずなのに、見つけられない。
「それは・・・私達に何か、伝えたいことがあるからじゃないですか・・」
 私が上手く言葉にできないことを衛ちゃんは言ってくれた。
「そうだな・・・いや、そうなのだろう。君は聡明だな」
 恥ずかしそうに衛ちゃんは頬から耳まで真っ赤にした。
 聡明。これ以上衛ちゃんを端的に表す言葉は見つからない。
「頼む・・・メビウス1。一日でも早く、この戦争を終わらせてくれ。このとおりだ」
 そう言って深々と頭を下げる博士。
「ちょっと、止めてよ。私はただの戦闘機パイロットよ」
 それは私にとって、太陽が東から昇るよりも確かな、自明の事柄だった。
 誰もが私を英雄だとか、天才だとか呼ぶ。けれど、それは結果としてそうなっているだけだった。ただ少し運が良くて偶然そうなっているだけで、もし少し運命とかいう奴が違ってたら、ここにいるのは私ではなかっただろう。
 メビウス1という名前だけが一人歩きしていて、咲耶という人間はまるでそれに追いついていなかった。咲耶という女の子は、生き別れた兄と再会する為に戦争に身を投じるなんていう、ちょっと頭の軽い普通の女の子なのだ。
 けれど博士は、それは違うと言った。
「そう思っているのは・・もう、お前さんだけだ」
「―――」
「この戦闘機は・・言うならば私の娘みたいなものだ。自分の娘が殺し殺されるのを見るのは忍びない。だが、これは戦闘機だ。戦わなければならない。殺さなければならない。そして、死ななければならない。戦争だからな、仕方がない」
 だが、それで割り切れるものではない、と博士は言う。
 古いブンカーの中には一機の戦闘機。ライトグレーと白を組み合わせた、それはF−15Jと同じ配色だったけれど、それ以外は全て異なる。
 可変前進翼戦闘機、X−02。
 機体はイーグルよりも1回り大きい。機首から主翼までは大きなストレーキがつけられていて、フランカーによく似ている。今は折り畳まれているので主翼形状もフランカーのそれと瓜二つだ。全てが滑らかに流麗に纏められている。特徴といえば、尾翼がないことだろう。補助翼は可変式で、尾翼と補助翼を兼ねている。
 この上なく綺麗な戦闘機だった。これが空を飛ぶなど信じられないくらいに。優雅で、鋭く、どこまでも力強い。
「・・・分った。努力してみるわ」
 じっと、頭を下げる博士に根負けした。
「本当かね!」
「でも、あんまり期待しないでね。ほんとに私はただの一パイロットなんだから」
 けれど博士はそれでもいいと、嬉しそうに笑った。
 そういえば、博士とつきっきりでX−02の調整に明け暮れて1ッ月経つというのに、博士の笑ったのを見るのはこれが初めてだった。
 気難しい、というのは眉に刻まれた深い皺で直にわかったけれど、こんな風に笑うこともできたのだ。
「・・その代わりってわけじゃないけどさ」
「何だ?」
 たちまち博士の顔はいつもの仏頂面に戻った。
「できれば、この子に名前をつけてあげたいんだけど」
 私はまだ名前のない生まれたばかりの戦闘機を見上げた。
 私の戦闘データを全て叩き込んだこの幼鳥は、幼鳥でありながら私の全ての機動にぴたりとついて来る。それは操縦するという感覚からは程遠い、ただ大地を踏みしめて歩くのと同じくらいの感覚で私をソラへと誘う。
 空を飛ぶスーパーコンピューターとも言うべきX−02はパイロットの飛行データを膨大なメモリーに記憶し、最適なフライトコントロールを可能にする。
 きっと、実戦を経験すればさらに成長するだろう。
 だからパーソナルネームは大切にしたいと思う。この子はもはや空を飛ぶための道具なんかじゃない。果てしない成長の果てに何が生まれるかは、誰にも分らない。まさにパンドラの箱。だから絶対に名前が必要だった。
 いつか、自分の進むべき道が分らなくなったとき、自分の名前を振りかえることができたのなら、それが新しい疾走を生む道標になると思うから。
「何を言っている?こいつには轟天号というしっかりとした名前があるではないか?」
「いや、それはそうなんだけど・・・」
 はっきりと、ダサいと言うわけにはいかない。
 もしもそんなことをすれば、博士は意地でも仮称『轟天号』を公式名称にしてしまうに違いない。それは絶対に阻止しなければならなかった。チロルでも、プックルでもいいけれど、ゲレゲレは絶対にダメなのだ。それと同じことである。絶対に受け入れられない。これは生理的な反応と言っていい。
「ふむ、まぁ・・いいか。何か良い名前があるなら言ってみなさい」
「じゃあ、シルフィードなんてどうかなっ!」
 勢い込んで衛ちゃんが言う。昨日一晩かかって考えた名前だった。ちなみに私が考えた名前は『雪風』だったけれど、何故か衛ちゃんがすさまじく反対するのでボツになった。
 良い名前だと思うんだけど・・・
「シルフィードか、ちと女々しいが・・・疾風か・・・悪くはないな」
 そう言って博士はポケットからマジックペンを取り出して、タラップに腰掛けた。さらさらとコクピットの縁に小さく、上品に『疾風/Silpheed』。
「さあ、行け。そして、この戦争を終わらせてくれ」
「ありがとう・・・がんばるわ」
 当ての無い約束をして、私はタラップを駆け上る。
 かんかんかん、と軽快な音が格納庫に響く。
 耐Gスーツのホースをシート脇の接続口にセット。装着しているハーネスをパラシュートのハーネスに接続、シートベルトで体を固定する。体が溶けて、愛機と自分が一体になるほどに。
 ヘルメットのバイザーを下ろす。微かな駆動音、HMDシステムが作動する。
 JFSのスイッチを押す。手馴れた動作、目を瞑っていても何がどこかにあるか分るほどに体に染み付いた動作。鈍い震動が伝わってJFSが始動したことが分る。動作は正常。電源ケーブルが離れていく。
 エンジンが自動で回り始める。JFSとは比べものにならない高周波音。スロットルをアイドルへ、JFSはカット。前輪が僅かに回る、オートブレーキが作動。
 プリタクシーチェック。ヘッドセットをつけた整備員と連絡を取りながら素早く動翼の点検を済ませる。続いてGPS航法装置、慣性基準装置のアライメント。レーダー、統合電子戦システムのチェック。全てはセントラルコンピューターからチェック用プログラムを走らせるだけで事足りる。シルフォードの戦闘、飛行能力は全てセントラルコンピューターによって制御されていた。そして、その電子演算能力は人間よりも遥かに速く、精密だった。けれど、人間の直感ほど正確ではない。故にこうして人間が直接チェックしなければならない。
 シルフィードはタキシング。ランウェイに向けて歩を進める。
 視界を、空と海と灰色の滑走路だけが埋めていく。
 海はエメラルドグリーン、空はコバルト。海と空の境界線は微かに丸みを帯びて、打ち寄せる波は光を反射して、それはまるでプラチナの葉が風に踊るように見えた。
 この風景に既視感を覚えた。
 2年前、がちがちに緊張しきってF4ファントムに跨ったあの日を思い出す。あの日も、こんな綺麗な海を見て心が落ち着いた。
「いろんなことがあったね・・」
「うん、あったね」
 本当にいろんなことがあったこの2年。私は取り巻く全てが変わった。いろんな出会いがあって、いろんな別れがあった。
 悲しいことも、嬉しいことも、楽しいことも、腹の立つことも、全てあった。空の色さえも変わった。変わってしまった。
 私は思いだす、この目が潰れそうになるほど青い空を。この空はあの暑い夏の日に見た空だ。お兄様に会いたくて、会えなくなったあの日の空はこんな色をしていた。
 宝石のように輝くあの懐かしい日々を忘れることはできない。けれど、私の生きる場所はそこにはなかった。それは思い出で、フィルムに封じ込められた過去の映像だったのだ。過去から流れ着いた思慕も、私が自分から断ち切った。ストーンヘンジの支配する空で、私はお兄様の恋人を殺した。そして、お兄様は私を殺すと言った。
 悲しいことが多すぎた。嘆きがあまりにも多すぎた。
 もう、嘆きはいらない。
 決着をつけようと思う。
 これ以上悲しみで空を染めることがないように。その為の力も手に入れた。後は私の心の問題だった。
 私は叫べるだろうか、この空に。平和を願う私の意志を。
「ついたよ」
 衛ちゃんに言われて、私は慌ててブレーキを利かせた。
 いつもの滑走路。これまで何千と駆け上ってきた灰色の階段。陽炎が揺らめいていた。
 ラストワンチェック。ブレーキで制動しながらスロットルをスラストへ。ベテラン整備員の耳と目がエンジンに異常がないか最後の確認を行う。同時にIFFのテスト、異常なし。
 ミサイルセイフティピンが抜かれた。手をキャノピーの縁に置く。それが事故を防ぐもっとも有効な手段であるからだ。
 セイフティピンを手に持った整備長が大きく手を振った。通話ジャックが引き抜かれ、整備員が一斉に離れていく。
 管制塔とコンタクトをとり、クリアランスを受ける。離陸許可は直に下りた。
 視界の外れで整備員のみんなが手を振っている。それに軽く手を上げて返す。
 滑走路は空だった。ソラへと続く灰色の階段。
 始まりはいつもここで、そして同時に終着駅でもある。
 スロットルを押し込む、出力75%。ブレーキは全開。計器の視線を落としてエンジンに異常がないことを確かめる。FTIT、RPM、NZ、全て正常。
「行こう・・・みんなが待っている」
 クリア・フォー、テイク・オフ。
 ブレーキ解除。出力ミルをほんの少し押し込んだ。機体が加速する。軽いバックプレッシャー。間をおかずにアフターバーナー点火。
 僅かなタイムラグ。シートに体が押し付けられた。爆発的な加速。DEEC制御された2基のIHI−X02Aターボファンの咆哮。
 軽く操縦桿を引いた。直に機首が持ち上がる。戦闘上昇、衝撃波とコントレールを残してシルフィードは空へと駆け上る。
 残ったのは、遠い、犬の哭くような高いタービンの残響。あまりにも寂しげで今にも泣き出してしまいそうな声。
 灰色の階段を駆け上り、あの人の待つ・・・あの日のソラへ。
 地上で見送る人々はいつまでも疾風の消えた空を見上げていた。







 北の暴風作戦第二日目 3月12日午前7時55分 高山


 停戦・休戦を申し出る万国共通の合図、白旗を掲げて、ドイツからの来訪者はやってきた。将校と、その下士官が一人ずつ。将校は深緑色のコートを羽織り、空っぽの袖を雪風に煽らせていた。下士官は明らかに護衛で、屈強そのものといったところだった。
 戦車で乗り付けてきた軍使は数百と向けられた銃口を気にもせず、陣地に向かって歩いてくる。それはまるでちょっと散歩に出歩いた旅行者のような、そんな雰囲気さえあった。
 もっとも、その余裕は当然とも言える。東日本軍の重囲下にある高山に向けられた砲門は軽く3桁を超えるのだから、消耗しつくした高山守備の第28歩兵師団が何百ライフルの銃口を揃えても、恐れるべき要素は存在しない。少なくとも、彼らの心の内には。
 反対に、恐るべき敵に囲まれた花穂少佐にとって、ドイツからの来訪者は見ることも聞くことも悪夢のような、地獄からの使者そのものであった。
 そんな相手と、これから交渉に赴こうとしている自分に、エールを贈りたい。
「酷い話だよ・・・」
 頭のなかで長ランを着た自分が贈るエールを聞いていると、そんな言葉が出てきた。
 一体、これから何が起きるのか、さっぱり分らない。いや、一つだけ分ることがある。きっと碌でもないことになるに違いない。
「まったくですな」
 隣を歩く先任下士官は首を捻って言った。
 もう一度花穂は軍使の様子を盗み見る。
 護衛は微動だにせず、姫に付き従う従者のようにかしこまって将校の後についてくる。そして姫は、周囲に散乱する死体や、持ち主の分らない手足など、まるで庭園の草花を楽しむかのように視線を左右に振り、微かな微笑を浮かべていた。
「冗談だろう・・・」
 相次ぐ指揮官戦死、師団司令部が戦車で蹂躙されるという信じがたい事態によって、着の身着のまま包囲網を脱出してきた花穂は第28歩兵師団の指揮権を継承していた。
 つまり、
「でも、交渉するのは花穂しかいないんだよね」
「心中お察ししますよ」
 花穂と共に命からがら包囲網を脱出してきた先任は凍傷になった頬を歪めて笑った。
 偶然、実家が高山だった先任がいなければ、今頃は飛騨山中で遭難、凍死していただろう。事実、一緒に脱出した兵の多くが道に迷い、そして今もきっと迷っている。運がよければ東日本軍に投降することもできるだろうが、それは経験として不可能に近いと知っていた。
 吹きすさぶ雪と唸る風のつくりだす白のカーテン、ホワイトアウト。それはもはや脱出不可能の氷の迷宮だった。
 運が良かった。ただその一点だけで、花穂はここに立っていた。
 吹きすさぶ風が横殴りに雪を顔に張り付かせる。歩みを止めた。間合いはおよそ3メートル、会話するには少し遠い。
 階級章を見て慌てて先に敬礼をする。相手は大佐だった。向うもきっちりと、そのまま見本として剥製にして飾っておきたくなるような返礼を返してくる。
 まずは自己紹介、氏名と階級を交換する。大佐の名前は聞き覚えがあった。ドイツ義勇旅団の実質的な指揮権を握る戦車戦の名手、春歌大佐。
「まずは、個人的な意見を申し上げますわ」
 間髪いれず、春歌大佐は切り出した。
 ちょっと驚いた。名前を聞いたときから分っていたけれど、やはりそれは本物の、流暢な日本語だった。
 花穂の表情に気付いて、大佐は微笑んだ。
「母が日本人なのです。父がベルリン大学の講師で、留学生だった母に一目ぼれだったそうですわ」
「そうなんですか・・・ええっと、花穂の両親はお見合い結婚だったんですよ」
「・・・そうなのですか・・・」
 返答に困る、とその顔には描いてあった。
 自分も、何故こんなことを口走ったのか、よく分らない。分ることが一つあるとすれば、自分はどうしようもない間抜けということだけだろう。盗み見た先任の顔はこらえ切れない笑気に歪みに歪んでいた。
「・・・それはともかくとして、ジュネーブ条約に従われてはいかが?」
「あれ?国際運転免許証なんて持っていないよ?」
「いえ・・・」
 眉間を押さえて眉を顰めて大佐は言う。
 頭痛がするのだろうか?あいにく頭痛薬は持っていなかった。
「そういうことではなくてですね。降伏についてです」
 理性が辛うじて怒気に勝ったような、そんな顔をして大佐は言った。ちょっとした冗談のつもりだったのに、根は真面目な人らしい。
 花穂はどうだろうか?――――あまり真面目とは言い難い。少なくとも軍隊に進んで入るような人間は真面目ではないと思う。
「それは・・・決意のいる問題ですね。春歌大佐」
「そのとおりですわ。花穂少佐」
 笑いもせずに、春歌大佐は言った。
「私は個人として、貴官以下、第28歩兵師団の奮戦に深い感銘を受けているの。可能ならば、助命を図り、その武勇を賞したいと思っているのです」
「ありがとうございます。それは身に余るお言葉です・・・」
 実際、それは魅力的な提案だった。
 高山に篭った戦力は僅か1個連隊強。稼動戦車は5両、僅かに榴弾砲が12門と対戦車ミサイル7基が手持ちの火力の全てだった。最新の情報では敵は2個師団と1個旅団。戦力差は考えるだけでもバカバカしいけれど、一応1対27と見積もられていた。さらにこれは戦闘可能な軽傷者も含めての数であり、同時にモラルブレイクした敗残兵も含めての数字なのだから、実際の戦力差は係数的に増大する。
 戦うだけ無意味であり、奇跡すら無為な現実がコートの袖をはためかせて、そこに起立していた。
 春歌大佐は薄く哂う。まるで、こちらの心を読んだかのように。
 それを見たら、なんだか腹が立ってきた。
 こういう感覚は随分前にも経験したことがあった。例えば、大学卒業と同時にお見合い写真を持ってきた親戚とか、勝手に結婚式を強行した両親とか、そういう自分の意思をまるで無視した人々に対する怒りだ。
 あの時はウェディングドレスを着て結婚式にでるフリをして、国防陸軍徴募事務所に駆け込んだ。思い出すと今でも気分が爽快になる。
 何か、かすり傷でもいいから反撃しないと、とても収まらない。ここにある自分の意思を無視する傲慢に、鉄槌を下してやらないと悔やんでも悔やみきれない。
 浅くなっていた呼吸を整えて、精一杯の顔を作る。演技力には自信がないけれど、しかし諧謔に必要なのは演技力でもない。
「しかし貴官は誤解されているようだね。春歌大佐」
「なにについてでしょうか、花穂少佐」
「いや、それとも花穂が間違えているだけなのかな?」
 花穂はニヤリを笑った。きちんと笑えたかは自信がなかった。
「花穂は今の今まで東日本軍の降伏について話し合っているものだとばかり思い込んでいたよ。どう断ろうかとも。見ての通り、花穂たちが守る高山には東日本軍全軍の降兵を受け入れられる広さはないからね」
 春歌大佐は何かを喉に詰まらせたような、酸素不足の金魚のように口をパクパクさせた。浮かぶ感情もなく、しきりに首をかしげた。その次に絶句がやってきた。きっと言葉の内容を理解したのだろう。そして赫怒がやってきて、ハンカチが千切れ飛んだ。護衛の下士官が瘧をおこしたかのようにガタガタ震えた。そして最後にまた微笑を浮かべた。けれど、その微笑を笑みと受け取ることは難しい。果てしなく困難だった。
「ハンカチが落ちてますよ」
「あら、そう」
 泥で汚れた、千切れたハンカチを拾って渡した。春歌大佐は微笑みを浮かべたまま受け取った。そのまま泥を落としもせずに懐にしまう。
 ダメだった。完全に強さが固定された。もう、崩せない。
「もういいでしょう?」
 それは最後通告だった。
「実際、貴官はよくやっているわ。もしも私の幕下にあったのなら、騎士十字章の手配をしていますわ。あなたは知らないかもしれないけれど、昨日の市街突入で損失したティーゲルVは世界で初めて戦闘による損失車なの」
「それは名誉なことですね」
 それは自分の発案によるある種の奇襲作戦だった。といっても元ネタはちゃんとある。パレスチナゲリラが爆薬でメルカヴァ戦車を吹き飛ばしたように、対戦車地雷を3重に埋設してリモコン爆破したのだった。
 効果は絶大で、一撃で砲塔が吹き飛んだ。もっとも、成功したのは一度だけで、その後は工兵の援護下で戦車が活動するようになったので、全て不発に終わった。
 けれど、その敵の行動を制限する効果はあったと言える。それ故に昨日の市街突入は阻止され、辛うじて第28歩兵師団は高山の防衛を固めることができていた。
「だから、もう十分でしょう?」
 春歌大佐は微笑を絶やさない。それは静かに響く言葉だった。けれど、怒鳴られたわけでもないのに、身を縮めてしまいそうになった。
「貴官の特殊な諧謔趣味に付き合っている暇はないの。YESかNOか、どちらか一つを選ばせてさしあげますわ」
 虜囚か、それとも殲滅か。
 春歌大佐はもはや強者の傲慢を隠そうとしない。握り締めた拳が痛かった。
 自分はどうするべきなのか。殲滅戦になっても高山を保持するべきなのか。連合軍総司令部は高山の固守を命じていた。救援も向かってきている。問題はそれが間に合うか、否か。いや、違う、それ以前に!この目の前に立つ絶対的とさえいえる強者に、立ち向かう意思はあるのだろうか。
 力が欲しかった。否定の言葉を口にする意思はある。けれど、意思を支える力が足りない。
 空を見上げた。
 灰色のダストシュートから、白い紙屑が尽きることなく舞い降りる。それは何もかも平等に降り注いで、懸命に世界を扁平に変えようとしていた。
 目を凝らして雲間を探す。
「神様にお祈りかしら?」
「違うよ・・・約束したんだ・・・必ず助けに行くって、咲耶ちゃんは約束したんだ。メビウス1が約束を破ったことは今まで一度も無いんだ」
 いつだって、そして今度も、彼女は必ず空から舞い降りる。それは神の存在よりも自明のことで、絶対という言葉を一段下に置くほど確かなことだった。





「高度警報、高度警報」
 音声警告式電波高度計が作動する。
 合成された若い女性の声が機体の高度が下がりすぎていること彼に教える。舌打ちして、彼は操縦桿を引く。
 反応は鈍い。サイドワインダー2発とターゲッティング・ポッドという軽装備にも関わらず、OA−10サンダーボルトUは飛行機としては鈍重な部類に入る。
 それでも苦労してイボイノシシは機首を上げ、上昇軌道に入る。だが、体感的にそれは理解できるが、本当に上昇しているのかどうか、パイロットには分らなかった。
 ただ、不気味とさえ言っていい合成の女の声が消えたことで、機体が安全な高度まで上昇したことが分る。何度聞いてもこの合成音だけは慣れることができない。或は、こういう気持ち悪い音にすることでパイロットに注意を呼びかける意図があるのかもしれないが、やはり気分の良いものではない。
 分厚い防弾ガラス越しに視界を覆う白い闇を見つめた。一寸先さえ見えない。全てが重い灰色の雲に覆い隠されて、何も見えなかった。
 高度3000。やっと雲の裂け目が見える。久しぶりの青空が目に痛い。晴れやかな青空。だが、気分は晴れなかった。
「くそったれめ!」
 地上からは矢のように航空支援の要請が来ている。だが低空を飛ぶことに慣れたFAC機でさえ、今の飛騨高地上空を飛ぶことは困難だった。
 迂闊に高度を下げれば、飛騨高地の山々と熱いキスを交わすことになる。そのことを嫌というほど昨日教えられた。授業料は一機数千万ドルの戦闘機とパイロットの命だ。とても割りにあうものではない。
 連合軍の航空戦力は進撃中の東日本装甲部隊を根こそぎ叩き潰すほどのレベルに達していたが、分厚い雲と吹雪に封印されては為す術がなかった。JDAMなどGPS誘導爆弾は天候に関係なく爆撃を行うことができたが、FACのコントロールがなく、近接戦の多い乱戦であることも手伝って、友軍部隊への誤爆が相次いだために今は中止されている。
「スカイクローバーよりFAC、マイティキャット。応答してくだサイ!」
「こちら、マイティキャット。どうした?」
 スカイクローバーというAWACSのオペレーターとは何度か一緒に仕事をしたことがあったので直に声で分った。
「突然レーダーから消えたら、心配するデスよ!」
 怒られた。珍しくスカイクローバーが怒鳴っている。よほど心配していたらしい。
 ここは素直に謝った方が得策だろう。
「すまない。そんなに高度が下がっていたとは思わなかった」
「・・・分ればいいのデスよ」
 む〜と彼女は唸る。
 お前は猫か?と言ってみたかったが、そうするとまた怒る気がしたので止めておいた。
「今度からはちゃんと断ってから高度を下げるんデスよ〜」
「ああ、分った。約束する」
 やはり、本物の女の声は良いものだ。それが美人なら尚更だ。あの電波高度計の音声警告音を合成した奴はきっとガールフレンドさえいないオタク野郎だろう。
「だが、このままだと地上の連中がヤバイぞ」
 既に前線は突破され、高山が包囲されていることも分っていた。降伏は時間の問題であるし、少しでも空爆で叩かなければ、このまま奴等は大阪まで突っ走るだろう。
「大丈夫です。咲耶姉チャマがきっとなんとかしてくれます」
「咲耶姉チャマ?ああ、メビウス1が来ているのか」
 メビウス1、その名前を聞くだけで胸が疼いた。バスタブ装甲の中まで染み込んで来る寒さの中でも、その名を聞けば何かしら暖かいものが心に広がるようだった。
 そうだ。この悪天候でも、彼女ならなんとかしてくれるに違いない。彼女のミッションに参加したことは数えるほどだったが、その手際ははっきりと覚えている。天才というものは、ああいう人間のことを指して言うのだろう。
「なんとかなりそうだ」
 安堵のため息を遮るように警告音。RWSがレーダー波を捉えて警告を発する。
 すぐさまIFFが識別電波を飛ばす。返信はブルー、友軍機。AWACSからの秘話送信。情報がアップデートされる。戦術状況表示機の端に友軍機のシンボルが現れる。
 機種はX−02、初めてみる形式だった。Xは試作ナンバーだから、ピカピカの最新鋭機だ。パーソナルネームはシルフィード。
「一応、挨拶でもしとくか」
 機首を回らせた。進路が並走するように軌道を修正する。
 振り返る。そろそろ見えるはずだった。青い空に薄ぼやけたシルウェットを見つける。それは瞬きする間に横にならび、そして追い抜かれた。間合いは3メートルもない。口笛を吹く。やはりただものではない。
 新型機の第一印象は平凡なものだ。どことなく東側のフランカーに似ている。カナードの装備や機首周りは特によく似ていた。だが、そこから先が少し違う。特に尾翼と補助翼が無いことが目を引いた。代わりに小翼がある。おそらく補助翼と尾翼を兼ねたものだろうが、どこか扁平な印象を与える。なんだか足を伸ばした烏賊みたいに見えた。
 強いて言えば、あまり格好はよろしくない。
「なんですって!」
 無線につんざく轟音を響いた。鼓膜が痛い。怒鳴らなくてもいいじゃないか、ヒス女はモテナイって知らないのだろうか?
「全部口に出ているわよ!」
メビウス1は機首上げ、大減速する。
「馬鹿!」
 巨大な主翼が迫る。操縦桿を引いた。けれど鈍重なA−10ではとても避けきれない。
 金属のひしゃげる轟音と暴風の侵入を予想して、反射的に瞼を閉じる。だが、どちらも幾ら待ってもやってこなかった。
 恐る恐る瞼を開ける。迫り来る巨大な主翼は陰も形もない。
「どこだ・・・」
 これではまるで手品だ。消失ミステリー。
 不意に、コクピットに影が差す。
 釣られて見上げた。そこにはまるで逆立ちするように飛ぶ一機の戦闘機。
 それは飛んでいた。何の疑いの余地もなく、その飛行機はほとんど垂直に機首を下げているのに、きちんと飛んでいる。お蔭でコクピットのメビウス1が拳を振り上げているのがよく見える。いや、それを見せるためにこんな飛び方をしているのかもしれない。
 オーソドックスな主翼は今や羽を広げた孔雀のように開かれて、翼端からヴェイパーを引いていた。F−14のような可変翼、しかも前進翼だった。翼をしまい込んでいた時とは打って変わって、それは優雅に羽を広げて、全く別の戦闘機に見えた。
 そのまま滑るように降下。それは落下ではなく、見えないガラスの板を滑るような、そんな機動だった。倒立したまま背後に回りこむ。一拍置いて、再び背後から現れる。そのまま上昇して、折り返してコクピット目掛けて垂直に降下してくる。もちろん、機首は上向いたままだ。まるで毒蜂が獲物に針をつきたてるように降りてくる。
 俺をジェットウオッシュで焼き殺すつもりだ!
「待ってくれ。俺が悪かった!」
 心の底からの恐怖に襲われ、俺は叫んでいた。
 ぴたりと降下が止まる。ここからは2基のエンジンがよく見えた。それはせわしく蠢いていた。まるで生き物のように。さらに中途半端な位置についていた小翼も位置を変えている。ベクターノズルと可変尾翼、どちらも最新技術の結晶だった。
「私の愛機はカッコイイわよね?」
「ああ、カッコイイ。最高だ。こんな戦闘機見たことが無い!」
 前半はともかく、後半は紛れもない事実だった。
「も〜調子いいんだから」
 彼女はくすくすと笑った。
 心の底から安堵する。
「あんまりふざけちゃだめだよ。さくねぇ」
「はいはい」
 そう言うと、機首を倒して水平に戻る。
 その動作はまるで無造作だ。けれど俺は、飛行機が普通では絶対にそんな動きしない、いや、できないことを知っていた。
 極限すれば、飛行機の動きはエルロン・エレベーター・ラダーの動きで説明できる。基本はこの三つの操縦翼面であり、その組み合わせを超えて移動することはできない。
 できない、はずだ。
「レーダーにコンタクト、敵機デス。姉チャマ!」
「お出迎えってこと?」
 笑いながらメビウス1は言った。
 自信に満ち溢れた声、敵機などむしろ望むところといったところだ。
 TSDに表示される敵機は4機、機種は全てミグ29。珍しい、敵機など久しぶりに見る。しかも、隙のない編隊を見る限り敵はベテランだ。
「マイティキャットは下がって、それにスカイクローバーも。対AWACSミサイルを持ち込んでるかもしれないわ」
 メビウス1は加速。主翼を折り畳む。抵抗を減らしているのだろう。格闘戦はその逆である。
「たった1機で戦うのかよ!?」
「他に道はないからね」
 当然のことのように彼女は言う。そこに気負いとか、そんな余分な感情は感じ取れない。ただただ平然と、数学の定理を述べるような、そんなさりげなさだった。
 彼女が溶け込むように飛ぶ青空に白線が4本、敵機のコントレールだ。ダイブして接近、包み込むように迫る。
「メビウス1、エンゲージ」
 シルフィードはコントレールを引いて上昇、真っ向から迎え撃つ。
 見惚れてしまうような機動、妖精の闘いが始まった。




 

 敵機は降下しつつ高度の優位を嵩にして突っ込んでくる。
 いつもならくっきり見えるエンジンの排煙が見えない。だとすると、エンジンを換装したMig29Mとなる。電子兵装もエンジンパワーも段違いだ。強敵である。自重の重いシルフォードの格闘戦能力は博士が自慢するほどではない。
 レーダー警戒受信機は敵機のレーダー波を探知している。けれど、統合電子システムは対抗ジャミングを選択しない。ステルス性を持つシルフィードがECMを使うことは殆どなかった。よほど接近すれば別だけれども、しかしそれならIR誘導の短距離AAMの方が早い。敵機もそれが分っているのだろう、間合いを詰めてくる。
 けれど、それに付き合ってあげる義理はない。シルフには、乙女なりの戦い方がある。
「どうして見つかったんだろう?」
 それだけがこの状況の中で不可解なことだった。
「僕らはレーダーで見えなくてもFACはレーダーに映るから、そっちの線じゃないかな?」
「あ、なるほど・・・」
 疑問氷解。マスターアームON。即座にレスポンスが帰ってくる。
 先読みしたかのように、セントラルコンピューターはAAM−4国産中距離AAMをセレクト、多機能表示機の一つが兵装管理モードに切り替わる。液晶ディスプレイの中でAAM−4の文字が高速で点滅を繰り返す。それはまるでお菓子をねだるだだっこのようだった。
 軽い苦笑と共に、サイドスティックの兵装投下スイッチを押し込む。
 情報連結によりAWACSの索敵情報をMIL−STD−1553Bデジタル・データ・バス経由で入力、リング・レーザージャイロ慣性航法装置が起動する。ウェポンベイを解放、北崎重工業製LAU−142/Aトラピーズ式射出ランチャーは40G、毎秒15メートルで垂直射出。兵装庫扉の閉鎖まで2.9秒。90キロの大射程を実現したデュアル・スラスト・ロケットモーターは燃焼を開始、AAM−4はマッハ4で慣性飛行。シルフィードからの中間アップデートにより敵機に喰らいつく。
ミサイルは2発、全弾命中でも2機残る計算だった。
「7・6・5・4・3・・・」
 衛ちゃんの秒読みを聞き流しながら、J/APG−3アクティブ・フェイズドアレイ・レーダーをスタンバイ、すっかり手に馴染んだスロットルの兵装セレクトスイッチをIR誘導AAMへ入れる。
 その間にもミサイルは飛行を続けていた。ヘッド・マウント・ディスプレイに表示されるミサイル着弾予測残時間は残り5秒。アクティブレーダーシーカーが作動、電子の目が敵機を絡めとる。Mig29はECMを作動させる。AAM−4は対抗ECCM、レーダーシーカーの使用周波数をランダム変調する。同時に電波妨害源の逆探知、電動サーボ・アクチュエーターによる後翼操舵、敵機を捉えた。敵機は大G旋回、チャフを射出。AAM−4は高性能電子演算装置により電波反射から妨害成分を排除する。
 青空に白い飛行機雲が2つ現れる、敵機の回避機動。
「2・1・0、弾着」
 戦術状況表示機の液晶ディスプレイから敵機のシンボルマークが二つ消える。
 螺旋を描く飛行機雲の終末に、黒煙と炎を遠望した。
 生き残った2機が短距離ミサイルの射程に入る。敵機のそれも同じだ。
 高角度レーザー検知機が悲鳴をあげる。Mig29はIRST、レーザー測距機によるパッシブロック。ミサイル、発射。
 測距レーザー検知と同時にスタンバイ状態だったJ/APG−3アクティブ・フェイズドアレイ・レーダーを起動、電子の魔眼が貪欲に情報を収集する。
 TDB、戦術データベースはレーダーによる形状分析、J/ADIRST−02高度先進赤外線追尾装置によるロケットモーターの排気温度の検知、彼我の相対距離、位置、角度、飛翔体の速度、etcをベースにミサイルの種類を割り出す―――中短距離AAM、AA−11Archer。
 ミサイルは2発、着弾まで後9秒。
 セントラルコンピューターは即座にAAM−5高機動格闘戦ミサイルをセレクト。軽い電子音と共に発射準備が整う。
「メビウス1。フォックス2、フォックス2」
 サイドスティックの発射スイッチを押し込む。
 機体側面のウェポンサイドベイは排気ハッチをオープン、AAM−5はロケットモーターに点火。ディフレクターが高熱排気で機体が融解するのを防ぐ。火薬カートリッジのパワーでAAM−5は打ち出される。
 ミサイルはINS飛行。MIL−STD−1553Bデジタル・データ・バスにより中間アップデート、敵機へ向かう。
 シルフィードは直進、敵機をレーダーで捉え続ける。ミサイル着弾まで後3秒。
 灰色の雲海と暗い宇宙の間に横たわる青い空。微かに、ガラスを引っ掻いた後のような、ミサイルの航跡を見つける。
 タイミングを読んでサイドスティックに込めた力をコントロール。サイドスティックは圧力感応式、まるでそれはシナプス・ニューロン神経伝達のように、的確で、迅速で、脳理にイメージした機動を全て具現化する。
 セントラルコンピューターはスティックに分散された圧力感応素子の反応分布とデータベースの過去の分布パターンを照合、128通りの既知パターンを選出する。平行して戦闘状況判断機構は目標の脅威度から、64通りの回避機動を選出。相互評価により32通りの飛行パターンを選び出した。さらにスティックへのリアルタイムの追加入力により32通りから16通りへ、環境センサー群と操舵、エンジンコントロールを司るフライトコントロールシステムがハードウェア限界から評価を行い4通りのマニューバーを選出。セントラルコンピューターはこれを参考情報として、パイロットの飛行を予測、機体制御の最適化を行う。
 結果、跳ね飛ぶようにシルフィードはスライド。CCV、TCVによる強引な機動。シルフを設計したスパーコンピューターが検討すらしなかった飛行領域へシルフィードは飛び込み、アーチャーのシーカー走査範囲外へと逃れた。
 R−73はシルフィードをロスト、マッハ4以上の速度ですれ違う。ミサイルは自爆。
 HMDのミサイル着弾予測時刻は3秒を切る。AAM−5の多素子赤外線画像シーカーが目覚める時刻だった。
 アジマス・エレベーション・ロールによりシーカーは大角度、広域走査を実施。正面のMig29を捉える。得られた赤外線画像は簡単なSDポリゴンに置き換えられ、メモリーに焼き付けられる。
 ファルクラムは回避機動、同時にフレアーを射出。フレアーは高熱を発するだけの通常タイプと、赤外線を吸収する新型。赤外線の波長を混乱させ、ミサイルを欺瞞する。
 AAM−5の高速演算装置はフル稼働、シーカーが拾い上げた情報から妨害成分を排除、同時にそれを記録して、以後それらを全て無視する。ミサイルは敵機を追尾。
 ミサイルは比例航法により最適の追尾経路を採る。ベクターノズルにより推力を偏向、37Gをかけて旋回。ファルクラムを捉える。ファルクラムは再度フレアーを射出しつつ、降下。
 フレアーとグラウンドクラッターにより妨害成分が増加、けれどメモリーに焼き付けられた敵機の面影を魔弾の猟犬は忘れない。レーザー近接信管が作動。ミサイル、爆発。
 ファルクラムは機首を大地へ向け、二度と回復することのないスピンに入る。赤い炎が顔を覗かせ、ケロシンの燃える黒煙が青空を汚した。
 けれど、それを目で追う暇はない。
 シルフィードは大G旋回、すれ違う最後のMig29の背後へ回り込む。敵機も降下しつつ旋回、スパイラルダイブ。ヴェイパートレイルの螺旋を描いて絡み合う。ターボファンの雷鳴のような爆音が間断なく大気を打つ。
 シルフィードは主翼を最大展開、ヴェイパーの白い雲が羽毛のように主翼を覆う。シル布は小さく、速く、背後へ回りこむ。
 Mig29のパイロットは旋回による占位を放棄、スプリットSに切り替える。シルフィードはカナードをエアブレーキ代わりに使い減速しつつ追尾。敵機は引き起こし、降下して得た速度で高Gバレルロール。咲耶はそれに付き合わず、小さく被さるように旋回して背後を取る。
 HMDシステムによる視線誘導、敵機をキューイング。IRST、レーザー照準機は旋回。敵機をパッシブロック。電子音が単音から長音に代わる。機関砲の射程内。敵機はマッハ0.61、5Gで引き起こし中。上昇して離脱するつもりだろう。けれど、全ては遅すぎる。咲耶はトリガーを引く。ガン攻撃、01式20ミリ機関砲のバースト射撃。
 テレスコピック式プラスティック燃焼薬莢、無反動リボルバーカノンは秒速1050メートル、毎分1350発の鉄弾を弾きだす。曳航弾が瞼の裏に光の尾を引いて飛んでいく。目では捉えられない焼夷徹甲弾がファルクラムの主翼へと吸い込まれる。一撃で裁断。失われた翼を捜すかのように敵機はスピンへ入る。射出座席が作動、白いパラシュートの花が咲いた。
 シルフィードはパラシュートを避けて大きく旋回、進路を北東へと向ける。
「スプラッシュ、ダウン、バンディット」
 敵機撃墜、と宣言して大きく息を吐いた。
 気を抜くには早いけれど、ドッグファイトは負担が大きい。
 シルフィードのステルス能力はBVRからの闇討ち、不意打ちの為の能力であって、格闘戦など考慮の外だった。もちろん、可変前進翼とベクターノズルが生み出す格闘戦能力は比肩する存在がない。けれど、できればあまり格闘戦などやりたくない。
 私は正々堂々とした空の騎士よりも、できればBVRミサイルを山ほど積んだ暗殺者やスナイパーでありたいと思う。
「まだ気を抜いちゃダメだよ。これからが本番なんだから」
「うー分っているわよ・・・」
 MFDの一つをマップモードに切り替える。
 機体を軽くバンクさせて大きく右旋回、まもなく高山上空だった。コントレールの大きな円弧を青空に刻む。
 兵装管理システムに視線を落す。Mk82爆弾がウェポンベイに4発。ステルスの為とはいえ、ストライクイーグルの半分以下というのは寂しい。
 FCSは対地射爆モード。CCIP、命中点継続計算。
「レーダー、借りるね」
 レーダーが対地モードに切り替わる。後席も衛ちゃんがグラウンドマップを作り、ターゲッティング。爆撃目標を固定する。同時に山肌を縫う飛行経路を捜索、選択する。
「流石に、この天気で爆撃ってのは正気じゃないわね」
「だからこそ意味がある、そうでしょ?さくねぇ」
 誰もがさじを投げ出した分厚い雲の壁を見下ろす。
 うねりを持った雲のカーペットは地平線が出来るほど平坦で、果てしなく続いていた。世界には雲と青空と太陽しかない。それだけで十分だった。それだけで全てこの世界は完成されていた。それだけだったら、きっと世界は永遠に平和だったのだろう。
 では自分は何なのだろうか?この清浄な世界を侵す異分子なのだろうか?だったとしたらそれはとても悲しい。
 微かに響くエンジンのタービン音に問いかける。
 答えは返ってこない。
 ただ静かに遠吠えのようなタービン音を空に響かせるだけだった。翼を持つ者は、人間の感傷など関係ない言いたいのだろう。
 いつまでも見ていたい完璧な世界から目を逸らし、電波高度計の再セット。同時にFLIRを起動、HMDの表示が切り替わる。本当は夜間攻撃用だけれど、視界の効かない悪天候下でも威力を発揮する。
 赤外線で覗く世界は、蛍光ペンで描かれたようにぼやけて見えた。
 対空砲火はない。ステルス能力と雲の壁がシルフィードを護ってくれていた。
「OK,行こう。シルフォード」
 ハーフロール、背面降下。雲の海が迫る。
 





 北の暴風作戦第2日目 3月12日午前8時30分 高山

 頭上を駆け抜けていく巨大な機影と、それが引き連れてきた衝撃波に打たれて花穂は咄嗟に伏せたにも関わらず宙を舞っていた。
 叩きつけられる、鈍痛。目の中に飛んだ火花と口に広がる血の味、それに口に入ってしまった砂が壮絶なハーモニーを奏でて、意識が途切れそうになる。
 けれど、鼻につく硝煙の匂いが強引に意識を繋ぎとめる。
「あの戦闘機、ぶちころしますわ!」
 体を起こすと、春歌大佐は見せ付けるように旋回を続ける戦闘機に喚き散らしていた。落下した先が泥水の水溜りだったらしく、羽織っていたコートは水溜りの中に沈んでいる。硝煙にまみれた顔は凄絶な怒りを象っていた。護衛の下士官は、まだ意識が戻っていないのか、雪原に突っ伏している。
「先任、起きろ。死んだフリなんてしてる場合じゃないよ」
「死んだフリじゃなくて、死にそうなんですけどね・・・」
 死にそうな割には、立ち上がる動作は軽快だった。
 再び、頭上に雷鳴のような爆音が響く。
 手が届きそうなほどの低空を舞う巨大な戦闘機。白と灰色の塗装で、翼が大きく前進していた。こんな戦闘機はみたことがない。ただ、尾翼に描かれたメビウスリングだけは何度となく見てきた。
 あらゆる絶対的な危機を跳ね返してきた英雄、奇跡の存在、風の妖精、メビウス1。
 すぐさま、戦場の只中で挑発的な旋回を続けるメビウス1の愛機に対空砲火の火線が伸びる。SAMも、対応は早い。
 けれど、そんなことは100年も前から知っていたかのようにメビウス1は増速。垂直に近い角度で上昇して振り切った。
 メビウス1が投下したフレアが赤い光を放ちながら、雲間から落ちてくる。
 あまりにも唐突な登場で、退場。それは風のようで、手を伸ばしたところで決して届かない。
 けれど、確かに咲耶ちゃんは来てくれたのだ。約束は守られた。
 だったら、もう答えは決ったようなものだった。もはや何の迷いもない。
「ちょっと、どこへ行かれますか?」
 やっと平静を取り戻したのか、背中を打つ言葉は元の静けさを取り戻していた。数分前までだったら、その響きだけで身を竦ませていたかもしれない。
「これから作戦の検討とか、バリケード構築とか、いろいろ忙しいので、もう花穂は帰ります」
「それは降伏しないということですか?後悔しますわよ」
 あまりに陳腐な脅し文句に、自然と唇が曲がってしまった。
「この国防陸軍花穂少佐が最も好きな事のひとつは、自分で強いと思ってるやつに『NO』と断ってやる事なんです」
「―――!」
 絶句する春歌大佐を見るのは楽しかった。
「まぁ、公式には謝絶ということにしておいてください」
 そして、短いけれど興味深い時間を共に過ごしたドイツからの来訪者に背を向ける。
 まだ春歌大佐は何か怒鳴り散らしていたけれど、それは右の耳から入って左へと抜けていった。どうも彼女はやや血圧が高すぎる傾向があるようだった。
 言うことを言ったら、体が軽くなった。きっと心が軽いせいだろう。
「はっきり物をいうのは気持ちが良いね」
「付き合わされる身にもなってください。まぁ、スカッとしましたがね。けれど、どうしますか?やっこさんは怒り心頭ですよ」
「大丈夫だよ・・・あのドイツ軍は突破用戦力だから直に前線にいっちゃうから心配いらないし、戦車じゃ街は制圧できないからね」
 それでも歩兵2個師団ばかりは残るのだけれども。
「大丈夫。メビウス1の下にいれば絶対に生き残れるよ」
 ひさしぶりに花穂は笑った。
 友達の話をしているのだから、こんな楽しいことはない。
 そして、空を見上げた。
 まだ空は分厚い雲が立ち込めていて、綿毛のような雪がちらついている。けれど、メビウス1が昇っていた雲間から、確かに青い空が見えたような気がした。 
 今日はまだダメだろう。けれど明日は分らない。明後日ならきっと空は晴れるだろう。
 この戦争だって、明後日に終わるかもしれないのだ。
 諦める理由なんて、どこにもない。






 
 顛末

 北の暴風作戦第4日目、3月16日。悪天候の中部地方に晴れ間が覗き連合軍空軍は活動を再開した。
 既に攻勢が限界に達しつつあった東日本軍に対しては爆弾を、今だ頑強に抵抗を続けていた高山守備隊には補給物資の雨を降らせて、同日19時までに名古屋方面から攻勢にでた国防陸軍第4機甲師団の3個戦闘団が東日本軍阻止線を突破、確保された回廊から高山に救援がなだれ込んだ。
 既に金沢市まで10キロまで進出していた春歌装甲戦闘団など、東日本軍先鋒部隊は補給路と同時に退路を絶たれることになり、戦車のほとんどが燃料欠乏で動けなくなった。戦闘団は車両を放棄、徒歩で撤退することになり、同様に東日本軍の装甲戦闘車両の殆どが突出部内で燃料欠乏によって放棄された。
 東日本軍最後の希望だった『北の暴風』は、東日本軍突出部への富山方面と名古屋方面からの絶望的な包囲殲滅戦となり、制空権を失って撤退すらままならない東日本軍は最後の予備戦力と貴重な燃料を永久に失った。
 1ヶ月後の4月13日、連合軍はクルセイダー作戦を発動し、予備戦力を失って骨抜きとなった飛騨山脈防衛線を突破した。
 続くスーパーチャージ作戦により、連合軍は敗走する東日本軍を追撃。戦線は完全に崩壊することとなる。
 北の暴風作戦から2ヶ月後の5月2日。
 遂に連合軍先鋒部隊は東日本の首都新潟に達した。

             歴史郡像(学研)日本戦争シリーズ [図説]第二次日本戦争地上戦大全 概説最終戦より抜粋






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