ACECOMBATSISTER
shattered prinsess
エースコンバットシスター シャッタードプリンセス
ミッション15a 東日本最後の賭け〜TheLastGamble〜 北の暴風作戦第一日目 3月11日午前5時20分 長野県安房峠 「ここにいたのですか、大佐」 「どうかしたの?ブルクハルト」 春歌は雪景色から声のした方へ視線を向けた。 吐いた呼気が白く煙って、視界を遮る。 まだ暗い、山の朝。春が近いとはいえ3月の冷え込みは厳しいものがあります。さらに、こんな冬深い山奥では朝は芯に染みる寒さがありました。 しかもドイツの雪と違って日本の雪は湿っぽく、直にコートがずぶ濡れになってしまうのです。 それさえなければ、日本の冬は風情があって大変趣き深いのですが、そんなことを言っても詮無いことです。 「これで、日本の冬も見納めですわ」 ぽつり、と呟いた声は冬の林へと消えていきます。 沈黙のままに私達は雪景色を楽しんでいました。 安房峠から北へ、日本列島を縦断する北アルプスは残念ながら見えませんでしたが、降りしきる雪に埋もれていく冬の森だけでも十分に叙情的でした。 「弱気ですな。大佐らしくもない」 「いいえ、この戦いで勝っても負けても、夏までに戦争は終りですわ。これ以上どちらも戦争を続ける国力などありませんから」 「かもしれません。ですが、それならば観光で来たらいいだけのことでは?」 「そうですわね・・・もっとも、それは入国できたら、の話ですわ」 わたくしは肩に積もった雪を払いました。 溜め息。白く煙って鉛色の空へと消えます。風は強くなるばかりです。 「・・・今日は吹雪きますわね」 前髪を払う荒い吹雪。それこそが制空権を失った東日本の頼みの綱です。既に厚く空を覆った灰色の雲は連合軍機を寄せ付けない傘としての機能を果たし、戦線から航空戦力は姿を消しています。 そして、この時こそ東日本最後の戦機でした。 作戦名は『北の暴風』。 最後の装甲予備を集中し、戦線を突破。安房峠から飛騨高地を西進し、富山の連合軍主力の南を大きく迂回、連合軍の補給基地として機能する金沢を陥落させ連合軍の北陸方面軍を包囲殲滅するという、まさに最後の決戦です。 日本を縦断する飛騨戦線は飛騨高地を挟んで新潟を目指す北陸方面軍と関東を目指す東海方面軍に分かれていました。どちらも精強ですが、その中央は連絡に隙がありました。飛騨高地の狭隘な地形は物理的に両方面軍を別け、その防備は比較的手薄でした。そして、その隙こそ北からの暴風が吹き込む風穴となるのです。 もしもこの作戦が失敗に終われば、ワタクシ達に連合軍の進撃を食い止める為の予備戦力は欠片も残りません。 けれど、制空権のないワタクシ達にとって悪天候が期待できる今しか反撃の機会は残されていませんでした。 「ブルクハルト、そろそろ出発の時間です。準備砲撃が始まりますわ」 「ヤボール。確かに日本の冬を見納めですな」 けれど、ブルクハルトはそれほど名残惜しいというわけではなさそうでした。 必ずしも誰もが日本の冬の風情を理解できるというわけではないのでしょう。少々残念ですがしかたありません。 それにブルクハルトは本国から派遣されて来たばかりでした。風情とはじっくり時間をかけて悟るものだと、祖父も言っています。だから、大目に見てさしあげます。 「猫達にちゃんと餌をやったのかしら?」 猫の餌。もちろん、猫缶などではありません。 戦闘重量が70トンを超える化け猫に食べさせるのはディーゼル燃料と42発の120ミリ砲弾です。そして、腹いっぱいに食べさせた時でさえ、その怪物は路外では100キロ走ることさえできないのです。 まったく・・・満タンで100キロ走らない愛国心などあっていいのでしょうか? 「東の日本人達は我々の任務の重要性をきちんと認識しているようです。燃料の補給は十分に受けられました。弾薬も最優先です」 ブルクハルトはまるで生まれて始めて親からおやつを与えられた貧民街の子供のような顔をして言います。 「十分に補給を受けたということは、つまり燃料タンクが満タンという意味ですわよね?」 けれど、私は慎重でした。臆病とも言ってよいほどに。 「はい、全く完全に満タンです。この目で確認しました。満タンの燃料計など3ヶ月ぶりです。全く、とんでもないところへ来たもんです」 「同意いたしますわ」 溜め息です。 一体どれだけの戦車を燃料不足で爆破処分しなければならなかったことか、思い出すだけで胃が痛みました。 けれど、満タンの燃料計を思い浮かべるだけで憂鬱など吹き飛びます。 思わず吹き出してしまいそうになりました。 満タン。なんて甘美な響きなんでしょうか! 「今日なら、この子達となら・・・モスクワにだって進撃できそうな気がいたしますわ」 私はこれから指揮する鉄獣を見上げます。 ドイツ生まれ幻獣達は杉の林の中で雪を被りながら、じっと息を殺していました。 愛する祖国が生み出した神話の魔獣、破壊を生み出す戦闘機械。それは兵器が持つ明確な破壊への意思を隠そうともしません。 見上げるたびに息がつまります。まるで滅び去った神殿に祭られた神像を前にしたかのような、息の呑む存在感がそこにありました。 ―――――PzKpfw90、通称ティーゲルV。 正式にはレーヴェなどという名前もありましたが、今ではそれが使われることは公式文書の中だけです。 ただ要求された性能を満たすためだけに設計されたそれは、結果として現代美術の一つの高みへ昇りつめていました。 その実線には一片の無駄はなく、その一切が戦闘に必要であるが故に形作られ、機能美という言葉だけでは表現しきれないほどに、総体の完成度は他の追随を許しません。 1990年代後半に現れた140ミリ滑空砲を装備した悪夢のようなソヴィエト製MBTに凌駕するべくドイツ戦車技術の全てを投入して開発された究極の怪物は何時しか兵達にティーゲルVと呼ばれるようになっていました。そして、またの名をケーニギン・ティーゲルと言います。 新世紀の虎の牙は、ラインメタル/ボルジヒ社製Rh−120ETCシステム。作動媒体と呼ばれる特殊な液体通電物質の中で高圧パルス放電によってプラズマを発生させ、プラズマの膨張圧を利用して砲弾を発射する新世代の砲兵装です。初速は秒速3000メートルを超え、APSFDS弾を使用したときの発生エネルギーは30メガジュールに達します。これは現有120ミリ滑空砲の3倍以上の運動エネルギーです。 この砲撃を止められる装甲はこの世に存在いたしません。 そして、その存在しないはずの装甲をティーゲルVは装備していました。 誰が最初にそれに名付けたのかは分りません。けれど、今それはヴァルキューレと呼ばれています。オーディーンに使える9人の戦巫女。光輝く鎧を身に纏った死の天使。ティッセンクルップ社製911GT2電磁装甲システムこそ、光輝くヴァルキューレの鎧。ドイツが生んだ装甲防御の極みです。 極低抵抗の通電物質をセラミックス複合多層ハニカム構造に編み込み、APSFDS弾、HEAT弾の着弾後、1000分の1ミリ秒間のみコンピューター制御によって数十万ボルトの高圧電流を通電させ、さらに強磁界を作り上げることでフレミング左手の法則を成立させて、跳ね飛ばすという究極の防御システムでした。 世界最高の攻撃力と世界最高の防御力。もはや地上にこの機械仕掛けの虎を止めるものは存在いたしません。 ティーゲルVこそ、矛と盾を巡る争いにドイツが突きつけた最終回答です。 もっとも、大量の電力を消費するETC砲と電磁装甲を維持するために大容量発電ユニットと大量のコンデンサーを装備せねばならず、70トンの戦闘重量と巨大な車体の為に機動性は極度に悪化してしまいました。そして、燃費も。 故にティーゲルVはレオパルドのようにMBTとして運用することは出来ません。 しかし、祖国は嘗てそのような戦車を立派に運用して、赫々たる戦果を挙げた歴史があります。 すなわち、半世紀ぶりに復活した独立重戦車大隊。 赤衛第501独立重戦車大隊こそ、飛騨高地突破の先鋒を受け持つ春歌戦闘団が頼む鋭く尖った槍の穂先でした。 「完全充足された1個大隊、45両のティーゲルV。これが吹上浜にあればあの日で戦争は終わっていたでしょうに」 「我々の勝利で、ですね」 準備砲撃の時間でした。砲撃は30分間。東日本が国中からかき集めた火砲を使って、最後の砲弾備蓄をすり減らしても、僅か30分間の砲撃です。それでも、9K52ルナ短距離無誘導地対地ロケットから、果てはBM−13Nロケット・ランチャーまで投入した砲撃は十分にアドレナリンを沸きたてる光景でした。 ドイツにいたころ、たくさんのオペラを見てきましたが・・・例えどれだけ新聞で騒がれた歌姫の唄を聴いても、これほど興奮することはありません。 最初の砲声が聞こえてからきっかり30分。準備砲撃は終りました。 それでも、それまで一面白銀の世界だった飛騨の山々は硝煙に汚れ、泥濘に沈みます。 「これそこ本当の冬季戦ですわ」 祖父達がロシアの大地で何度となく目撃しただろう光景を眼下に納め、タラップに手を掛けます。ティーゲルVの砲塔ハッチは2階建ての屋上ほどもありました。滑って落ちたりしたら、怪我では済みません。 雪を払いのけ、キューポラに半身を沈めてやっと腰が落ち着きます。おそらく、いえ、確実にワタクシはここに立つために生まれてきた人間なのだと実感する瞬間です。 「ブルクハルト・・・キューポラからこうして世界を見下ろすと・・・まるで自分が神になったような気がしませんか?」 「私は今のセリフを政治将校が聞いていないことを祈っています」 ドライバーシートのブルクハルトは眉間に皺を寄せて返しました。 「大丈夫よ。いまどき政治将校なんて食い詰めた与太者がなるようなものですわ。収容所の代わりにテーマパークがシベリアにできる時代なのですよ?」 首筋を冷やさないようにコートの襟を立てていると、通信兵の一人が声を張り上げました。 「大佐殿。HQより、進撃命令です。『戦闘団ハ速ヤカニ出撃、必勝痛打ノ一撃ヲ以テ、敵軍ヲ撃滅セヨ』とのこと」 「分りました。その前に訓示を行います。回線を開いてください」 「ヤーボル。アイ・アイ・コマンダー」 いつでもどうぞ、と目で合図する通信兵に頷き返し、ヘッドセットのマイクの位置を正します。 既に戦端は開いていました。 遠くに砲声を聴き、銃声が鼓膜を舐めます。冷え切って吹き上がりの悪いディーゼルエンジンが一斉に始動されて白煙を上げます。 硝煙とディーゼルスメル、黒く濁った雪、赤く染まった雪、肌を焼くようなアドレナリンの香り、死の気配、戦争の匂い。 さぁ、始めましょう。 地獄の釜を開きましょう。 思うように埒をあけ、大火に洪水を、暴風に電光を、石火に稲妻を、思うが侭に死合いましょう。 運命の時を楽しみましょう。 「アウトハンク!」 気配を察した先任下士官が声を張り上げた。 それが十分に染み渡ったところで、ゆっくりと言葉を吹雪の空へと流す。 「我は汝らに問う。汝らは何ぞや?」 答えは直に返ってこなかった。 戸惑い。 けれどそれは僅かな時間に過ぎなかった。 「我らは騎士なり、ゲルマンの騎士なり!!」 唱和が砲声を弾いて飛ばし、耳朶を打つ。 陰々滅々とした冬の空を熱狂が熱く焦がす。 「ならば、ゲルマンの騎士達よ。我は汝らに問う。汝らの右手に持つ物は何ぞや!!」 「グラムなり、ジークフリードの魔剣グラムなり!」 邪龍を打ち倒したジークフリードの魔剣、グラム。時代は移ろい、それは戦闘重量70トンの巨大な機械仕掛けの虎へと変わった。 だが、それを操る心、騎士の誇りは決して変わらない。 「ならば、ゲルマンの騎士達よ。我は汝らに問う。汝らの左手に持つ物は何ぞや!!」 「隠れ蓑なり、ブルグントの宝物なり!」 霧が出ていた。薄暗い、まだ日の出が遠い暗く湿った森に漂う霞は朧。幾重にも騎士達を取り囲み、魔法使いの魔眼を潰し、その魔弾から騎士達を守る。 ナハト・ウント・ネーベル。夜と霧。ゲルマンの征途の重要な構成要素です。 ゲルマンの騎士達は夜を愛し、霧と語らうのです。 「ならば、ゲルマンの騎士達よ、我は汝らに問う。魔剣と隠れ蓑を以って、何を望む!?鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?それとも怠惰に爛れた愚者の平和を望むか!!」 「戦争を!さらに戦火を!」 「――――――よろしい!ならば嵐だ!」 重い動輪が軋みをあげて70トンの機械仕掛けの幻獣を前進させます。 戦車前へ、パンツァーフォー。 騎士の前に立ちふさがる者は、皆一様に滅ぶべし。 3月11日午後4時24分 輝山 第28師団歩兵第110連隊第2大隊、大隊長花穂少佐は感情を苦労して押さえ込んで、数時間前まで指揮下あった幾つかの部隊のアイコンをゴミ箱に移した。 アイコンはそれぞれの部隊の舞台番号に動物を組み合わせてあって、かなり凝った代物である。 そのアイコンはまだその部隊が地上に存在していたころ、花穂がマニュアルを片手に暇つぶしのつもりで作ったものだった。だが、やたらと反響があったので調子にのって指揮下の全ての中隊、小隊に作って上げたあたりが失敗だった。お蔭で最近寝ていない。 しかし、それらの努力は全て水泡に帰した。 さらに右クリックして、ゴミ箱の中身を空にする。 数瞬でゴミ箱は空になって、ファンシーなアイコンは0と1で構成されるデジタルデーターに戻った。 しかし、現実の世界に存在“していた”それらの部隊はこんなお手軽に消すことなどできない。 彼らを消しさるには大量の死体袋と1個大隊の懲罰部隊が必要だろう。 「なんてことだよ・・・」 砲声の連打が花穂の呟きをかき消した。 抵抗を受けて停止した進撃が再開されたのだ。 「少佐殿、ここはもうダメです。後退してください」 血まみれの女性兵士が叫びながら司令部に駆け込んでくる。 それを見て誰かが悲鳴を上げた。 おそらく興奮状態で気付いていないのだろう、兵士の腹には砲弾の破片が突き刺さっていた。本当なら即座に死に至る傷だが、大量に分泌されたアドレナリンが血液の粘度を上げて出血を少なくしているのだろう。 そこまで考えて、思考を現実へと戻す。 恐怖の衝撃は十分に無視していいレベルまで落ち着いていた。 すばらしき現実逃避よ、さようなら。煉獄の現実よ、こんにちは。 「嫌な癖がついちゃったよ・・・」 上達する一方の現実逃避とその度に醒めていく感情。荒んでいく一方の自分が呪わしく、小さく笑う。 「何を言っているのですか!」 興奮状態の兵士が掴みかかっている。肩を掴まれ、がたがたと視界が揺れる。 その度に破片の突き刺さったままの腹から血や或は消化液の類が飛び散って、花穂のお気に入りのコートを赤く汚した。 キレイな人なのに、と残念に思う。振り乱された髪で気付かなかったけれど、火傷で顔の半分が醜く爛れていた。 ホラー映画でゾンビに襲われる主人公の恐怖はきっとこんなものなんだろうな、と意識が溶けていく。 「少佐殿!」 けれど、今度は現実逃避しなくて済んだ。 先任下士官の軍曹が肩を掴んでいた兵士を引き剥がした。張り詰めていた気がゆるんだのだろう、彼女は崩れ落ちた。 幸いにも、ゾンビと違って彼女は再び立ち上がることはない。 「怪我はありませんか、少佐殿」 「花穂は大丈夫だよ、ただちょっと寒いけどね」 肩を抱いて震える真似をした。 「なら、これを着てください」 根が善人の参謀中尉がコートを差し出したけれど、軍曹の官給品のコートよりも花穂のコートはよっぽど暖かい。 そういう話じゃないんだよ、と笑顔以外に浮かべる感情がなく、笑って中尉に返す。 「本当は一目散に逃げ出したいところなんだけどね、今はそうも行かないんだよ」 倒れたままの兵士に言葉を飛ばす。まだ浅く息をしていた。 全軍に支給されるノートパソコンに暗号鍵と識別コードを打ち込んで、最新の戦況図を呼び出す。 第3次世界大戦に備えて構築されたインターネット情報網は最前線においても有効に機能していた。誰がこれを思いついたのかは知らないけれど、その人はきっと神様だろう。 このネットワークなかでは、全ての人間の生死が一つの情報としてでしか認識されない。 ある歩兵中隊が1個歩兵連隊の攻撃を受け、補給もなく1時間で弾薬の残弾が0になり、さらにその15分後に損耗率が100%を超えて消滅するまでを誰もがつぶさに見通すことができる。 まさしく、これは神の視座だった。 見ているだけで何もしてやれない、薄情な神様だ。 「今、花穂達の目の前にいるのは旅団規模の機甲部隊なんだよ。その後ろには歩兵師団もついて来てるし。ありゃ?隣の第2大隊は消えちゃったみたいだね?」 震える手と上擦る声を気取られないように、馬鹿みたいに陽気を装うのは滑稽を通りこして醜悪ですらあった。 小さく眉を顰める軍曹を見れば、そんなことは直に分る。 けれど、今はそれが必要だった。 そうしなければ、花穂という人間がコワレテしまうから。 このまま死に逝く彼女に取り縋って、泣き喚くことが出来たらどんなに楽だろうと、妄想してみた。 それは魅力的なアイデアだと思えた。けれど、指先はキーボードを叩いて最新の戦況図を次々に切り替えていく。 ディスプレイの中で青のラインで書かれた友軍戦線が大きく後退していた。後退した分だけ赤のラインが内側に大きく食い込んでいる。 飛騨山脈から木曾山脈、天竜川へと日本を縦断する戦線から張り出した巨大なバルジ。 そして、赤で埋め尽くされた前線で友軍部隊の大半が包囲され、絶望的と呼ばれる戦闘を強いられていた。最初の砲撃で連絡路が壊滅し、戦車の支援を受けた歩兵の浸透が前哨陣地を蹂躙し、裸になった主抵抗線が装甲部隊に打ち破られた。 完全な、ガチガチに教本どおりの陣地攻撃だ。教科書に書いてあることの大半が実際には実現不可能な理想、或は空想の類であることを考えれば、花穂の前面にいる敵は敬意に値する敵と言えた。 であるならば、最高の敬意を払って、最高の戦力でこれを打ち破らねばならない。 しかし、手持ちの戦力は1個小隊ほどまでにすり減らされた大隊本部付き中隊があるだけだった。そして、その大半が傷つき、戦闘能力を失っている。 絶望など生ぬるい。地獄すら、ここに比べるならまだ優しい。今なら悪魔の醜悪な顔が天使のように朗らかに見えるだろう。見えるに違いない。 「弾薬が尽きたね・・・」 それまで鉛色の冬空に独特の軽い発射音を響かせていたMINIMIの唸りが途切れた。 最後の射撃からもう30秒経つのに射撃が再開されない。これがもし弾倉交換だったりするなら、グラウンド20週のペナルティだ。 いや、その前に軍曹の鉄拳が飛ぶだろう。けれど、今の軍曹はただ顔を青ざめさせるだけだった。 遠くに、吶喊する兵士達の喚声が聞こえる。 分隊支援火器が沈黙するのを見取って、すぐさま突撃に切り替えたのだろう。良い判断だった。 「少佐殿・・・」 「諦めるのはまだ早いよ。敗北は敗北を認めるまで敗北ではないよ。敗北を認めるのは死んだ後でいいんだ」 チアノーゼを起こして、掠れた息を咳き込む兵士を見下ろした。 彼女はもうダメだった。こうなっては救いようがない。衛生小隊が砲撃で陣地ごと吹き飛んでしまったのが痛すぎた。 「総員着剣、これより白兵戦に臨む。回廊を日没まで維持するように、そうすればR戦闘団が救出に来てくれる、連絡を回復できる」 それだけが残された唯一の希望だった。 R戦闘団は戦車2個中隊を基幹とした第28歩兵師団の持つ予備戦力をかき集めたパンツァーカンプフグルッペだった。2個中隊、38両の戦車が包囲網を破ってくれたのなら撤退できるチャンスは残る。 負傷した兵士を収容し、可能ならば戦死者も載せて行く。弾薬の尽きたいくつかの重装備も回収できる。後方の収容陣地に下がれば、まだ戦える。 けれど、これが敗走になったらおしまいだ。敗走と撤退はまるで意味が違う。敗走となったら、確実に戦闘能力を失ってしまう。負傷した兵士は凍死して、戦死者の回収も、装備も何もかも失われてしまう。 「ちくしょう・・・呪ってやる・・」 途切れ途切れに、まだ死に切れない女兵士が呪いの言葉を零す。 言い知れない衝動を覚えて、乱暴に彼女を抱き起こした。 血の気の失せた顔にぎらぎらと瞳だけが無闇に輝いている。乾いた唇が歪に歪んで、ひゅーひゅーと音を立てて小刻みに震える。 それはもう人間と呼べない、歪んだ命にしがみつく哀れな怪物のようだった。 けれど、花穂の受け入れるべき現実は一つしかない。事実もまた然り。 「あんたの所為だ・・あんたが無能だから、あたしは死ぬんだ」 もう擦れて、唇さえ動いていなかったけれど、彼女はそう言っていた。 「そうだよ、花穂が悪いのさ。だから、光帯の向こうに行っても花穂だけを恨むんだよ。これは命令だ」 彼女は驚き見開いた目で花穂を見上げた。視線を触れ合う。 彼女の鳶色の瞳は、何かの奇跡でも見るような、信じられない幸運に見舞われたような、そんな風に揺れていた。それが涙の所為であることに気付くのに、少し時間がかかった。 腰のホルスターから拳銃を抜く、ベレッタ92F。最近になって新調したばかりで、まだ手に慣れない。 「少佐殿・・・自分が・・」 「違う、これは指揮官の仕事だよ。口出ししないで」 今すぐにでも逃げ出しそうになる両足を押さえつける。銃口を額に押し当てると、彼女は目を閉じた。その顔は打って変わって酷く穏やかなものになっていた。 まるで、自分の人生はそう悪いものではなかった、とでも言うように。 「・・・なんで」 そんな顔をするのか。そんな顔をされるくらいなら、罵倒された方がまだマシだった。 一瞬の躊躇い。彼女の唇が小さく言葉を形作るのを見取る。 『ありがとう』 そう彼女は言って、笑った。 トリガーを引く。乾いた銃声が無感動に耳朶を打つ。鈍い手ごたえ。血が吹きでる音。人の死ぬ音。濃厚な死の味。 同時に、甲高い、酷く高い音の轟音が冬の空を叩いた。 砲声。それも高初速の、戦車砲特有の飛翔音。 「始まったね・・・」 山の日没は早い。冬ならなおさらだった。 寒々とした山影に吶喊の喚声が木霊する。降りしきる雪の向こうに銃剣の矛先を整えた隊列を認める。吹きすさぶ雪風に埋もれながら進む歩兵の横隊はまるで神話に出てくる神々の軍勢を思わせた。手が震える。 苦労して机に立てかけておいたステアーAUGを手繰り寄せた。着剣し、その刃に視線を落とす。マットに仕上げたチタン製のバイヨネットは何も映さない。 いや、映さなくてもいいのだと花穂は思った。今は・・・それでいい。この涙が枯れるまでは。 東日本冬季攻勢“北の暴風”作戦第一日目、その成否を決める戦いが始まろうとしていた。 3月11日午後4時45分 朴の木平 春歌はティーゲルVを日の傾きかけた山の林道で走らせていた。 昼間が先月に比べたら幾らか長くなったといっても、やはり山の日は短い。直に偵察できるのはあと数十分が限界でした。 キューポラのハッチを開けてPERI−17A3、全周パノラマサイトでも得られない自由な視界を得ます。 幸いにも雪は止んでいました。けれど分厚い雲と傾いた日はもうあたりを暗く闇に染めようとしています。 この上なく清澄な銀世界。履帯が雪を踏む音さえ、何か特別な、厳格な規則に則ったクラッシック音楽を思わせます。 雪以外に何も無くなった世界。或は、終末一つの形とも言いましょうか。全てが雪に埋もれ、静かに世界は終りを迎える。そんな幻視をしたような気がします。けれど、私は二本の足で立って、生きてこの光景を見ています。 終末の過ごし方としては、戦車でドライブというのは中々通なものでした。 「少佐殿、いいかげんに帰りませんか?」 そんなワタクシの詩的な感傷を邪魔するように、ブルクハルト。 もし彼が父上に長く仕えた家令でなければ、シュマイザーで蜂の巣にしているところです。 「ブルクハルト、しつこいですわ。指揮官たるもの常に陣頭に在らねばならないのです」 「だからといって、大佐の権限というのは戦車を勝手に乗り回す為にあるではないと思いますが・・・」 「乱用?ブルクハルト、ワタクシの忍耐力には定評がありますが、それも程度の問題ですわ。今ここから歩いてベルリンに帰るのと、ワタクシのティーゲルVの栄えある操縦手になるのと、どちらかを選びない」 「最近ますますお父上に似てきましたな・・・」 深刻そうに頭を抱えるブルクハルトを放っておいて、私は再び視線を山々に戻しました。 林道を覆う、張り出した木々のカーテンが終り、視界は大きく拓けます。 それはゲレンデでした。遠くにはリフトが雪原の中で山頂へ向かって長く列をつくっているのを見つけます。 もちろんスキー客などいません。分厚く降り積もったバージンスノーが傾いた日を浴びて茜がかった光を空へ返しています。 人のいないゲレンデというのは随分と荒涼としたものです。強いていうなら、人のすまなくなった廃屋に似ています。 ただ凍てた風だけが吹きぬけて、飛ばされた粉雪が飛沫のように飛散するだけでした。 「ブルクハルト、停車ですわ」 小高い丘の斜面に車体を隠し砲塔だけ稜線に出して、舐めるように眼下の光景を観察します。双眼鏡の倍率は最大。お祖父さまが1941年のキエフ占領記念にハインツ・グデーリアン将軍から頂いたというカールツアイツァの双眼鏡は半世紀前のアンティークでしたが、一流のマイスターが磨きぬいたレンズの視界は鮮明そのものです。出征祝いとはいえ、とんでもないものを頂いてしまったものです。 坂を下った先には小さな集落がありました。 スキー場でよく見かけるペンションやホテルが立ち並んでいます。けれど、人が住んでいる痕跡を見つけることはできません。 こんな田舎ではライフラインが切れたら水も電気も食料もないのですから、当然といえば当然でしょうけれど。 けれど、今日に限っては煙が昇っていました。 その先に視線を送ると、純白の冬季迷彩を施した戦車がエンジングリルから煙を吐き出していました。 おそらくはエンジントラブルでしょう。その近くにも同じ冬季迷彩の戦車が3台。こちらとほとんど同じ迷彩パターンですが、ワタクシの目は誤魔化すことはできません。 「ボルツェン。こちらからは戦車が3両見えますが、そちらはどうですか?」 無線で僚車のボルツェンを呼びだします。彼のティーゲルVは別ルートでこの村落を偵察しているはずです。 「大佐殿、村落には戦車が3両です。その後ろにAPCが5台もいる。凄いぞ!その後ろには戦車が6両もいやがる!まだまだ隊列が続いてるぞ。こいつは敵の装甲予備だ!」 どうやら彼は口の聞き方を忘れるほど興奮しているようでした。 「ボルツェン、何をしたらいいかわかっていますね?」 「ヤボール。ここからなら隊列の最後尾が狙えます。まずそれを撃破します。大佐が先頭車を撃破した後、村に突入する大佐の援護をします」 「パーフェクトよ、ボルツェン」 キューポラのハッチを閉め、車長シートに腰を落とします。 「弾種、徹甲。対戦車戦闘用意」 断固として言い。PERI―17A3全周サイトを旋回させ、敵戦車に狙いを定めます。 「大佐殿!我々は偵察に来ているのですよ。幾らなんでも無茶です!」 「敵はまだこちらを気付いていませんわ。今なら奇襲できます」 手勢は僅かにティーゲルVが2両、ただの偵察のつもりでしたが、たいそうな獲物に出くわしてしまいました。 この場合、敵軍の狙いは一つしかありません。前線で孤立した友軍の撤退援護です。贔屓目に見ても2個中隊、場合によっては大隊規模の戦車が前線に現れれば解囲が成立し、連絡を回復した敵部隊によって進撃の停滞、或は側背を脅かされることになりかねません。 で、あるならば、なんとしてでもこれを速やかに排除しなければなりません。 このような重大局面に巡りあえるとは・・・きっとこれは天の思し召しなのです。 「大佐殿、自重してください。大佐が偵察にでるだけでも無茶なのですよ。もしも大佐が戦死なされたらどうするつもりなのですか!?せめて砲兵支援を要請するべきです」 「これは神の思し召しなのです。ブルクハルト。それに砲兵は陣地転換中です。当分当てにはできません」 「ちくしょう!神様なんて大嫌いだ!」 喚くブルクハルトを無視して、ショットマイスターの二つ名を冠するベテランの砲手、バルタザールに問いかけます。 「バルタザール。出来るかしら?」 既に日は傾きかけて砲戦には不利な時間帯でした。 ワタクシの問いに、ワタクシが生まれる前から戦車砲を撃ってきた生ける伝説は剛毅な笑みを浮かべて答えます。 「撃てと命令していただければ、多少具合が悪くてもこちらで何とかします」 打てば響くとはこういうことを言うのでしょう。ワタクシが言いたいことをバルタザールは全て見通しているようでした。 いえ、実際に全てお見通しなのでしょう。 ドイツが敗戦の痛手から立ち直れず、国防軍も米国製の装備で訓練に明け暮れていた時代から戦車一筋に生きてきた伝説のガンナー。初陣はヒトラーユーゲントの少年兵として戦ったベルリン市街戦だというのだから恐れいります。全軍で元帥を除けば最長不倒の軍役を誇るバルタザールにとってワタクシなど孫娘のようなものでしょう。 「わかりました。では、あなたが手荒く撃ち易いようにしますから楽しみにしていなさい」 「ヤボール。手荒く楽しみです」 それっきり、バルタザールは口を噤んでしまいました。 凛と、背筋を伸ばした後ろ姿は何よりも雄弁に“話しかけないでくれ”と語るようでした。 ガンナーシートでCE712レーザー測距機の調整を行う姿は軍人のそれとはもはや言えません。ただ己の全てを砲戦システムの一部に昇華した、まさしく“ショットマイスター”のあるべき姿でした。 では、私は車長として果たすべき勤めに専心することにしましょう。 手元のコンソールを叩いてスコープの倍率を最大にします。高感度カメラの映し出す映像には不満はありません。高度に電子化された虎はボタン一つで従順に砲塔を旋回させます。 コンソールを叩いて光学繊維素材を使った3台のディスプレイの内二つを車外映像に回し、一つを兵装管理モードに固定。 弾種は徹甲、APDSFS−DM43減損ウラン弾。 装填手の鍛え上げられた上腕が隆起して、3.8キロの砲弾を速やかに薬室に装填する。僅かに金属音を響かせて閉鎖器がチェンバーを密閉。警告ランプが赤から青へ、装填作業は完璧に行われた。 春歌は多機能表示ディスプレイで兵装システムに異常がないか最後の確認を行う。 ティーゲルVはその凶悪な風貌に比べ、内部はガラス細工のように繊細だった。特にティーゲルVを最強たらしめるETC砲は電圧が安定しないと暴発の危険すらある。 「電圧、正常。ETC砲いつでもいけます」 だが、バルタザールが自ら整備する虎の爪がぐずついたことなど一度もない。マイスターは自分の得物に愛情とこだわりを持っていた。 「ヴァルキューレも完動、全系統異常なし」 ティッセンクルップ社製911GT2電磁装甲システムが作動する。虎はあらゆる敵弾を弾く盾を構えた。 全周スコープを覗き込み、反射動作になるまで鍛え上げた右手はコントロールスティックを繰り、速やかに四角く区切れた視界の中央に鎮座する敵戦車にレティクルを合わせた。 CE712レーザー測距機による精密側距、誤差は10000メートルで僅かに5メートル。赤いルビーの魔眼が敵戦車を捉える。ロックオン。黄色で表示されたレティクルが赤色に変わる。 「ほう・・・」 スコープの中で敵戦車の動きが変わりました。おそらくはレーザー警報システムを装備していて、こちらの照準レーザーに気付いたのでしょう。 けれど、遅すぎます。 「距離1200。バルタザール、喰え」 バルタザールが発射ペダルを踏み込む。 コンデンサーに蓄えられた高圧電流が解放された。電子回路が膨大な負荷に悲鳴を上げる。パルス放電、作動媒体で満たされたチェンバーに千分の一秒間だけ投入された高圧電流は一瞬で液体を気体に、さらにそれすら超えて原子核から電子を遊離させた。即ち、荷電粒子の生成。荷電粒子に満たされたチェンバーは錬金術師の大釜と化す。 液状の作動媒体は数千倍の容積を持つプラズマへと変化、狭いチェンバーから自由な世界を求めて砲弾の底を押して5030ミリの砲身を駆け抜ける。 轟音。秒速3000メートルを超える衝撃波が音を圧縮し、爆音が大気を叩く。 砲口からプラズマの紫電が迸り、プラズマを引いた砲弾は一条の光を化した。砲声は遥か日本アルプスまで響き渡り、鞘を捨てた減損ウランの矢が夕暮れのゲレンデを駆け抜ける。魔弾の弾道の先にあるのはビッカーズ・チーフテンMk11。爆発反応装甲を施した後期生産車両だった。けれど、英国生まれの彼女が纏った鎧は目の前に迫った破壊に対してあまりにも無力だった。 黒々した減損ウランの槍はERA装甲が反応するよりも早く、貫通。30MJを超える運動エネルギーを前に英国戦車技術が誇る150ミリの鋳鋼製装甲はウゴニゴ弾性限を突破、流体化した。弾芯は装甲材との干渉を最小に抑え、在速の足る限り突き進んだ。侵徹孔から液状した鋼が噴出し、終に槍は鎧を突き通した。貧弱なビニールケーブルなどは衝撃波だけで千切れ飛ぶ。突然のレーザー警報に出撃準備を急いでいた戦車兵達は自分に何が起きた理解する間もなく食いちぎられた。 そのまま弾芯は車内の跳ね回り、減損ウランは数千度の微粒子となって車内を焼き尽くす。 延々と響いた砲声が山肌にぶつかって反響した。木霊が生まれる。 空を揺さぶるように響く木霊が生まれ故郷に帰ってきた時、チーフテンの即応砲弾が誘爆。火を噴いて飛んだ砲塔が新しい破壊を生んだ。 聞きなれない砲声の連打から5秒。衝撃でぶれていた思考が現実にようやくピントを合わせることに成功した。 同時に、 「ヒナギク01へ、こちらシバ01。アザミ小隊が喰われた。繰り返す、アザミ小隊は全滅だ!」 レシーバーをつんざく悲鳴に、第507戦車大隊A中隊中隊長は素早く反応した。 「シバ01。敵戦車を探せ。近くに必ずいるはずだ」 冷静な、落ち着き払った声に無線の向うで感嘆の息を零れる。 同時に聞き慣れた軽快なディーゼルエンジン音が空電に混じって聞こえてきた。向うはそうとうに飛ばしているらしい。 中隊が装備するチーフテンと同じく英国製のFV107シミスター装甲偵察車を装備したシバ小隊はR戦闘団でも最前列にいる偵察部隊だった。普通ななら真っ先に攻撃を受けるはずだが、敵は戦車(アザミ小隊)を優先したらしかった。 けれど、それもこれも自分の目で確かめるしかない。キューポラのハッチを開ける。便利なデーターリンクシステムなど、中古のチーフテンには望むべくもない。若干の警報システムが追加されたのだがせめてもの慰めだ。 途端、雪混じりの風が首筋を撫でて通り過ぎる。傾きかけた日と悪天候で視界は悪い。 けれど燃える3両のチーフテンは薄暗がりの視界の中でもよく見えた。弾薬に誘爆したのだろう、赤い火柱が立っていた。 その周りには薙ぎ倒された兵達が倒れている。 「何だ。一体何をされたんだ?」 1960年代の戦車とはいえ、その重装甲大火力は西日本が世界中からかき集めた旧式戦車の中でも群を抜いている。東側の125ミリAPFSDS弾でも複合材入りの積層コンポジットを追加した正面装甲なら辛うじて耐えられるほどなのだ。 けれど現実にアザミ小隊は全滅した。 しかも、チーフテンのL11A5、55口径20ミリライフル砲の聞きなれた砲撃音が“聞こえなかった”のだ。 一方的な不意打ち、自分がこの鮮やかな奇襲を成し遂げた恐るべき敵手であれば、かならず戦果の拡大を図るだろう。しかも、敵がどこにいるか皆目検討つかない。 「対戦車戦闘用意。HESHを装填しておけ・・それに」 私が言い終えるよりも早く、敵は動いていた。 砲声。戦闘重量が50トンを超えるチーフテンが揺れた。かなり近い。 「ヒナギク01、B中隊が攻撃を受けている!」 「見えている。落ち着け、9時方向だ。全車後退。後ろの林に隠れるぞ」 後手に回っているな、と自覚する。 自覚するのは特に大切だ。例えどれだけ状況が自分にとって不利であろうとも、まずは状況を正確に認識しなければならない。まずはそこから全てが始まるのだから。 しかし、自分の自覚が正しいかどうか自信がなかった。 750馬力のレイランド社製L60水平対向6気筒多燃料式ディーゼル・エンジンが唸りを挙げてチーフテンの重い車体を後退させる。 開戦前に90式戦車に乗っていた私にとって、その歩みはあまりにも遅く感じられた。 苛立ちがこみ上げる。90式はクーラーがついていないとか、いろいろ不満があったけれど、今となっては全てが懐かしい。 履帯が低木をひき潰し、雪を押しのけてチーフテンの巨体を白樺の林に突っ込ませる。若い白樺などは簡単に折れて英国生まれ重戦車の道を譲った。 けれど、攻撃は執拗だった。 山の稜線すれすれに紫色の光が瞬くと同時に、周りの何かが必ず吹き飛んだ。その度にチーフテンは震える。弾着は近い。敵は狙撃の名手だった。 けれど、何かが変だった。何か違和感がある。何が変なのか分らないけれど、何かが変だった。何かを間違えている。 「砲手、あの砲撃が見えるか?あれに見覚えは!?」 顔に振りかかった泥を拭いながらなおも砲撃を続ける敵戦車を観察する。見たことのない砲塔だった。強いて言えば今は亡きイスラエルのメルカヴァMk3に似ていなくもない。 「見たことありません。少なくとも、砲煙の出ない砲撃など!」 戦車の中は騒音に満ちている。怒鳴らないととても会話などできない。ヘッドセットをつけていても。 「・・・砲煙が見えないだと?」 敵戦車は再び発砲。 ほぼ同時に着弾。光の矢と化した砲弾はビームライトのように尾を引いて伸びる。肉眼では絶対に捉えられない破壊。それは瞬きする暇さえなく、脇を通り抜ける。体がふわりと浮き上がった。それが風圧によるものだと気付いたときにはハッチにこめかみを叩きつけられていた。 激震。白樺の林が震える。枝が支えきれなくなった雪が落ちる。場違いだけれども、きれいだった。やけに、世界がきれいに見える。 手がふらついた。まるで血液が水銀か何かになってしまったかのようだ。重い、とてつもなく体が重い。世界は万華鏡のように歪んでいて綺麗だった。素面ではない。とても素面なんかでは、マトモでいられない。 こめかみから伝う流血をそのままに、ふらつく視界を押さえて振り返る。 破壊が長蛇の列をつくっていた、視界に収まるかぎり、果てしなく。一体どこまで砲弾が飛んでいったのか検討もつかない。まるでそこだけが洪水に押し流されたような、徹底的な破壊が成されていた。雪は全てなぎ払われて、黒い地面が顔を覗かせていた。そして、それすらも抉られて、ずたずたになった木の根が露出している。もちろん進路上にあった白樺は全て打ち倒されている。森の置くまで延々と続く白樺の死体だ。しかし、それは死体というよりも、喰い残しと言った方が近い。原型を止めている方が少ない、喰い散らかされた残飯の行列だ。 「・・なんてこった」 腹の底にさわさわと這いずるものがある。徐々に感覚が肉体に戻ってきたのだろう。段々感覚が具体的になってきた。脂汗で背中がべとべとだった。気持ち悪い。それよりも下腹を障る寒気が酷かった。それが吐き気であると思い至って、口元を押さえた。吐くわけにはいかない。指揮官として、それはできない。 「大尉、無事ですか!?」 「ああ、大丈夫だ。心配ない」 軍人として受けた教育によって練成された、ある種の心理的な技能とも呼ぶべき精神力で平静を装う。しかし、心を落ち着かせるために思考だけは焼けそうになるほど回転していた。 「なるほど・・」 ようやく違和感の正体が分った。 敵の攻撃力がこちらの想定の斜め上を行っていたのだ。普通の120ミリ滑空砲の砲撃に慣れていた体が、この常識を置き去りにした砲撃にピントを合わせられず遠弾を近弾と勘違いさせていたのだ。ようやく疑問が解消する。 けれど、それは現実に迫る脅威に対する追認でしかない。 「1時方向、敵戦車!」 砲手が叫ぶ。 ペリスコープの小さな視界の中に、それは居た。ペンション街を走りぬけて、雪を跳ね飛ばしながら前進する白い鉄獣。 一目でそれがかなり巨大な戦車であることが分った。チーフテンよりも1周り以上は大きい、車高もかなり高い。第3世代型MBTとしては高すぎるくらいだった。 それに反比例するように砲塔は地を這うような低姿勢だった。メルカヴァの楔形砲塔によく似ていた。けれど、総体としての雰囲気はメルカヴァとはまるで違う。まるで何かの歴史的建造物でも目の当たりにしたような、心が震えるほどの完成度だった。きっと、誰もがそれを見て息を呑むのだろうと思う。ただ実用性のみを追求することによって到達した一つの現代芸術の完成形。 それは、奇跡のような美しさだった。 思考を遮るように電子警告音。レーザー警報装置の悲鳴。すぐさまスモークキャンドルを射出、同時に全速後退。 再び、激震がチーフテンを揺さぶる。 根こそぎ持っていこうとする衝撃波に55トンのチーフテンは耐えた。同時に金属音。破砕音がして、ペリスコープの防弾ガラスが降り注いだ。 「・・・掠っただけでこれか」 「大尉、ヒナギク03被弾!」 無線の向こうではおそらく血走った目で敵戦車を睨みつけていることだろう、報告するヒナギク04の車長の声は怒りの咆哮だった。 「落ちつけ、軍曹。怒るな、判断が鈍る。冷静に報復しろ」 反撃。120ミリライフル砲L11A5が火蓋を切る。激震、駐退機で吸収しきれなかった衝撃がチーフテンを揺さぶった。 砲撃は狙いすましていた。吸い込まれるように赤い砲弾が敵の砲塔正面へ向かう。命中。距離は700を切っている。普通の戦車なら、致死レベルの破壊だ。 けれど、敵戦車は何事も無かったように前進する。これは予測どおりだった。あの戦車は何もかも一桁違っている。 「ヒマワリ中隊、聞こえるか?敵戦車が街から出てきた。敵の主砲は大威力だ。手に負えん。正面はヒナギクが引き受ける。側面へ回りこめ」 「分っている。だが先頭車両がやられて道が通れないのだ」 「ふざけるな!貴様は何に乗っている!乳母車か?三輪車か!?邪魔するものがあれば履帯で踏み潰せ、木が邪魔なら主砲で吹っ飛ばせ!いいか、3分以内に敵側面に来なかったら、バナナを咥えさせて死ぬまで馬鹿踊りをさせてやる!」 すっかり風通しのよくなったペリスコープを諦め、ハッチを開けて頭を出した。この方がずっとよく見える。 「ヒナギク各車、正面の敵をこれ以上近づけるな。砲塔基部を狙え!」 それに答えるかのように、チーフテンが吼える。射点を得ているのは7両。7発のAPSFDS弾の集中射。 これだけ撃って止められないのであれば、あの戦車を止められるものは最早地上に存在しない。 そして、敵戦車は射弾に包まれた。停止、前進が止まる。それだけで祝賀パーティーを開いてやりたい気分だ。だが、攻撃は止まらない。発砲、砲口に十字の紫電が走ると即座に火柱が昇った。 「ヒナギク06、大破!」 悲鳴が上がる。 それが自分の悲鳴であるか、それとも部下の悲鳴であるか、もう分らない。しかし、妙に冷静な思考をしている自分がどこかにいた。 あの敵戦車が自動装填装置を装備しているとしたら、おそらく射撃間隔は4〜5秒だろう。ヒマワリ中隊が奇跡的に3分で側面に回ることができたとしても、その間にヒナギクが浴びる砲弾は最大36発。手動装填だったらもう少し割り引くこともできるが、あまり意味のある差ではない。 再び、悲鳴。しかしもう聞き慣れた。ありふれているのだ、悲鳴など。 特に何かが悲劇というわけではないのだ。戦争なのだから。 しぶとく生き残っている旧式英国戦車を潰していると、僚車から通信が入りました。 「ボルツェンより、大佐殿へ。敵が側面に回りこみつつあります。ご注意を」 「そこから狙えるかしら?」 ボルツェンは最初の位置でずっと監視と牽制を続けています。高台から打ち下ろす砲撃はワタクシが確認した分でも、既に6両の戦車を撃破していました。 「残念ですが、ペンション街が邪魔です」 「わかりました。そこで監視を続けてください。ワタクシが始末いたしますわ」 ギアがバックに入り、虎を後退させます。 冬の寒々とした林を温めるのは燃える戦車が6台ほど。まだ行き残っているチーフテンがいましたが、追撃はありません。まあ、あったとしてもティーゲルVの正面装甲を抜くことなど不可能ですが。 それに弱すぎる敵戦車よりも、もっと注意を払うべき敵がいくらでも戦車にはいるのでした。 「・・・不味いですわ」 兵装管理モードの多機能表示機は砲塔バルス内の砲弾が後10発を切っていることを教えてくれました。 ティーゲルVは砲塔バルス内に15発、それに操縦手の左手の弾庫に27発。計42発のAPDSFSとHEATを搭載していますが、即応性の高い砲塔バルスの15発を撃ち尽くすと、その後の発射速度は低下してしまいます。装填手の疲労も見逃すことはできません。 さらに歩兵がいないので、接近されると肉薄攻撃を受けてしまいます。HEAT系の携帯対戦車無反動砲などは、装甲を貫通できませんが履帯や足回りを狙われるとアウトです。常に動き回って狙いを外す以外に他、方法はなさそうでした。 それに、祖国が生み出した鋼の幻獣の持つ爪と牙は電熱化学砲だけではありません。 「バルタザール。約束どおりに手荒くいきますわよ」 「そのお言葉、おまちしておりました」 MTU MB973Ka―505 4ストローク水平対向12気筒多燃料水冷ターボチャージドディーゼルが唸りを上げる。咆哮、ティーゲルVは爆発的な加速。雪を蹴散らしてペンション街を走り抜ける。 キューポラのハッチを開ける。近接格闘戦ではパノラマスコープの視界でさえ不十分でした。広い視界を得て、戦場を俯瞰します。 直に街角に隠れた歩兵の姿を見つけました。もう歩兵が街にとりついていたのです。予想よりも展開はハイテンポでした。 「うっとおしい!」 砲塔にマウントされたG3を構え、トリガーを引く。敵兵も打ち返す。赤い曳航弾が交錯して、火花が散った。手数は向うの方が遥かに多い。とても支えきれるものではない。 唐突に電子警告音。春歌の耳はG3の射撃で耳には入らない。装填手が足を引いて春歌を車内に引きずり込んだ。EADSドイッチュラント社製多機能自衛システムは構成するAWISS対ATMシステムのKバンド捜索レーダーがジャベリン対戦車ミサイルを捉えた。フルオートで熱煙幕を展開する。さらに追尾レーダーがミサイルを追う。砲塔に装備されたラインメタルMk108オートグレネードランチャーが旋回、対ATM半徹甲榴弾をばら撒く。 鈍い発射音が連続し、赤い尾を引いて迫るジャベリンに火弾を集中させる。ジャベリンの弾道は既に電子の魔眼に読まれていた。安定翼がもぎ取られ、バランスが崩れる。虎まで残り60メートル。ミサイルは撃墜された。雪原に叩きつけられたジャベリンは残存燃料をばら撒く。焼けた炎をカーペットが編まれた。高速で飛散する固形燃料を浴びた歩兵が背中の炎を消そうと踊り狂う。弾頭が誘爆、HEATの熱流が雪を溶かし、枯れ木に火をつけた。 それを見て車内に安堵の空気を広がる。けれど、まだ西日本軍歩兵は諦めたわけではなかった。P−MILDS紫外線センサーが対戦車地雷を抱いた歩兵を探知する。戦車の周りで荒れ狂うあらゆる破壊と死に耐えた彼は僅か10メートルのところまで接近することに成功していた。走り出す。あらゆる戦車の死角である背後からの肉薄攻撃。普通ならこの時点でほぼ防ぎようのない攻撃だった。事実、警報が鳴るまで車内の誰もが彼の接近に気付かなかった。 だが、虎は10メートルという人間の間合いにさえ届く爪を隠していた。 紫外線センサーと接続している車載コンピューターは彼にもっとも近い位置に装備された火薬カセットの信管に火を入れた。アレーナと呼ばれるAPSシステムは砲塔に装備された24個の火薬カセットと紫外線センサーによって構成される。火薬カセットには大型ボールベアリングが封入されていて、対ATM用のクレイモア地雷ともいえる装備だった。だが、歩兵に対しても有効である。 殺傷範囲は30メートルにも及び、1秒以内に対戦車地雷を抱えた彼の肉体を細切れの細肉へと変える。そして、それすらも対戦車地雷の誘爆で燃えつきる。 「なるほど、その手がありましたわ!」 どうしてこの手に気がつかなかったのでしょう。装備を使いこなしていなかったことが恥ずかしくて仕方ありません。 コンソールを叩き、歩兵が潜んでいそうな場所に向いている火薬カセットを片っ端から作動させます。 対戦車ミサイルを迎撃するために封入された大型ボールベアリングは彼らが潜むあらゆる構造物を叩き降り、粉砕します。同時に焼けた熱流が可燃物に放火して、さらに歩兵を追い立てます。 虎は加速。炎と煙に遮られた視界の中で、ペンション街を挟んで右手に敵の隊列を認めます。視界は途切れがちで、車内に紛れこんだ熱煙幕に咽ます。けれど、一瞬の知覚で全てを得ることが出来なければ車長は勤まりません。 「ブルクハルト。5秒後に右旋回90度。Eins、Zwei、Drei、Vier、Fuenf!」 ティーゲルVは信地旋回。動輪が軋む、旋回が速い、速すぎる。踏み固めた雪がアイスバーンとなって虎の足を取る。 「ブルクハルト!」 だが、それすら操縦手は読んでいた。履帯が外れるぎりぎりの危険水域をコントロール。70トンを超えるティーゲルVで信じられないほどの高速旋回を実現する。僅かに横滑り。そして、それさえも計算の内側、ピタリと春歌の望んだとおりに生垣の前で虎は止まる。 虎は再び加速。枯れた椿の生垣を踏み潰す。小さなペンションのささやかな庭だった。雪に埋もれた生垣を踏んで、さらに機械仕掛けの幻獣は前進する。 視界が拓ける。そこはゲレンデだった。白色迷彩の敵戦車が6両。雁行隊形。距離200、近すぎる。 「全速!」 緩いゲレンデを虎は疾走。雪煙が上がり、ディーゼルスメルが立ち込める。チーフテンは砲撃、だが虎の加速が3秒早かった。外れた砲弾は白塗りのスキーセンターへ吸い込まれる。弾種はHESH、コンクリートのスキーセンターは9MJを超える運動エネルギーを浴び、破砕される。 チーフテンの車長達は脇をすり抜ける虎を唖然と見送った。鈍重なチーフテンでは不可能な奇跡のような加速、しかも虎は緩いとはいえゲレンデを登攀しているのだ。 ティーゲルVとすり抜けざまに2連射、チーフテンの側面を減損ウランの矢が穿つ。彼我の距離は僅かに30メートル、行進間射撃。弾道は安定していない。APDSFS弾はこのような距離で戦う武器ではなかった。けれど、秒速3000メートルを超える破壊は強引にチーフテンの側面を穿つ。 「erst」 春歌の小さな呟き。それをかき消すように虎は信地旋回。運動エネルギーのベクトルの強引な変化。慣性の法則をそのままに、春歌の体が浮いた。振り落とされそうになる。急ブレーキで起動輪が莫大な加重を受けて悲鳴を上げた。サスペンションは危険水域を彷徨う。だが、虎は耐えた。 砲塔を旋回させる必要はない。砲口の前に敵はいた。砲撃、4連射。紫のプラズマは4回瞬く。電熱化学砲にとってはほぼ零距離射撃。背後に回った虎を追ってチーフテンは砲塔旋回中だった。遅い。側面、背面に徹甲弾が吸い込まれる。旋回が間に合ったチーフテンは僅かに1両。砲撃はほぼ同時。L11A5 120ミリライフル砲の砲身をL23A、APFSDSが駆け抜ける。それを迎え撃つように虎は咆哮。DM43APDSFSがプラズマを引いてチーフテンに向かう。彼我の距離は20メートルを切っていた。 砲声に大気が歪む、弾道が交錯した。極音速の弾芯が絡み合い、すれ違う。 着弾はチーフテンのL23Aの方が僅かに早い。砲口を出ると同時に鞘を捨て、むき出しとなった弾芯はミリセコンドの単位でティーゲルVの砲塔正面に吸い込まれる。弾着。8.345MJの運動エネルギーが僅か直径23ミリの弾芯の先鋭に集中される。だが、同時にティーゲルVの装甲正面に配置された10数万の感圧素子は一斉に起動、微弱な起動電流を発生させた。 ミリセコンドの攻防。 人間には知覚できない速度で計算処理されたデータはチーフテンのL23Aよる侵徹現象を的確に捉えていた。位置、運動エネルギー、侵徹体の存速、発生する熱量、ウゴニオ弾性限の限界。全てを捉え、最高の、最適のタイミングでティッセンクルップ社製911GT2電磁装甲を起動させる。全ての回路が開かれ、積層型超伝導コンデンサーに蓄えられた高圧電流が解放される。膨大な電流が高周波の電磁波を撒き散らし、ヴェトロニクスは防壁を展開して沈黙。 通電は一瞬。 衝突正面に膨大な電気的な負荷が発生し、極大の磁界を作り上げる。車外に装備された磁気計が振り切れる。次の刹那に、APFSDSの弾芯へ通電され、余剰となった電気が空中に紫電を疾らせた。フレミング左手の法則により、左向き磁界へ突入しようとする電流は上向きの力を得て、滑らかに成形された砲塔正面装甲を滑るようにして跳ね飛ぶ。弾芯は十分な弾速を維持したまま、ゲレンデの雪を吹き飛ばして自壊した。 跳ね飛んだ雪がティーゲルVに降り積もる。熱を持った装甲板に触れると溶けて消えた。慕うように雪は降るけれど、虎に触れることはない。 何人たりとも、ヴァルキューレの守護を受けた虎を侵すことはできない。 「終わりましたわね・・」 砲声が聞こえました。それもたなびくように響く遠い砲声。友軍のPzH2000自走榴弾砲の咆哮でしょう。ロケット補助推進弾は少々変わった飛翔音をしていますので直にわかります。友軍の砲兵が配置転換を終え、砲撃を開始したのならば、後は彼らに任せておけば問題ありません。 「大佐殿、追撃を行いますか?」 最後の一撃を放ったチーフテンから脱出する戦車兵を見送ってバルタザールは言います。こちらの砲撃は易々とチーフテンの砲塔正面を打ち抜き、彼らの戦車を炎上させていました。敵ながら、よく善戦敢闘したものだと思います。 「いえ、その必要はありませんわ。それよりもペンション街を確保します」 朴の木平スキー場を占領すれば、前線部隊の退路は失われ、増援部隊による支援もまた不可能になります。戦線を支えるべき歩兵は前線に取り残され、後に広がるのは無人の荒野ばかりです 「悪くありませんわ。全く、悪くありませんわ」 雪がちらつき始めた無人のゲレンデに言い、虎を発進させました。 後に残されたのは燃える戦車が6両。もしかしたら、明日の自分かもしれない屍達。 振り返りはしないと思い、振り返って黙祷。夕日は見えず、明日の行方も分らない。 「明日はいずこか・・・」 呟きは雪風に乗って、消えた。 ミッション14へ戻る 書庫へ ミッション15bに続く |
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