ミッション11 ストーンヘンジ攻撃〜STONEHENGE OFFENSIVE〜
何時だって変化は突然やってくる。
望む、望まずと関わらず、変化はどうしようもなく向うからやってくる。
幼い頃の私にとって、変化は自ら手に入れるものではなかった。
けれど、他人から与えられるものだったかというと少し違う。
親に捨てられることも、孤児院に拾われることも、ある日の俄か雨のような突然のことだったのだ。
強いて言えば・・・気がついたらそうなっていたというのが正解に近い。
幼いころはその理由が知りたくて運命論や宿命、それが至ってオカルトに随分と没頭していた時期もあった。
けれど、今はそれが無意味なことだと知っている。
それは諦観でもなければ、大人になったからだとか、そんなつまらない理由ではない。ただ、私は答えを知ってしまったのである。
初めて孤児院で兄くんに会った時、誰も近づけないほど恐かった兄くんに最初に声を掛けたのは私だった。何があろうと声を掛けずにはいられなかったのだと、私は覚えている。
狂おしいまでの熱情と言うのだろうか、幼かった私には突然の感情の変化についていけず魔法の呪いでも掛けられたのではないかと、おかしな勘違いをしたものだった。
そんな風にしか思慕を理解できないくらい、幼かった私は壊れた人間だった。
オカルトに没頭して、一日中暗い地下室に引きこもって本を読んでいた。本で得た知識を使って回りの人間を遠ざけていた。
同じ世代の子供と自分は違う、運命や宿命というものを理解しようとするずっと高尚な人間なんだと、周りを見下して自分を孤立させていたのだ。
私は特別、私は魔法使い、私は黒魔術師。人とは違う、全く違う特別な存在。もしも、あのまま兄くんに出会わなければ、私はきっととても嫌な人間になっていただろう。
あの時、世界は私を中心に回っていた。
けれど兄くんに会ってから、私は自分からその世界を破壊した。誤解を恐れないのであれば、私は半ば兄くんの奴隷のようなものだった。
私の耳はいつだって兄くんの声を拾おうと必死だったし、兄くんに触られるたびに体は指先まで幸福に震えた。腹いせに打たれたときでさえ、私は内心兄くんの注意を独り占めできることに喜びを感じた。
いつでも、私は兄くんを追いかけ、兄くんの温もりを探していた。それはそれで随分と極端なのかもしれないが、それでも世界は劇的に変わったのだ。
運命や宿命などなくても、世界は、私はすっかり変わってしまった。
そして兄くんも今ではすっかり変わってしまっている。
孤児院に来た時には、刃物のように剣呑だった兄くんはもうどこにもいない。ヒナと遊んでいる時の兄くんは、どこにでもいる普通の人だ。
私も、兄くんも変わっていく。運命などなくても人は変わっていくし、自分の意思で、惹かれる人の意思でどうとでもなるものだと、私は知った。
けれど、どうしようもないことも沢山ある。
例えば、明日の天気や、或は他人の意図的な悪意など、不意に躓いてしまう石ころは人生には驚くべくほど転がっている。
それが戦争中というのなら、なおさらのことだった。
頬に熱風と衝撃を感じたところで、世界は横倒しに倒れた。
それが自分が野原に転がっているだけなのだと気付くのにたっぷり1分はかかったのではないかと思う。
空にいるときならともかく、地上の日常に合わせていると、酷く感覚が鈍感になる。地上の動きは酷くスローモーションで、秒単位で進む空の戦いからすれば、苛立ちさえ覚えるほどだった。
その所為だろうか、焼けるような痛みを感じて反射的フライトスーツの右袖を押さえた時、右袖はもう随分と赤く滲んでいた。
指先の感覚はあるので、軽い裂傷というところだろうか・・・血の染みは一度乾くとなかなか落ちないから困ったな、と出血の割には意外と冷静だった。
昼下がり、街から戻ってちょうどお昼にしようかと基地代わりに使っている高速道路の傍の野原に腰を下ろしたところで横合いから吹き飛ばされた形だった。
「千影!」
と、兄くんが顔を真っ青にしながら叫ぶ。
怪我をしている私よりもずっと兄くんの方が冷静さを失っているように見える。これでは指揮官失格だ。
困ったものだな、と思うけれど心底心配してくれている兄くんの顔を見ていると、それも悪くないかなと思ってしまう。
そう、悪くない。ずっと何やら忙しい兄くんと最近殆ど会話らしい会話もしていないのだ。
だから、もう少し倒れていたかったけれど、このままでは兄くんが心配のあまりに死んでしまうので、なんとか体を起こした。
「千影、大丈夫か!?」
「中丈夫と・・・いったところかな」
もう、すっかり右袖は血でぐっしょりと濡れていた。
意外と出血が止まらない。
「ふざけている場合じゃないんだぞ!」
「大丈夫さ・・兄くんはちょっと・・・・心配しすぎなんだと思うよ」
動転している兄くんを放っておいて、私は爆発の来た方向を探した。とりあえず、空爆や砲撃の類ではないだろう。中東に派遣された時に砲撃も空爆も味わいつくしている。
おそらくはテロか、或はレジスタンス活動とか呼ばれるものだろう。
思わずこみ上げる吐き気に口を手で押さえた。
レジスタンス、パルチザン。それは勝者、敗者、双方にとっての悲劇だ。中東で、勇敢なユダヤ人市民の抵抗が町一つを消滅させる掃討作戦の呼び水なるのを何度も見てきた。
「千影、しっかり傷を押さえていろ!」
流石に私一人にかまけているのは不味いということは分っているのだろう、兄くんは火の手の上がるハンガーの方へ走っていく。
痛くなるほど強く握りしめられていた手は自由になったけれど、一抹の寂しさは隠せない。一度くらい振りかってくれれば、少しそれも和らぐのだけれど、こちらに背中を向ける兄くんはそれに気付きもしないだろう。昔からそうだったので、もう慣れていた。
「そういえば・・・あそこには私のエンジンがあったな・・・」
オイルにでも引火したのだろうか、ハンガーから吹き出る煙は収まるどころか、赤い炎が蛇の舌のようにちろちろ黒煙の中から見え隠れしていた。
ハンガーにいた整備員達は絶望的かもしれない。もちろん、エンジンも。
ようやく届いた新品のエンジンが燃えてしまうのは困る。連合軍が上陸してから補給は混乱していて、次の補給はいつになるか分らないのだ。耐用時間の過ぎたエンジンを使い続けるのはあまり好ましくない。ようやくエンジン交換ができると思ったのだが・・・・この分ではしばらく交換は絶望的だろう。
それを狙ったのだとしたら、テロ屋もなかなか良いところを衝いているかもしれない。
「おねえたま!」
しばし赤い炎をぼんやりと見ていた私は不意にあらわれた声の主への反応が遅れた。
それは黄色い弾丸とも言うべきで、気がついたらお腹にめり込んでいた。
「ぐうぅ・・・」
「おねえたま、大丈夫?痛くない?」
正直、冷や汗が流れた。
兄くんはいつもこんな深い正拳突きに耐えているのだろうか、よく体を壊さないものだと関心する。
「私は・・・大丈夫さ」
「でも、いっぱい血が出てるよ!」
涙をいっぱいに目にためてヒナは言う。
つたない手つきだが、懸命にハンカチで傷口を縛ろうと一生懸命だった。たちまち花柄のハンカチが赤く染まる。
「ハンカチが・・・汚れてしまうよ・・・・」
手で押しのけようとするけれど、片手では上手くいかない。
そうこうしている間に、もう血は洗い落とせないくらいに染みこんでしまっていた。
すぐに衛生兵が包帯をあててくれるのだから、全く汚れ損である。その気遣いは何よりも清らかだと思うけれど。
「でも、でも、でもでもでも・・」
私はそっとヒナの両頬を伝う涙を拭った。
「泣かないでおくれ・・・ヒナが泣くと・・・私も悲しい」
何よりも悲しいと感じるのはヒナが泣いてしまうことだった。
兄くん以外で、こんな感情を持ったことは初めてだった。
そう、例え私を捨てた生みの親がどれだけ惨い死に方をしても私は眉の根一本動かさない人間だ。兄くん以外の全ての人は私にはどれもこれも同じ顔にしか見えない。
他人なんてどうでもいいと思っているのだ。
けれど、ヒナはその他大勢にカテゴリーすることはできない。
どうしてもできない。
そんな考え、思考の端にさえ上らないほどに、ヒナは代えがたい存在だった。
「・・・返事は?」
「う、うん。じゃなくて、はーい!」
「ヒナは・・良い子だね」
決壊寸前だったヒナの両目のダムはあと1歩のところでなんとか踏みとどまったようだった。
頭を片手だけれど、くしゃくしゃと撫でていると涙はいつの間にか消えてしまう。
「くしし〜」
さっき泣いた鴉がもう笑っていた。
それが嬉しくて、もっと頭を撫でてしまう。いつの間にか傷の痛みをどこかへ飛んでいってしまった。
「・・・ヒナ・・・この戦争が終わったら・・・家においで」
いつか話そうと思っていて、ずっと迷っていた言葉はするりと唇から離れていた。
「うん、ヒナ絶対に遊びに行くよ!」
「いや・・・そういうことでは・・・ないんだけどね・・・」
元気よく返事をするヒナは首を傾げて見上げている。
まだ、少し難しい話だったかもしれない。
けれど、もう決めてしまった。兄くんは反対しないだろうし、北海道に買ってある新居は部屋がいくつも余っている。いずれその全てを埋めてしまうつもりなのだけれども、最初はヒナがいいと思った。
ここは詳しく、真面目に話しておかなければいけない。
新しく家族になるのだから。
「つまりだね・・・」
けれど、間が悪いことに突然のサイレンが私の声を掻き消してしまった。
すっかり音が割れてしまった古いスピーカー。まるで枯れた老女の悲鳴のようなサイレンが酷く耳に痛かった。
まるで、私に過酷な現実を思い出せと言わんばかりに、悲鳴が止まらない。
「おねえたま?」
耳が痛いのか、ヒナは耳を押さえたまま言った。
「この話の続きは・・・帰ってからにしよう」
結局、包帯を巻く暇さえもなかった。
花柄のハンカチをきつく縛りなおす。出血は止まっていた。
スクランブルアラート、この基地でスクランブル警報が鳴る事態というのは一つしか考えられない。ストーンヘンジが狙われている。
「そうだ・・・ハンカチを貸しておこう」
確か、フライトジャケットには入れっぱなしになっているハンカチが1枚や2枚はあるはずだった。洗濯をしようと思っていても、いつも雑務に急がされて忘れてしまうのである。
幸いなことにハンカチは直に見つかった。少し皺がよっているけれど、十分にキレイなハンカチだ。
「ちゃんと・・・洗って返すからね・・・それまでそのハンカチで我慢してほしい・・・」
「うん、おねいたまのハンカチはとっても良い匂いがするの」
クンクンと鼻にハンカチをあてているヒナの頭を一撫でして、駆け寄ってきた整備員からヘルメットを受け取る。
左手にはヘルメット、右手には整備チェックリスト。
歩み寄る先には一機の黄色い巨大な戦闘機。
世界で最も進んだ航空技術の結晶、ただの人間を妖精に変える魔法の機械。
タラップを駆け上がり、コクピットに滑り込んで用意しておいたパラシュートのハーネスに腕を通す。
シートベルトで体をきつく、きつく固定した。そうすることで機体と体の境がなくなるような、そんな気がするのだ。
JFSを回し、地上の整備員が走って離れるのももどかしく2基のエンジンに点火する。
データーリンクでスクランブルオーダーを仕入れながら、タキシング。スクランブル配置になっていたからタキシングする距離は極僅かだった。
滑走路の端でラスト・チャンス・チェック。駆け抜けるようにしてベテランの整備員達は最後のチェックをしてくれる。
「オール・グリーン、グッド・ラック」
引き抜かれる通話ジャック、一瞬のノイズ。
ミサイルセイフティーピンを握った整備員の手が大きく振られる。
もう、何もこの巨大な戦闘飛行機械を繋ぎとめるものはない。
エンジンはアイドルからミリタリーMAX、アフターバーナーON。軽く座席に体が沈む感覚、操縦桿にはゆるやかなバックプレッシャー。
火の消えたばかりの滑走路を蹴って5機のフランカーは空への階段を駆け上がる。
まるでワイヤーに括られたかのような、完全なエレメントを描く編隊離陸。
基地上空で旋回して5機の黄色いフランカーは東へ機首を振り向けた。
完全な横一列のコーナーリング、地上で帽子を振って見送る整備員から歓声が上がる。
雛子もその中の一人だった。
もっとも、高速で飛ぶ巨大な戦闘機が5機同時タイミングで旋回することが如何に高度な技術を必要とするかなど想像の埒外でしかない。
ただ、全く同時に旋回する5機の飛行機の内、自分の好きなおにいたまの乗っている飛行機だけが鋭く飛行雲を引いたことが酷く印象的なのではしゃいでいただけだった。
その大好きなおにいたまに寄り添うように、2番目に大好きなおねえたまが飛んでいく。
不本意な対地攻撃に狩り出される時は違う、爆装をしない軽がるとした機体。
地上で手を振る雛子の声援はもう届かない。遥かな空の高みへと昇っていく黄色い妖精。
けれど、それは交換すべき部品を交換しないままの機体だったのだ。
「ダメです!レッドフラッグ・ホワイフラッグ、共に通信途絶。レーダーからもロスト。全機撃墜された模様!」
悲鳴を上げるオペレーターの金切り声に部屋の温度は3度下がった。
だが、それを気にする人間はここには一人もいない。己の職分に持てる全力を投射しているのだ。それに戦闘指揮のために用意されたコンピューター群を冷やすために地下の戦闘指揮所は長袖が必要なほどの冷房が掛けられている。今更3度や4度下がったところで大して違いはない。
けれど、どれだけ冷房を効かせても一度火がついた焦燥の炎は消せない。
火を噴くほどの焦燥に駆られた司令官は遂にそれまで護ってきた沈黙を捨て去った。
「本当に我が軍の兵士は戦争が出来るのか!?」
それは客観的に考えれば全く不当な評価だった。
ストーンヘンジを幾重にも取り巻く対空防衛網、KS−19重FLAKや首都新潟を除けば東日本唯一のS−300、NATOコードではSA−10グランブルと呼ばれる弾道ミサイルさえ叩き落す最新の中距離SAMが1個中隊、さらに低中空用のZU−23を初めとする各種対空機関砲と従来型のSA−6、SA−17、SA−11などSAMも各1個連隊が配備されていた。
さらに厚木、入間、百里には強力な戦闘機部隊が展開し、ストーンヘンジの砲撃を合わせて絶対的とさえいえるほどの防衛体制を敷いていた。
関東に築かれた銃火と硝煙の園、対空防衛システムのある種の極北。けれど、連合軍の繰り出した鋭槍は何重の防御を破って、巨人の心臓に死を打ち込もうとしている。
巡航ミサイルの飽和攻撃、その対応に忙殺された隙を突く対レーダーミサイルを用いたSAED攻撃。迎撃に上がる戦闘機を迎え撃つ制空隊と全滅を賭してレーダーサイトを破壊した特殊部隊の活躍。
膨大な流血と破壊は今やある一点に向かって収斂し、致命的な毒を巨人に持ち込もうとしていた。
そう、全ては東日本の空を支えるアトラスを打ち倒すための布石。
気が遠くなるほどのの死と破壊に曝されながら、人道を省みないところのある東日本軍にさえその精神構造を疑われつつも継続された作戦は、ストーンヘンジの懐に最精鋭部隊を送り込むことに成功していた。
「ナイト小隊、敵攻撃隊に取り付きました。エンゲージ!」
一瞬、悲鳴と怒号が渦巻く指揮所を沈黙が支配する。
それは神に捧げる祈りにも似ていた。
神に頭をたれるように見たレーダースクリーンでは友軍を示す青いブリップと敵を表す赤いブリップが重なり、数十秒後赤いブリップは一つ数を減らして、青いブリップは全て人々の目から消えた。
「ありえん!」
司令官の絶叫が再び指揮所を悲鳴と怒号の坩堝へと押し返した。
それを押し潰すように重低音。
米空軍の誇るGBU−28徹甲爆弾さえ貫通を許さない地下指揮所まで伝わるストーンヘンジの砲撃。
けれど、巨人の怪腕は敵機を捕らえることができない。
本来は弾道ミサイルを叩き落すために建造されたストーンヘンジは俊敏に立ち位置を変え、低空を飛ぶ航空機を捕らえられない。
地上で爆発させるという方法も無くは無いが、それをすると外周の対空機関砲群が死ぬ。
いっそ突入されるくらいなら外周の対空機関砲群を犠牲にしてでも、と司令官が考え及んだところで、連合軍のストーンヘンジ攻撃作戦“ストーンクラッシュ”は最終段階を迎えた。
レーダー上でストーンヘンジ目掛けて突進していた青いブリップは突如として反転、離脱していく。
地下指揮所には安堵のため息が溢れた。
敵は作戦の遂行を断念したと、ストーンヘンジを目前にして反転した敵機を見ればそう思えなくも無い。
だが、これまで連合軍が渡ってきた血の濁流を思えば、それはありえない。
彼らの甘い考えを非難するように、レーダースクリーンは光を放つ。ブラックアウト。
もはや何も映さなくなったレーダーを目前にして指揮所に詰めていた人間達は呆然とする。それが反転した攻撃隊の放ったAGM−88対レーダー高速ミサイルによるものだとは考えも及ばない。
ただ、自分達の最も頼りにしていた電子の目が完全に封殺されたことだけが、事実としてそこに起立していた。
そして、連合軍の最後の一撃が巨人に忍び寄る。
「第11号哨戒艇より、ストーンヘンジへ向かう多数の敵機を発見。到達まで後3分25秒!」
ここに至って、もはや全てのスタッフは声を失っていた。
さらに留めを刺すように訃報が届けられる。
「第156戦術戦闘航空団より入電、『我レジスタンスの妨害により出撃が10分遅れる』とのことです」
「ありがとう、少尉・・・もう、いい」
一気に十年は老けてしまった司令官が疲れた声で言う。
誰尾が言葉を失っていた。葬列のように、司令部は静まりかえっている。
そんな空気を掻き分けるように、司令官は右手を挙げる。
それは彼が命令を下す時にする、ある種の癖のようなものだった。だが、それすらも今は萎れて見える。
「対空砲は各個に射撃。耐爆ドアを閉め。予備電源の確保を急げ」
そして一息に、
「来るぞ」
空になった増槽を捨ててストライクイーグルは少し身軽になった。
捨てられた落下タンクが海におちて、亜音速で海面を抉って水しぶきを上げる。
水しぶきは6つ、水しぶきの出来た数だけストライクイーグルが飛んでいた。
海面クラッターに紛れる超低空飛行、内陸から攻撃を仕掛ける別働隊にストーンヘンジが気をとられている隙に種子島から出撃した奇襲部隊が海側からストーンヘンジを叩く。
この一撃を確実にストーンヘンジへ送り込むためだけに、今日大勢の人間が空に散った。
この一戦は負けられない。皇国の興廃はこの一戦にありと、仲間同士でふざけあったものだった。
操縦桿を握りなおす。沖縄を出てから旧東京のストーンヘンジまでずっと低空飛行を続けてきたのだ。高波の飛沫を吸い込んでもう2機が脱落していた。荒れる海は空を飛ぶ鷲まで飲み込もうとしている。
「さくねぇ、船だよ」
高度計に気をとられていて、海面に注意が回らなかった。
視線を上げたときには、船はもうどこにも見えない。
「通報されたかな?」
「哨戒艇みたいだったしね」
だったら、通報されたと考えるべきだろう。
「どのみち、もう戦闘機は無視していいけどね」
もうそろそろ、ストーンヘンジが肉眼で見える距離だった。
普通は、目標の見えないところからスタンドオフ兵器で叩くのだけれど、ストーンヘンジはスタンドオフの間合いからでさえ肉眼で見えてしまう。
シュミレーターではあまりの大きさに遠近感が狂ってしまうほどだった。お蔭で何度やり直しさせられたか覚えていない。
「無線封鎖を解除シマス。咲耶姉チャマ、お元気デスか?」
「まだなんとか生きてるわよ」
「それは良かったデス〜」
微妙に気合が抜ける四葉ちゃんの挨拶だった。
まあ、四葉ちゃんファンクラブのメンバーによれば、この脱力感が精神をリラックスさせ、スコアの増進に良い影響を与えるそうなのだが、何となくイヤだ。
「今すれ違った哨戒艇からブーストされた無線暗号が発信されマシタ。それに3分前にエレメント中隊がストーンヘンジの防空レーダーを破壊シマシタから、もう無線もレーダーも使っていいデスよ〜」
「そうなんだ、じゃあさっそく」
今まで暇だった衛ちゃんは嬉しそうにFCSのスイッチを入れた。
レーダー警戒受信機だけ動かしたパッシブサーチから、AN/APG−70レーダーをフルに使うアクティブサーチへ。
MFDにRBM合成口径レーダーモードに入ったAN/APG−70がストーンヘンジも全貌を書き出していく。
私は慌ててMFDの解像度を修正した。低解像度ではとてもスケールが大きすぎてMFDに表示しきれない。
「もう直、陸地が見えるはずデス。ストーンヘンジはそこから直なのデス〜」
「オーケー、海岸が見えてきた」
海岸線、種子島から長い付き合いだった青い海を灰色のコンクリートがとって代わる。
同時に対空砲火の煌きが視界の端を流れて消えた。攻撃隊は高度を上げる。
次々にそれまで地面にへばりつく様に飛んでいたF−15Eストライクイーグル達は舞い上がり、その全能力を解放する。
AN/APG−70はRBM合成開口レーダーモード。解像度は20海里で数10センチ、超精密地図を作りだし衛ちゃんがロックオン。照準用LANTIRNにデーターがつながって、さらにセンチ単位の照準へ移る。
「今日まで、たくさんの英雄がストーンヘンジの前に散ってきマシタ。そろそろ新しい英雄が必要デス。全機必ず生き残ってください」
まるで祈るように四葉ちゃんは言う。
私は四葉ちゃんがここ数週間ずっと朝に教会でお祈りをしているのを知っている。
「オーケー、努力してみるわ」
「努力じゃないデス!絶対帰ってこないと四葉は泣くデスよ!」
「分ったから、耳元で怒鳴らないでよ。ちゃんと帰って、みんなで美味しいものを食べにいくんでしょ?」
それは出撃の前にかわした約束だった。
「それに四葉に借りたお金も返すデスよ!」
それは忘れて欲しい。
「2人とも、静かに」
衛ちゃんに怒られた。
バックミラーで垣間見た衛ちゃんは真剣な、それこそ彫像か何かを彫っているような繊細な手つきで左右のスティックを動かし、それにあわせて赤外線カメラが首を振って照準を合わせる。
パイロット席のMFDの中で、ストーンヘンジの脆い部分が次々に照準されていく。
随分前にエスコートした亡命科学者達が教えてくれたストーンヘンジのアキレス腱。
番えられた矢はGBU−15赤外線画像誘導爆弾が4発、静かに解放の時を待っている。
行く手を阻むように、スコールのような対空砲火が鉄火の垣根を築いていく。それはさながら炎でできた壁だった。
機体が対空砲弾の爆発に不規則に揺れる。
「衛ちゃん!」
「後少し!」
鈍い衝撃と同時にフラップが一枚持っていかれた。
けれど、それだけだ。まだ飛べる。
後続の編隊にも脱落機はいない。
「せめて、あの向うまでいかないと」
衛ちゃんは涼しい顔をして恐ろしいことを言ってくれる。
一瞬、MFDを見ている衛ちゃんにはあの鋼鉄の嵐が見えていないのではないかと思ってしまった。頭を振って馬鹿な考えを打ち消す。
衛ちゃんは病み上がりの体でストライクイーグルのWSOの選抜を潜り抜けた“ライトスタッフ”の一人なのだから、万が一にもそんなことはありえない。
衛ちゃんがそう言ったのなら、そうなのだろう。あの鉄のカーテンの向うまで飛ばなければいけないのだ。
「さくねぇ、出来る?」
エルロンを掠めた曳航弾の擦過音を聞きながら衛ちゃんは言う。
「そう聞かれて出来ないって言うわけにはいかないじゃない」
本当に、私を乗せるのが上手いんだから。
「信じているよ、さくねぇ」
「前にも言ったけど、そんなことずっと前から知ってるわよ」
炎の壁が目前に迫る。
スロットルを握る左手の震えを叩いて消した。
「聞こえてる?みんな。一度しか言わないからよく聞いて!」
いったいあの壁に飛び込んで何機が生きて突破できるだろうか、全く予測がつかない。
けれど、やらなくちゃいけない。
もう、ここに来るのは私達が最後にしないといけない、これはあまり楽しい仕事じゃないから。
これは他の誰かに代わってもらうには、あまりにも楽しくない。
だから、ここで私達が終わらせる。
「全機、私のケツを舐めろ!」
スロットルを押し込んだ。ミリタリーMAX、アフターバーナーON。
イーグルは鋼鉄の嵐へ飛び込んだ。FLAKの射撃がすぐさま機体を捉える。
東側のベストセラー高射砲S−60の弾幕射撃。1個連隊全力の射撃が作りだす炎のキルゾーンは30uに達して、4機の鷲を包み込んだ。イーグルはECM作動、レーダーの射撃統制を妨害する。
高射連隊はフラットフェースレーダーからECM対抗のためにローライトテレビに切り替える。PUAZO−6レンジャー照準算定機が照準を算定し、射弾を送り込む。
けれど、イーグル達はそれを裏切る。
着陸用のエアブレーキを全開、機首上げ45度。全力から一機に失速寸前まで速度を殺して、さらに高度をずらす。
算定した未来位置はイーグルが速度を殺したことから、ずっと遠い未来位置へ飛ばされた。慌てて修正するが、イーグルはアフターバーナーを焚く、さらに降下。速度を取り戻す。照準はまた外される。
高度を落したイーグルを今度はZU−23対空機関の群れが捉える。
ECMの効かない目視射撃、精度は最初から期待していない。数を頼りにした弾幕射撃。曳航弾の光が空へ伸びて鎖のように空を繋ぐ。
迫る鉄鎖をイーグルは機体を滑らして逃れる。ストライクイーグルは更に降下。かつてストーンヘンジ建造のために築かれた港湾の廃工場群へとその身を沈ませる。
機体は音速を超えてマッハ2に迫る、コンクリートで跳ね返る音速衝撃波をさらに置き去りにしてイーグルは飛ぶ。トタンが宙を舞い、それに塗すようにガラスが砕けて舞う。やわなバラックは一瞬で崩壊する。
対空砲の嵐は一瞬なりを潜める。工場群に隠れるように配置された対空砲は俯角限界。工場の屋根に配置された対空機関砲は射撃を続行、高俯角射撃の弾列が打ち捨てられた廃墟を撃ち崩す。
ストライクイーグルは障害の少ない大通りを舐めるように飛ぶ。
廃棄された東日本の木製自動車達は沈黙のうちに衝撃波に弾き飛ばされる。
――――――歩道橋!
4機は咲耶に続いて、下へ逃れる。上に逃れた1機は弾列につかまる。
バランスの崩れたイーグルは巨体を廃工場に埋没させ、そこで吊っていたGBU−15スマートボムのエネルギーを解放させた。
けれど、それを見取るものはない。
大通りは行き止まり、先頭を飛ぶ咲耶は右旋回。正面の建つ東日本共産党支部が衝撃波をうけて倒壊、ほぼ直角に曲がる鷲のラインを後続機がなぞる。なぞれない1機は朽ち果てた廃ビルに突入してそこで果てた。
最後の左旋回、視界が開ける。
あれだけ猛っていた火線も沈黙した。
ストーンヘンジの射撃で吹き飛ばされないように、安全地帯が設けられているとは知っていたけれど、まだストーンヘンジは遥か彼方にあった。
これ一つとっても、ストーンヘンジがどれだけデタラメなのかよく分る。
けれど、このデタラメな巨人ももう終わりだった。
「さくねぇ、照準出来たよ」
「オーケー」
軽く返事を返して、もう一度だけ沈黙を保つ巨人に目をやった。
ランターンの赤外線画像で何度も見たけれど、肉眼でもう一度見ておきたかった。例え破壊と殺戮のためにつくられた戦闘兵器であったとしても、このスケールはエジプトのピラミッドに匹敵すると思う。
万里の長城、ピラミッド、そしてストーンヘンジ。
気の遠くなるような労力と人の英知の結晶。生まれてくる時間と場所が違っていたら、きっともっといい結果を残せたのではないかと思う。
でも、九州の山奥で追い掛け回されたことを忘れたわけじゃないのだ。
きっちり、ツケは払わせてもらう。
兵装コンテナは完全固定、ロックオンの電子音は軽やかで、唸るF100−PW−229ターボファンエンジンはいつもどうりに頼もしかった。
「バイバイ、ストーンヘンジ」
ふっと機体が軽くなる。右旋回、ブレーク。
スタンドオフのGBU―15は滑空、予めメモリーに記憶されたLANTIRNの赤外線画像を目指して空を滑っていく。
ストーンヘンジに動きはなかった。最後の一撃を放つというわけでもなく、ただ自分運命を受容するように、まるで本物の環状遺跡になってしまったかのように、ひっそりと静まりかえっていた。
まるで墓石。8つ並んだチタンとべトン、電子回路で出来た墓地だ。
今日この国の空で死んだ人の数を考えれば、あれくらいの墓石が8つくらいは必要なのではないかと思う。
それは錯覚だと知っているけれど、悲劇を理解する心がなければ、人間はおしまいだ。
私が物思いに沈んでいる間にもGBU−15は目標への突進を続けていた。
Mk86、2000ポンド爆弾を弾頭に使うGBU−15は8枚フィンを操作して、メモリーに記憶された画像と同じ目標へ自己を導いていく。
1発3000万円もする高価なGBU−15は第二次日本戦争がはじまってからでも、数えるほどしか用いられたことがない。高価だからだ。ビンテージのポルシェ3台を空から捨てるようなものである。けれど、相手がストーンヘンジであるのならば、例え100発投下してもお釣は有り余るほどあるだろう。
ストーンヘンジを最初の襲った破壊は咲耶の放ったGBU−15による砲台台座への直撃だった。
弾頭のMk86、2000ポンド爆弾がマッハ1.2で突入、重量100トン以上の砲身を支える砲台基部への貫通打になった。
遅延信管はベトンで固められた砲台基部を十分に抉ってから作動。爆発で微妙なモーメントで支えられた120メートルの砲身がお辞儀をするように崩れ落ちる。砲口がコンクリートの地面を抉って、砕ける。砲身を支えられなくなった砲架は自壊。
続けて、第2撃。
分厚いベトンを突き抜けてターレットリングに抉り込んだある一弾はそこでエネルギーを解放した。爆発の外部認識は極々小規模な煙とコンクリートが僅かに飛散した程度だったが、ストーンヘンジを旋回させるはずのリニアレールを完全に崩壊させた。もはや巨人は二度とその体を躍動させることはない。
ストーンヘンジに降り注ぐあらゆる破壊。
爆風が、炎が、衝撃波が、ストーンヘンジを覆いつくしていく。爆発の黒煙が東日本の空を支え続けてきたアトラスを隠し、その下でムスペルヘイムの業火が巨人を焼いていく。
一陣の風が吹きぬけ、煙のヴェールが剥がされた時、もはや8つの巨人はその姿を地上から消し去られていた。
不気味なほどの沈黙が攻撃隊の無線を埋める。
最初に沈黙を破ったのは衛ちゃんだった。
「はは・・・勝った・・・ストーンヘンジを倒した・・・」
それはまるで誰かに確認をとるような、宝くじで前後賞合わせて3億円取ってしまった人間が現実から遊離する心を繋ぎとめようとするような、奇跡と呼ばれるものに遭遇した人間特有の虚ろな顔と震える声だった。
「うん、勝った。巨人の最後よ」
震える手を取って握ったせいで、私まで震えが伝染してしまった。
そんな微弱な手の震えさえ感じ取って、ストライクイーグルは機体を揺らす。
それがまるでイーグルまで衛ちゃんと同じ病気に罹ってしまったのではないかと、私は不安になるほどだった。
また、沈黙が隊内の無線を埋める。
けれど、それは爆発の前に来る、嵐の前の静けさのようなものだった。
そして、爆発。
知らない内に、喉が震えて私達は意味不明の叫び声を上げてしまっていた。
体の奥底から湧き上がる衝動、それは言葉に翻訳するには早すぎて、最も単純な形で口から溢れ出た。止まることをしらないのか、私はずっと口を開けっ放しにしていた。
直に息苦しくあって叫ぶのを止めた。アホだ。呼吸するのを忘れている。
「イヤッホー!ホントにやっちまったぞ、俺達!」
「見ろよ。あのストーンヘンジが粉々だ!」
「お姉ちゃん。仇は討ったからね!」
「よしっ!よしっ、よっしゃあ!」
それぞれがそれぞれのやり方で興奮を昇華させていた。
人の言葉で表現できるぐらいには冷めてしまっている。けれど、まだ底の方でちりちり燻っていた。どんな言葉が出てくるか、自分でも楽しみだった。
「あのさ、衛ちゃん」
「なあに、さくねぇ?」
ハーネスを外して、後ろから手を回して体重を預けてくる衛ちゃん。
首筋にあたる二の腕はどきどきと脈打っていた。とっても熱くなっている。
「私達・・・やったんだよね・・・?」
「うん、やったよ」
首元へかかる息は甘く、優しかった。
「ありがとう、衛ちゃんがいなかったら、ここまで来れなかったわ」
「ボクだって、一人じゃ来れなかったよ」
後ろから回された手をとって、両手で包み込んだ。
じんわり、フライトグローブを挟んでいても、衛ちゃんの温かさが染み出してくるようだった。
「あのぅ・・・皆さん、まだ終わったわけじゃないデスよ?ただでは帰してもらえないようデス」
突然の割り込み、四葉ちゃんの声はこっちの緩んだ空気とは反対、緊張に震えていた。
ああ、そうだ。まだ彼らが来ていない。元々彼らはストーンヘンジを守るためにあるのだから、出てくるのが当然だ。
「所属不明機が5機、高速接近中。マッハ2以上、レーダーの反応からして・・・黄色中隊に間違いありません」
誰もしゃべらなくなった。一気に攻撃隊の空気が氷点下まで下がる。
私も、右肩が疼き始めていた。そこには奴らにつけられた古い傷があった。後席に戻った衛ちゃんは、まるで裸で雪原に放りだされたかのように震えていた。
フラッシュバック、あのギロチンのように降下してきた黄色いフランカーが目に浮かぶ。
「全機、全速で離脱するデス!」
それはとても魅力的な選択に思えた。
けれど、それではダメなのだ。
「待った」
ストライクイーグルは機首を翻す。
「咲耶姉チャマ?」
「無駄よ、今からABを焚いても加速力の差で直に追いつかれるわ。後ろについた黄色を相手なんて、勝ち目はコンマ1パーセントも無いわよ。やるのなら、ヘッドオンからいける今しかないわ」
AN/APG−70はRWSモード。MFDに描きだされる5つの機影。
2発吊ってきたAMRAAMの射程まで後30秒、RWSからTWSモードへ、5目標同時追尾。先頭機とそのウイングマンをロックオン。
AN/ALR−56レーダー警戒受信機のフルコーラス。AN/ALQ−135TEWSはフルオートで対抗ECM、電波のミュージックが見えない鍔迫り合いを始める。
ファントムとは違う。何もかも、次元が違う。
「ストーンヘンジにも借りはあるけれど、黄色には一番たくさん借りがあるのよね。そろそろ返済したいと思っていたのよ」
「ボクも賛成だよ。いい加減、利子もつけてきっちり片をつけたいな」
バックミラーの中で衛ちゃんがウインクを帰してくれた。お返しに突き出した拳を突き合わせて、良い音がした。
打てば響くほどの緊張感、私だけが無闇に突っ込んでいったあの時は違う。
背中を任せられる最高の相棒がいる。
「しょうがないな、付き合ってやるよ」
「ストーンヘンジを倒して、黄色も墜す。これでハッピーエンドだ」
「お姉ちゃんが言っていました・・・明けない夜がないように、醒めない悪夢など存在しない、と」
「手をかしてやるよ、メビウス1」
「悪いわね、みんな」
最強のイーグルと最高の相棒、カッコイイ仲間達。私はすぐに感情に流される弱い人間だけれども、彼らが助けてくれるのなら戦える。黄色中隊が相手だって、今なら負ける気がしない。
しばしの沈黙があって、四葉ちゃんは静かに言った。
「・・・わかりマシタ。四葉はもう止めません。こっちのエースは向こうよりも速い・・・交戦を許可シマス!」
四葉ちゃんの激励を受けて、F−15Eは一際甲高く鳴いた。犬の遠吠えのような、甲高いタービン音。
HUDの中で、兵装コンテナが今だ見えない黄色フランカーに固定される。
単音の電子音がフラットな長音に変った。
「メビウス1、エンゲージ。フォックス3、フォックス3!」
ファーストアタック、先手は咲耶が獲った。
「ミサイル来るぞ、迎撃!」
黄色の13は苛立ちを押し殺しながら敵のECMで撃ちそびれたR−27から、R−73へ兵装をセレクト。
OEPS27、IRSTのパシッブロック。
「フォックス2、フォックス2」
即座に兵装投下スイッチを押し込む、アーチャーがミサイルパイロンから切り離される。
アーチャーはロケットモーターに点火、盛大に白煙を引くが数瞬でそれも消え失せる。ミサイルは加速、最早それは空に浮かぶ小さな点だった。
NSTs−27レーザー測距装置はIRSTの情報を元にAMRAAMを精密測距、移動ベクトルの計算とデーターリンクによる中間アップデート。アーチャーはアムラームとランデブー。インターセプト、成功。
その間に敵編隊との間合いは十分に詰まっていた。
「速いぞ、敵はベテランだ。注意しろよ!」
黄色の13が注意を呼びかけると同時に編隊は散開。敵味方入り乱れてのドッグファイトへと勝負ステージは移った。
反撃の矢を番う。けれど、相手の動きは予想よりも遥かに速い。HMDの視界範囲外へ逃れ、照準できない。
今まで撃墜してきた連中とは段違いだった。敵も精鋭を用意してきたということか。
その中でも一番良い動きをしているのが尾翼にリボンのマークがついたF−15Eだった。こちらとほぼ同等の機動性を発揮している。F−15Eで、である。
リボンつきはヘッドオンからのスプリットSで下から掬い上げるように回り込んでくる。旋回半径は恐ろしく小さく、速い。
「もっと早くに撃墜しておくべきだったな」
心にもないこと言ってみた。本当は嬉しくてしかたがないというのに。
他人は自分のことを最強の戦闘機パイロットと呼ぶ、確かに今まで撃墜してきた敵機は数知れない。けれど、そのほとんどはつまらない雑魚ばかりだったのだ。
何故不意を討たれたのか、何故負けたのか、それすらも理解できないままに落ちていく敵機を何度も見送ってきた。
もう、飽きていたのだ。最強、その称号と同時に手に入れたものは底の知れない“退屈”だった。戦い挑んでくる奴は相手の実力さえ測れない馬鹿ばかり、多少実力のある奴は真っ先に逃げ出す。あいての土俵に下りなければ勝負が成立しない苛立ち、部下の命を預かることへの責任感、正直くたびれていた。
最高度の名刀が鞘の中で錆びて朽ち果てていくような、老いへの恐怖。
だが、それも今日で終わりだ。
目の前のリボン付きは、きっと俺の技の全てを受け入れてくれるだろうから。
「だから、お前は邪魔だ!」
食い下がるストライクイーグル。リボン付きと同じF−15Eだというのに、まるで鷲とペンギンぐらいに差がある。遅い、遅すぎる。
シーザス機動を途中で切りあげ、強引な右旋回からの上昇。敵機は幸いとばかりに後を追ってくる。ミサイル警報、ロックオンされた。ミサイル、AIM−9Lサイドワインダーが2発。
Su−37は迫るミサイルを完全に無視して上昇を続ける。命中まで、後20秒。
そこからスリップするように上昇軌道からスーパーフランカーは引き剥がされる。無理矢理に引き剥がされた気流がヴェィパーとなって白く機体を染める。垂直上昇からのコブラ機動。上昇方向に対して90度オフセット、そこからさらに機首を下げて上昇軌道と機体は真逆、クルビット。
Su−37を追いかけて上昇に入ったF−15Eのパイロットはありえない情景を目にして思考を停止させる。
それを衝くGsh−301の矢弾射撃、NSTs−27レーザー測距装置の精密照準。30ミリ機関砲弾の嵐は秒間70発。F−15EのM61A1ガトリングに比べ初速は幾分控えめだが発射された弾丸重量は1秒間に14kg、M61A1の13.5kgに劣らない。赤く焼けた弾列がF−15Eを切り裂く。
主翼に命中した炸裂弾は3系統あるはずの油圧機構を一撃で寸断、そのままチタン合金製の構造材に致命的な打撃を与えた。主翼桁の構造強度計算限界を超える負荷が生じる。応力係数の飛躍的な増大はすぐさま主翼構造の金属フレームの破断という形で具体化される。それにより主翼表面の流体ベクトルの方向性は著しく混乱し、CASの制御限界を易々と突破した。その結果、機体の正安定性は欠乏し、フライトコントロールを行うコンピューターも圧倒的な流体ベクトル計算エントロピーの増大に悲鳴を上げフリーズした。即座に残り3系統のフライトコントロールシステムが代行を試みるが、いずれも時を置かずしてその機能を停止した。
一連の事象を外部から認識し、端的に表現しようとした場合。F−15Eは主翼を根元から吹き飛ばされて、操縦不能になって墜落したというのが適当であろう。
一瞬で飛行物体から落下物体へ、空の階段をF−15Eは転げ落ちる。
「どこだ、リボン付き」
視界の中にリボン付きはいない。
機体をロールさせて、真下まで探してようやく見つけた。地表ぎりぎりの低空で千影の追撃から逃れようとあがいている。
パイロットの腕が互角なら、後は愛機の性能に勝敗は比例する。単純な結論だ。あまりにもあっけない結論で拍子抜けしてしまった。良い意味で緊張が緩んで、熱くなっていた自分が馬馬鹿馬鹿しくなる。
降下して千影に援護するべきか、それともリボン付きは千影に任せて残りの敵機を狩るべきか・・・一瞬迷う。
その一瞬の迷い、その一瞬でメビウス1のストライクイーグルは次の機動へステップを踏みはじめていた。スタッカートの効いたステップ、逆転のチャンスを掴もうと次の跳躍が始まる。
「しまった・・・」
トリガープル、ぎりぎりまで押し込んでいたトリガーから指を離す。ガンの射程圏内に捉えていたはずの敵機は今や背後に回りこんで、逆にこちらが狙われる立場だ。
千影は燻る焦燥の炎を深呼吸一つで押し殺すことに成功した。
何がどうしてこのようなことになったのかは十分によく分っている。
こちらのR−73の攻撃を降下して加速しながら回避するリボン付きを低空へ追い込んだ、までは良かった。地表ぎりぎりまで追い込まれ、大胆な機動を行う空間をなくしたリボン付きを容易く追い詰めることができた。ガンの射程に捉えたリボン付きに止めを刺そうとしたところで、逆転されたのだ。
リボン付きのF−15Eは左旋回から、アフターバーナーを焚いての垂直上昇。こちらのガン攻撃を辛くも逃れて上空へ逃げようとしていた。Su−37相手に上昇能力で勝負するのは無謀を通り越して無知と言うべきだった。Su−37はSu−27譲りの高い上昇能力を誇る。上昇性能の公式タイトルホルダーがSu−27の改造機、P−42であることからしてF−15の改造機F−15Eでは勝負にならない。
すぐさまリボン付きのF−15Eに追いついた。ガンの射程圏内。無防備な背後をさらすF−15E、その姿に勝利を確信した。
長く続いた因縁もここで終わりかと思うと感慨が感じる。だが、次の一瞬にF−15Eの巨大な主翼を魔法のように翻した。
直に追いつけたのは、Su−37の上昇性能によるものではなく、単純に相手が減速していたからだった。
垂直上昇からのポストストールマニューバー、昔東シナ海で最初にリボン付きと戦ったときに使った失速後機動。
テールスライド、空中で一瞬静止したF−15Eは重力に引かれてこちらの背後に落ちていこうとする。
だが、それは不可能だ。
テールスライドを打つタイミングが早すぎた。これでは単なる的である。今だF−15Eはガンの射程内にいる。
必死で暴れる機体を制御しているのだろうが、全ては無駄骨だった。勝つのは私だ。
勝って、生き残って、兄くんとヒナと暮らす。私の目的はシンプルだった。けれど、勝利への情念は誰よりも強いと確信していた。
エースの称号や軍の地位などどうでもいい。ただ静かに3人暮らせる生活さえあれば、後は何もいらない。誰にも邪魔はさせない。そう、誰も邪魔などできなくしてやる。
ファンネル照準射撃、HMDの逆八字のファンネル照準にF−15Eが収まる。
狙いをつけるまでにかかった時間は1秒もない。けれど、その間にF−15Eは3メートル以上降下していた。
F−15Eのテニスコートほどもある巨大な主翼に隠されていた太陽が、トリガーを引こうとしていた私の目を焼く。
後悔する暇があるほどの間、私の目は何も映さなかった。
「なかなか・・・やる」
レーダー警戒受信機が五月蝿い、ロックオンされている。ミサイル警報。
至近距離からミサイルが1発、AIM−9Lサイドワインダー。
けれど、こちらにはまだ運動エネルギーに余裕がある。速度、エンジンパワー、どちらも不足はない。
まだ十分に回避する余力は残っていた。対地攻撃任務のF−15EにはAAMは自衛程度にしか装備されていない。これでリボン付きは弾切れ、この一撃さえ回避すれば後はゆっくり料理できる。
サイドステイックを引き、スロットルのノブを押し込んでアフターバーナーを点火。
妖精の空間に棲んでいるのは一人だけではないことを教育してやる。
巨大な機械仕掛けの妖精は素直に命令に従って、その身を震わせながら設計者の想像の限界を超えた機動へと飛び込もうとしていた。
けれど、突然の衝撃と同時に黄色い妖精は今までの従順さが嘘のように、手のひらを返して千影の命令に歯向かう。
「何故!?」
問いに答えは帰ってこない。千影を無視するように全自動で消火装置が作動、同時に左エンジンへの燃料供給がカットされる。
耐用時間を越えたエンジンが設計の限界超える機動を前にして悲鳴を上げた格好だった。
それまでの微笑み続けてきた幸運の女神は一瞬にして今までのツケを一気に取り立てようとしていた。バックミラーの中で、薄く煙のヴェールを引いたミサイルが迫る。
妖精はもう飛べない。
反射的に足元の脱出レバーへ手を伸ばした。
それよりも早く、AIM−9Lのアクティブレーザー近接信管がSu−37の巨大な機影を捉えていた。
機体が反射したガリウム砒素半導体レーザーを感光性半導体デバイスに戻り、信管へ起爆信号が流れる。ミサイル爆発。
大量のスプリンターがSu−37を引き裂く。風防が爆風の直撃を受けて砕けた。痛みを感じる暇もなく膨大な空気の塊に押しだされ、外へ放りだされた。
風に煽られる。空に取り込まれ、宙を舞っていた。
空、横方向へどこまでも広がる青い空。断雲が群れていた。手を伸ばすだけでは足りない、目で見るだけでも不十分。届かない、どこまでいって届かない、隔絶された世界。けれど、清浄で静かな世界だった。一切、そこには何も無い。鳥も飛ばないほど高いところ。凍てつくほどに冷えた空気と高みに護られた楽園。空には確かに天国があるのではないかと、私は思う。人がここに来ることが出来るようになったのは20世紀の始め、この世界はまだ人類には遠い世界だった。果てのない世界に体が震える。どこまでも続く空の大きさが恐かった。けれど、これ以上ないくらいに愛した空だった。
もう少しこの静かな世界を味わっていたかったけれど、もう限界だった。眠たくてしょうがない。
兄くんの横顔、ヒナの笑顔。キレイな思い出ばかりが浮かんでは消える。これを人は走馬灯と呼ぶことを思い出す。
ああ、自分は死ぬのか、と場違いに感慨深く思った。恐くはなかった。けれど、残念だった。そして、兄くんとヒナにこれから不幸なことをしてしまうのだと思って心が痛んだ。
瞼が落ちる寸前、風の気まぐれで体が仰向けになる。
上を向けばどこまでも深い青みが広がっていた。月が見える。
暗い、深い群青に浮かぶ白い月。真昼に地上から見る月とは違う、はっきりとこれ以上となく白い月がそこにある。
真夜中に見る月とは少し違う、暗い空に浮かぶ月はまるで夜空に空いた穴のようで、月そのものではないような気がする。
真昼に見るぐんじょうの空に浮かぶ月はこれ以上となくじしんの実存を訴えるものがあった。まるでこんいろのドレスに光るしんじゅのアクセサリーのようで、おもわずみとれてしまう。
でも、もう限かい。もうねむたくてしょうがない。
あにくんがよんだ気がしたけれど、へんじをかえすことさえできない。
ごめんね、あにくん。
でも、きょうはこんなにも・・・
つきが・・・・きれい――――――だ――よ――――――
「こちら黄13・・・黄4の脱出を見た者はいるか」
返事はない。
「だれか、千影の脱出を見なかったか・・・」
それは質問というよりは確認をとるような語調だった。
それも、分りきったことを確認するような、そういう語調。
もちろん、返事はない。
「ありがとう」
返事のない答えを受け取って、礼を返した。
編隊は燃料限界に達して、基地へ戻るために進路を西へ向けていた。基地へ戻るための燃料が足りないので空中給油をうけることになっている。
違う、足りないものがそんなものじゃない。
それは、5機いるはずの編隊機が一機足りないのだ。
いつも傍にいるはずの千影のSu−37がどこにもいない。
Su−37に乗り始めてから、初めて自動操縦装置のスイッチを入れた。自分で飛ばしていたら、何が起きるか分らない。
無線を切って深い溜め息を一つ、底の見えない深い疲労があった。
横風を受けて、機体は微かに震えている。Su−37の自動操縦で翼をバタつかせながら、進路を修正している。 無様な飛び方だった。機械には風を読むことなどできない。
フライトスーツのポケットの一つから、小箱を一つ取り出した。
紺色の化粧箱、中には二組を指輪が入っている。もう、永遠に渡すことができなくなった銀色の指輪。
指輪を一つ、手にとって薬指にはめた。もう一つの指輪も、薬指にはめた。2つの指輪はツヤのある光沢を放っている。もう意味なんて何も無いというのに。
「千影・・・・」
もう何も出来なくなってしまった。
千影とヒナと、3人で過ごす楽しい時間も、未来にあるはずの新しい生活も、もう何もかも全て失われてしまった。
何もしてやれなかった。ガキだったころ、あいつにした酷いこと。その償い。もうどんな言葉も届かない。
プロポーズのセリフも、全部意味がなくなってしまった。
何もかも、終わってしまった。
もう意識を保つことさえ苦痛だった。目を閉じて、リクライニングシートに体を沈めた。
自動操縦の愛機はまだ小刻みに揺れている。それが睡魔を呼ぶようだった。
もう、何も考えたくない、と俺は意識を手放す。眠りにおちるのは一瞬だった。
けれど、千影はもう二度と起こしに来てくれない、と俺は心のどこかで認めていた。だから、泣こうと思う。
心が折れないように、せめて千影を殺したリボン付きから払うべき代価を取りたてるまでは、一人でも空を飛べるように。
眠りにおちる一瞬、見上げた空に月を見つけた。
群青の深い空に白い月は白金の光を放っている。
限りなく黒に近い青い空に浮かぶ月は今にも凍えてしまいそうなぐらいに冷たい。
月は遠すぎて、もはやどんな想いも届かない。
ミッション10へ戻る 書庫へ ミッション12へ続く
あとがき
初めてあとがきを書きます。
まず、ずっと待っていてくれたあなたに感謝を。夏休みは本当に休ませていただきました。9月に入ってスピードアップしていきたいと思いますので、何とぞこれからもよろしくお願いいたします。
さて、いろいろ悩んだ末にこういうストーリーにしました。黄色の13か、黄色の4か、どちらかが散る以外に書きようがなく、やはり原作どおりになってしまいました。やはり原作どおりに進めていきたいと思っています。
というわけで、千影を殺しやがったな!とかいってカミソリメール送るのは勘弁してください(汗
ではでは