ACECOMBATSISTER

shattered prinsess

エースコンバットシスター シャッタードプリンセス







ミッション10 エスコート〜ESCORT〜



「博士!」

「早く行きなさい!」

 そこら中から、自分にはずっと無関係だった戦争交響曲、爆音と銃声、それに曝されてのたうつ兵士の悲鳴の中が轟く中、博士の声は何故か明瞭に聞き取れた。
 燃える研究所、兼収容所のお蔭で、辺りは真昼のように明るい。だが、空を見上げればどこまでも深遠なる夜が続いている。
 新月の晩だった。連合国軍の、救出という名の亡命作戦を決行するには良い夜だった。
 既に生命の危機すら感じるほどの灼熱の中で、博士は悠然といつものスタイルを貫いている。白衣のポケットに手をつっこんで、つまらなさそうに煙草をふかしていた。
 それ自分が絶対に死なないという余裕なのか、それとも恐怖を感じていないのか、非才の自分にはとても分らない。
 だが、博士なら例え真空宇宙に裸で放り出されても、その明晰な頭脳を生かして必ず生き延びるに違いなかった。
 それほどの才覚だった。博士の才能を羨んで自殺すら考えた。

「私はまだこの国でやることがあるの。死んだ特殊部隊の人には悪いけど、亡命する気なんてさらさら無いわ」

「しかし、博士。これを逃したらもうチャンスはありません。それに党は一体どんな恐ろしい復讐をするか・・」

「大丈夫よ。今世紀最高の天才を拷問にかけるなんて、それほどまでに党もイカレじゃないわよ」

「しかし・・・」

 博士は僕の言葉を手で制止して、いつもの気風の気持ちいい笑みを消して、真面目な顔を作った。
 博士のアタッシュケースがリノリウム張りの廊下を転がって、革靴のつま先を打つ。
 微かに痛い。

「その中にある資料を連合国のお偉いさんに渡して頂戴。それが、私がこの国の残る理由。例えそれが破壊兵器であっても、一人の科学者として、あれは絶対に完成させたいの」

 博士はこの火の粉が飛ぶ熱風の中で、なんとも涼しげな笑みを浮かべて言う。
 まるで、遺言を託して全てのしがらみから解き放たれた老女のような、曰く言い難い顔。
 そんな、顔を博士には絶対させたくなかった。
 
「博士・・・」

 ここに至っては、後で罵られることになっても、無理やりにでも博士を連れて行くしかない。
 そんな僕の心の内を見透かすように。いや、見透かして博士は一言。

「ありがとう、でも時間切れよ」

 同時に、窓ガラスが一斉に吹き飛んだ。柱の影に立っていた博士をおいて、僕は砕け散ったガラスを浴びて廊下を転がる。
 耳が焼けるように痛い。耳鳴りが酷かった。
手をついた廊下のぬるりとした感触、驚いて手を放すとガラスの破片が食い込んだ右手は血塗れだった。

「Ka−50ホーカム、攻撃ヘリコプター。気合が入ってるわね、特殊部隊程度なら5分で壊滅ね」

 あれだけの破壊をぶちまけられたのに、博士は傷一つなく、そこに立っていた。
 演算能力は常人の数百倍・・・それにより5分後の未来まで予測できる・・・という噂を今なら信じることができる。

「もっとも、そんなことはさせないわ」

 博士は懐から取り出した小箱を開けて、スイッチを押し込んだ。

「ぽちっとな」

 博士はふざけていたが、博士の仕掛けは大真面目のものだった。
 研究所の庭にホバリングしながら、機関砲弾の嵐をつくりだしていた攻撃ヘリは突然上昇したかと思うと、そのまま機尾から真っ直ぐに地に沈む。
 テイルが自重で潰れ、ローターが吹き飛び、破壊の連鎖が攻撃ヘリは完膚なきまでに破砕する。
 ヘリは炎の塊へ変わる。僕は呆然と見つめることしかできない。

「まさか・・・・Bウイルス?・・・だけど、あれの開発は失敗したんじゃ」

「何言っているの?私の辞書に不可能はないわ、あんまりにも強すぎだったから封印しておいたのよ」

 博士はまたいつもの気風のいい笑みを顔に浮かべていた。
 Bウイルスは次世代のサイバー攻撃兵器として、変調したレーダーの電波を使い、相手のレーダー警戒受信機にハッキング、セントラルコンピューターまで侵食して、コントロール不能にする凶悪な代物だ。
 高度にコンピューター化された現代の兵器システムを根底から崩壊させる究極の兵器になるはずだったが、開発は難航して放棄されたはずだった。
 だが、現実には・・・一人の天才の手によって、いとも簡単に実用化されている。

「さぁ、貸し1よ。さっさとそのカバンを持っていって」

「しかし、」

「しかしも、案山子も、カモシカもないの!」

 怒られた。博士の怒鳴り声など初めて聞いた気がする。いや、初めてだった。
 そんな貴重な体験を遮るように、重い装具を見につけた人間特有の重い足取りが耳に止まる。お迎えが来たらしい。

「さてさて、こわーいお兄ちゃん達が来たからもう行くわ。あなたは私の最高の弟子だったよ!」

「去っていく弟子全員にそう言っているでしょう、博士!」

 僕の問いに博士は笑顔だけ返して、燃え盛る炎の中へその身を躍らせた。
 研究所はもはや火の海で、その中へ入るなんて無謀以外の何者でもないけれど、博士だったら・・・間違い無く、疑いの余地無く無傷でへらへら笑いながら切り抜けるだろう。
 それほどの人物なのだ。
 スタースクレイパー、シャープエッジ、愚人、ジーニアス・ジーニアス。もしも西側に生まれていたら、どれだけの業績を残しただろうかと、僕は時々夢想する。そして、博士の顔を見るたびにそれを打ち消す嵌めになる。
 業績なんて博士は気にも留めないからだ。業績など、博士の遊び散らかして捨て去ったガラクタのリストに過ぎない。
 
「鈴凛博士・・・あなたは最高の先生でした・・」

 国防兵器1号、通称ストーンヘンジの開発主任にして、僕の最高の先生だった鈴凛博士の姿はもう何処にも無い。
 それでも、もう一度だけ、縋るように博士の名前を呼ぼうとしたところで、僕の意識は暗転した。
 ・・・・いや、覚醒した。
 
「皆さん、頭を下げてください!姿勢を低く!シートベルトを締めてください!」

 風が、猛烈な勢いで機内を吹き荒れていた。
 自重の軽いもの、紙くずの類がぽっかりと空いた穴に吸い込まれていく。 
 まるで小型の竜巻が機内で暴れているかのようだった。
 何故かと問えば、ジャンボジェットの気密が破られたからだ。与圧されている客席に穴があけば、気圧差で中の空気は吸い出される。

「博士、姿勢を低くしてください!」

 ごつい特殊部隊の兵士が焦燥を顔に張り付かして怒鳴る。
 僕はおずおずとそれに従うしかなかった。
 しばらく風に吹かれてようやく、僕の回転の悪い脳みそは現実にピントを合わせようと努力し始めた。
 今は東日本からの亡命の途中で、ここはそのためにチャーターした民間機のエコノミークラスの座席、そしてたぶん・・
 
「博士、窓から離れてください!」

 巨大なジャンボジェットが震える。脅えるように震える。
 頭を鞭で叩かれるような衝撃に身をすくめ、そして窓の外にある現実に驚愕した。
 細くくびれた機首、流れるように伸ばされたストレーキ、巨大な主翼は優雅ささえ感じさせる。だが、その翼の下に装備されたミサイルはどこまでそれが戦闘兵器であることを主張していた。
 研究所に篭りきりだった僕だって知っている。そいつは東側最強の戦闘機、Su−27。
 正確には、Su−27をベースに複座化、マルチロールファイター化したSu−27シリーズ最新作Su−30MKJだったが、その時の僕には当然分らなかった。
 だが、手が届くような近距離で旅客機を威圧する戦闘機を僕はただ魅入っていた。
 飛んでいることが不安に思えてしまうくらいに美しい戦闘機。不意にパイロットと目が合ってしまう。いや、合ったような気がした。
 当然、そのパイロットの顔は黒いバイザーに隠されて覗うことはできない。
 だが、確かにそのパイロットはニヤリと笑っていたと思う。
 冷や汗が、機内を吹き抜ける暴風に曝されて一瞬で蒸発する。
 僕はそこでようやく全てを思い出した。
 
 逃亡と追跡のタンゴは、まだ終わっていなかったことに。











「いい天気ね」

「うん、すっごく良い天気だよ」

 バックミラーに視線を向けるとそこには衛ちゃんの笑顔があった。
 私も釣られて笑ってしまう。まるでお散歩に連れて行ってもらう子犬みたいに衛ちゃんははしゃいでいた。
 それもそのはずだった。これは衛ちゃんにとって久しぶりのフライトなのだから。長い間散歩に連れていってもらえなかった子犬みたいにはしゃいだって無理はない。
 それに私だって嬉しかった。またこうやって一緒に飛べる日が来るのをずっと待っていたのだから。嬉しくないはずがない。
 今日は新しく受領した新型機の慣熟訓練、という名の遊覧飛行だった。きっと基地司令が気を使ってくれたのだろうと思う。後で菓子折りでも持っていこうと決めている。朝鮮飴がいいだろう。
 武装もなく、身軽な機体で気楽な空の散歩。
 私の視線は気恥ずかしくて笑う衛ちゃんから離れる。視線は青い空とその空を掻き分ける深みのある黒い翼へと彷徨った。
 巨大な主翼、双尾翼。巨大な推力を生み出す2基のF100−PW−229ターボファン・エンジン。APG−70を初めてとする世界で最も先進的なアビオニクス。膨大な電子システムはもはや一人では扱いきれないほどであり、その為に兵装士官(WSO)が乗り込んで、これに当たる。
 地球上のあらゆる空で、どんな天候でも、どんな相手でも、どんな状況下でも、敵を空から追い出すこと。どこへでも飛んで行き、どんな天候でも、どんな相手でも、どんな状況下でも、どんなものでも破壊できること。
 イーグルの中のイーグル、鷲の王者、メビウスリングを尾翼に描いたF−15Eストライクイーグルは6月の瑞々しい陽光を楽しんでいた
 空は曇り一つなく晴れている。夏も近い6月の青空。
 ジェット気流に引き伸ばされて、長く千切れた綿菓子を思わせる雲だけが頭上にたなびいている。地平線の縁に遠くに入道雲の子供が列を作って並んでいた。空の青は微かに濃淡をつけながら九州の空に広がっている。
 翻って下界を見下ろせば、小さな雲の群が東へ向かって東へ東へと流れていった。
 雲の間から覗く下の世界は、いつもどおりに緑が目に優しい。時折山の中に走る曲がりくねった道路の終末を探して、人の住む町を見つける。色とりどりの屋根を見て、その家に住む家族のことを空想する。
 高度1万メートルから見下ろす限り、世界は平和だった。
 与圧、密閉されたコックピットは静かで、猛々しいF100−PW−229エンジンの轟音も微かに鼓膜に触る程度で気にもならなかった。
 比較対象の無いせいか、まるで飛んでいる実感がない。ただふわふわと浮かんでいるような、どこまでいっても変わらない空模様に意識が埋没する。
 不意に睡魔に襲われた。
 なつかしいシャンプーの匂い、衛ちゃんがいつも使うミント入りのシャンプーだった。ミントなら意識がすっとしても良さそうなものだと思う。けれど、妙に甘ったるい空気だけが鼻の奥に残って、脳が痺れる。
 このままでは眠ってしまう。眠気覚ましに衛ちゃんとおしゃべりでもしようと思って、バックミラーを見やると、

「ぐーすーぴー」

 衛ちゃんが涎をたらして眠っていた。
 無言で新しく新調した精神注入棒、ハリセンを振るう。

「やっぱり、いい音がするわね」

「どうして、そんなに簡単に人を叩くことができるのかな〜非人道的だよ」

 ヘルメット越しでも叩かれると痛いのか、ごそごそとメットの隙間から指で叩いた辺りをなでていた。
 
「ほら、せっかくイーグルの王様に乗っているんだから、フライトを満喫しなきゃ」

「そうだけど・・」

 不満げにいう衛ちゃんを無視して、操縦桿を左に倒す。
 ストライクイーグルは機敏にロール、ロールから更にバレルロール。天地が逆転して、また戻り、それに縦横斜めのGが加わってパイロットはシェイクされる。
 訓練されていない一般人なら悲鳴をあげるだろう、だけど私と衛ちゃんは違う。ようやく狭苦しいシュミレーターから解放されて、実機を駆る喜びにハイになっていた。怪我でずっと飛べなかった衛ちゃんはなおさらだった。

「気持ちいいねーいい飛行機だよ」

「本当ね・・・この子となら、何だってできるような気がするわ」

「そうだね」

 それっきり、会話は途切れてしまう。
 やはり、私の方からきりだすしかないようだった。それはこれから2人でまた空を飛ぶ為に飛行資格以上に必要な儀式だった。
 でも、恥ずかしいのバイザーをおろす。

「あのさ、衛ちゃん」

「なぁに、さくねぇ?」

 外の風景を見ながら衛ちゃんは気のない返事を返す。

「あのさ・・・おかえり」

「うん、ただいま!」

 ぎゅっと後ろから抱きつかれて、あがらう暇もなくバイザーを取り上げられる。
 首に巻きついた衛ちゃんの手と頬をなでる髪は優しかった。
 じんわりと、衛ちゃんの体温が体に沁みこんで来るみたいで、自然と瞼が下がる。
 フライトスーツを濡らす雫さえも、衛ちゃんは温めてくれるようだった。
 衛ちゃんは何も言わない、私も何も言わない。ただじっとお互いの体温を感じている。それが言葉よりも、お互いがあるべき場所に戻ってきたことを教えてくれる。
 月と地球の関係のように、そこになければお互いに生きていけない。私達はお互いに惹かれあう。きっと、この戦争がなくても私達は出会って、こうしているだろう。
 一人きりで乗り込むコックピットの冷たさを知っている私は、もう少しこの温かな温もりに身を委ねていたかった。
 けれど、運命とかいう奴は私の邪魔をするのが趣味らしい。
 軽い電子音、レーダー警戒受信機が警報を鳴らす。
 
「レーダーにコンタクト、アンノウン1、ボギーが4。なんだろう、これ?」

 後席に戻ってしまった衛ちゃんの残り香を名残惜しんで、私は恨めしいRWSモードのMFDを睨みつける。
 巨大な機影のアンノウンとそれを囲むように敵機が4つ。
 
「分らない・・・でも、やけに速度が遅いわ・・爆撃?ううん・・高度が高すぎる」

 現代の爆撃は低空でレーダーを掻い潜っての低空攻撃が主流である。アンノウンの高度はおよそ3000メートル。これでは撃墜してくれといっているようなものだった。
 
「危ないよ、回避しよう。こっちはガンしか持ってないし・・・」

 アンノウンが気にはなっているけれど、衛ちゃんは堅実に安全策を主張する。
 一応、自衛という面目で20ミリガトリングはフル装備されているけれど、ボギーは4機。たった一機では無謀もいいところだった。
 
「そうだけど・・・なんとか、コンタクトは取れない?もしかしたら、民間機が襲われているかもしれないわ」

「・・・分ったよ、回線を探してみるね」

 静かな緊張に沈むコックピットに衛ちゃんがスティックを操作する音だけが反響する。
 その間に私は手早くガンの残弾をチェックして、機体の調子を確認した。
 万全の整備は受けているけれど、今日は戦闘を想定していない。万が一ということもある。
 全く、とんだ遊覧飛行になってしまったものだ。
 ガンの残弾は512発、気をつけて撃てば5,6回はいける。コンフォーマルタンの燃料は程よい具合に少なくなっていた。おかげで機動性は最高、けれど戦闘機動が長引くとガス欠になってしまうかもしれない。
 
「繋がらない・・・ECMかな?連絡がつかない」

「どうしよう?」

 疑問を口にしたところで答えは返ってこない。
 このまま逃げても別に問題はない・・・どうせ、そろそろスクランブルが上がっているころだし。
 けれど、丁度いいタイミングで通信が入る。AWACSからだった。
と、すると

「こちら、スカイクローバー。メビウス1、聞こえマスカ?」

 案の定、無線の向うにいるのは四葉ちゃんだった。

「こちら、メビウス1。感度良好、ちょっと尋ねたいことがあるんだけど?」

「はい、分っているデスよー咲耶姉チャマ。姉チャマの捉まえたアンノウンは東日本から亡命する科学者さんが乗っているデス。ストーンヘンジ開発関わった科学者さんなのデスよー」

「それは分ったけど、なんで護衛がいないの?敵機に囲まれているわよ」

「それは・・連絡がうまくいかなくて、科学者さん達を乗せたジャンボジェットの発進にエスコートが間に合わなかったのデス〜今、SCが上がりました。後5分だけ、敵機を引きつけてください」

 それは随分と剣呑な話だった。後5分、それは空戦においては永遠にさえ等しい時間ではないか。

「ふざけないでよ!こっちは武装がないんだよ!」

「衛ちゃん!」

 今にも泥棒に飛びかかろうとする番犬のように衛ちゃんが怒鳴る。確かに、4対1では死ねといわれたようなものだった。
 けれど、それを四葉ちゃんに言ってもしょうがない。四葉ちゃんは命令を伝えただけなのだから・・・1番辛いのは四葉ちゃんだろう。

「ごめんなさいデス・・」

「気にしなくていいわよ、四葉ちゃん。ガンもあるし、それに足があるわ」

「でも・・・」

「いいの!気にしなくてもいいの!むしろ丁度いいぐらいよ、一度一人で思いっきり暴れてみたかったんだから、それに私の愛機はストライクイーグルよ?負けるわけがないわ」

「はいデスね・・・」

 弱々しく答える四葉ちゃん。
 これからのことを考えると自分が一番かわいそうになってくるけれど、それでも四葉ちゃんの方が気にかかる。
 元々、争いごとには向かない心優しい子なのだと思う。もちろん自分もそうであると思いたいけれど、これほどまでに不利な勝負を引き受けるの神経はやっぱり普通じゃないのだろう。
 本当に・・・最近はとんと戦争ボケぎみだ。

「あーあ、どうなっても知らないよ?」

 呆れたように衛ちゃんは言う。
 確かに、私も自分の無謀な精神に愛想がつきそうだった。

「大丈夫よ、一人じゃ無理でも、この子は私達2人で飛ばしているのよ?」

「もうっ!そんな調子の良いことを言ってもダメだよ。さくねぇは勝手なんだから」

「ごめんね」

 小さく謝る私に、衛ちゃんは黒のバイザーを下ろしながら言う。

「でも、そういうさくねぇが・・・ボクは大好きだよ」

 突然の不意打ちだった。
 Gはかかっていないのに胸の奥がぎゅっと苦しい。全身の神経が一斉に騒ぎ出したかのように、ぎゅっと体が熱い。
 私も赤面する顔を隠すために慌ててバイザーをおろす羽目になった。
 でも、一言だけは言っておきたい。

「ありがとう、私も気に入っているのよ」

 雲一つない青空に、すっと白い螺旋が引かれる、4つ。
 かなり速い、速度を上げている。散った航跡は一つに纏まってまた散開。包囲するように2つの輪を描いて散らばる。
 2機エレメントの綺麗な航跡、敵はベテランらしい。
 レーダー警戒受信機のソロは相変らず喧しかった。それにミサイル警報が加わってさらにボリュームが上がってデュオになる。
 
「マスターアーム・オン。メビウス1、エンゲージ」

 青い空についた傷のようなミサイルの航跡を見つける。
 それより微かに離れて、続けて7発。
 緊張を湛えた面持ちで握る操縦桿に迷いはない。
 ミサイルが迫る。










「なんて奴だ!」

 思わず怒鳴ってしまった。
 怒鳴った後で、首を竦めて脅えるパイロット(自分の妹なのだが)に済まないことをしてしまったと後悔する。
 謝ろうとして、はたと自分のバカさ加減に嫌気がさす。
 戦闘中にそんな余分なことを考える余裕があるというのは、集中が足りない証拠だった。だが、とても落ち着いてなどいられない。
 8発放ったSu−30MKJ最強の武装であるR−73は全弾回避されてしまったのだ。中近距離では必中といってもいいR−73アーチャーが、である。
 ロックオンは完璧だった。最新型であるN−011Mフェイズド・アレイ・レーダーは完璧に敵機を捉えていた。IRシーカーが作動する終端誘導段階の最後まで、レーダーで捉えていた敵機の動きをデータリンクでアップデートし続けた。命中までの10キロ距離でデータリンクは途切れるが、それでもその時敵機はR−73の間合いの中にいた。
 回避など絶対に不可能なはずなのだ。8発のアーチャーを向うに回すなど、アーチャーを発射した本人が言うのもなんだが、それは端的に地獄としか表現できない。
 
「あんちゃん、どうする!?」

「どうということはない、追うぞ」

 妹も半ば声がうわずっていた。
 それに助けられる。兄としての矜持が目覚めて、冷静さが少しずつ戻ってくる。
 だが未だに現実が信じられない。とても信じることなど不可能だ。
 まず、最初のアクション。
 敵機はミサイルが発射されると同時に、左旋回に入った。その時速度は落ちていない。高度が若干下がったから、スライスでの左旋回だろう。高度を下げる代わりに、速度を殺さず旋回できる。
 そのまま敵機にとって左後ろから迫るミサイルを、逆に引き付けるように直線飛行し続ける。こちらもレーダーロックを外されないように追いかける。敵機の反撃はなかった。こちらのレーダーロックを外すために普通はミサイルを放つのだが、相手は中距離ミサイルを装備していないのかもしれない。
 そして、最初のミサイル。
 ほぼ真後ろから迫るアーチャー、イーグルに直撃する寸前・・・跳ね飛んだ。
 それは跳ね飛んだとしか表現不可能な動きだった。バッタのように、ほぼ垂直に上昇した。だが、機首を上げたわけでもない。
 全く水平に、イーグルは立ち位置を変えた。ほぼ真下を飛ぶミサイルはイーグルをロスト、オフボアサイト能力に優れたアーチャーも、90度直上の目標は捕らえられない。
 やや遅れて、第2、3のミサイル。
 再びミサイルは真後ろから迫る。イーグルは機体を右に傾けて、そのままスライド。ミサイルはそれを追う。イーグルは微かに機首を上げて減速。上から被さるように迫るアーチャーはオーバランする。だが、アーチャーのアクティブレーダー近接信管は作動していた。ミサイル、爆発。
 だが、それすら読んだようにイーグルは大きく機体を降下させていた。ほぼ水平に、イーグルは機首を下げることなく機体を沈めて爆圧から機体を守る。
 航空力学を無視した動き。だが、イーグルは飛び続ける。
 ミサイルは残り5発。だが、その内2発はイーグルの高機動についていけなかった。IRシーカーはイーグルを見失って、ミサイルは明後日の方向へ飛んでいく。
 残り3発。
 イーグルは右旋回に入る。
 これまでの奇抜な機動とは打って変わって通常の右旋回。機体が右へ傾いて8Gでの右旋回に入る。
 アーチャーはその進路方向を予測して、未来到達点を探し出して舵を切る。
 だが、イーグルはそれを裏切る。
 右へ傾けた機体は機首だけがそのまま滑るようにスライドして、右を向く。だが機体は直進し続ける。一瞬だけイーグルは進路方向に機体を90度オフセットして飛ぶ。僅かにイーグルは減速して、ミサイルは決して辿ることのないイーグルの軌跡の元へ飛んでいく。
 そこから更に機尾は自動車のドリフトのように右へスリップ。それは旋回ではない、まさしくイーグルは滑った。
 ほんのコンマ一秒以下だが、イーグルは進路方向に対して機尾を向けて飛ぶ。
 進路を入れ替えるイーグルに最後のミサイルが迫る。
 イーグルは速度を落していた。もう次の機動のためにエネルギーはない。 
 ミサイルは悠々とイーグルを捉え、そして何も成すことなく飛び去った。信管の故障、ミサイルは不発だったのだ。
 
「いい腕をしている。運もいい。責任感もありそうだ。そしておそらく誠実でもある。奴は一体何者なんだ?」

 猛烈なGで軋む肺から、なんとか空気を絞りだして声帯を震わせる。
 敵機はもう視界の中にあった。白いベイパーを引いて旋回する複座のF−15、練習機のD型かと思ったが、技量からいってそれはありえない。おそらくはF−15を改造して造られたF−15Eだろう。最高の機動性と、最高の対地攻撃能力を与えられた鷲の王者。
 4機のSu−30MKJを相手に一歩も引かない戦いぶりはまさしく王者の戦いだった。
 編隊機の一機が背後を取ってガン攻撃、だがF−15Eはふわりと機体を浮かせて射弾を回避してしまう。
 そのまま右急旋回。編隊機はそれを追うが、何故か大きくオーバーシュートしてしまう。

「グール3、後ろだ。ブレイクしろ!」

 警告するが、それが間に合わないことはする前から分っていた。
 だが、何もしなかったと謗りをうけたくなかった。いや、こんなことをしかできないのが惨めだった。
 攻守が逆転し、高速の弾道がSu−30MKJの広い主翼と交差する。
 フランカーを構成していたあらゆる部品が砕け、花と散ったジャラルミンが陽光受けて輝く。イーグルはブレイク、破片を吸い込まないように回避する。
 撃墜された編隊機の僚機が復讐に燃えてミサイルを放つが掠りもしない。
 まるで舞うような動作で避けられてしまう。
 まるで蝶のような、規則的で不規則な動き。既視感を覚える。
 そういえば以前一度だけ、あんな飛行機の常識を無視したような、それこそ“舞う”と表現される飛びかたをする戦闘機を見たことがあった。
 戦前、第156戦術戦闘航空団通称“黄色中隊”からオファーがあったのだ。ストーンヘンジを守る為に最高の機材と最高の人材を集めた現代の343空、JV44。飛び上がって喜んだことを覚えている。まさに空にも昇るような気持ちとはああいうことをいうのだろうと思う。
 そこはまさしく空を飛ぶために生まれた人間だけが揃った・・・そう、まさに妖精空間だった。
 そして、俺は妖精になれなかった。
 それでもSu−30MKIを与えられ、幾多の激戦を潜り抜けてきた俺は黄色中隊に総合能力では決して劣らないという自負があった。しょせんSu−37は実験機レベルであり、そのデータを元に最新の技術をふんだんに使って開発されたSu−30MKJはフランカーシリーズの集大成とも呼ぶべき機体なのだ。
 それにパイロットとして才能のない俺に代わって、天才とさえ言える妹が操縦桿を握っている。俺が妹を完全にサポートしてやれれば、黄色のSu−37など敵ではない・・・はずだった。
 
「あんちゃん、また殺れたよ!」

 見れば、また一機火を噴いて味方が落ちていくところだった。
 これで1対2。1対4で撃墜できない敵機に2機で勝負しなければならない。
 
「たった1機になにをてこずっている」

 悠々と撃墜した味方を飛び越してF−15Eは飛ぶ、明らかに勝ち誇るっていうのが分った。
 こんなことなら翻意など迫らずに、さっさと旅客機を撃墜してしまえば良かったと歯軋りする。
 
「グール1、どうする?どうしたらいい?」

 悲鳴のような質問を浴びせてくる僚機は今にも逃げ出しそうだった。
 
「落ち着け、グール2。俺達が奴を引き付ける。その間に背後へ回りこめ。俺達グール中隊こそ最強のフランカーライダーであることを忘れるな」

 わかった、と返事をする僚機は今だ半信半疑だった。
 何しろ今の作戦はほんの数分前にグール3、グール4が試して失敗したシナリオだったからである。
 
「そういうわけで、よろしく頼む」

「オッケェ!任せてよ、あんちゃん!」

 妹はやたらテンションを上げていた。この危機に俄かに闘志を燃やしているらしい。
 妹の闘志に当てられていたか、心の靄が晴れていく気がした。
 これならば、と思う。まだ勝負は終わっていない。

「・・・奴は何らかの理由でミサイルを持っていない。ただの機銃だけで2機墜したことは脅威だが、それでもそろそろ弾が尽きるころのはずだ。落ち着いていけば恐くない。奴は死に体同然だと思っていい」

「分ったよ、あんちゃん!」

 F−15Eの鼻先をフライパス、すぐさま奴は条件反射のように食いついてきた。
 一瞬だけだがすれ違ったF−15Eをまじかに観察する。パイロットの表情はバイザーで見て取れない。巨大な垂直双尾翼には白でリボンが描かれていた。すると向こうも女性パイロットなのかもしれない。
 だが、容赦はしない。
 勝つのは俺と妹だ。










「あれが隊長機かな、速い」

 鼻先をフライパスするフランカーの背後につく、旋回の切り替えしが恐ろしく鋭い。
 全くこちらにロックオンさせる暇を与えてくれない。さっき墜した2機とは確実にレベルが違う。
 だが、背後をとっている限り大して恐くない。一番恐いのは、

「衛ちゃん、もう一機はどこへ行った?!」

「見つからない。どこかに隠れてる」

 ドッグファイトではあまり意味のない電子戦装備の操作を止めて、衛ちゃんは見張りに徹してもらっていた。
 今まで2機も撃墜できたのは、衛ちゃんの見張りに頼るところが大きい。
 例え3機同時に背後を取られても、その位置関係さえ把握できれば、攻撃は回避できる。
 一番恐いのは、どこにいるか分らない敵機だった。どこから攻撃が来るか分らないのでは回避のしようがない。
 それにガンの残弾はもう100発を切っていることも気がかりだった。思ったよりも節約して撃つのは難しい。
 もう一機を見つけられないまま、目の前の敵機を追い続ける。
 複座のフランカーはスライスターン、右旋回しながら降下していく。オーバーシュートしないように速度を殺しながら旋回、ぴたりと思っていた位置につく。だが、ぎりぎり機関砲の射程に足りない。
 背後を取ったフランカー以外に、レーダーには反応がなかった。この状況でどうやって行方不明のフランカーはこっちを狙うのだろうか。
 攻撃がくるとして、どこからか。まだ、読めない。だけど、もう相手はセットに入っていると思った。
 もう一度、フランカーはスライスターン。今度も右旋回。
 HUDのGメーターが8Gを超える大G旋回、軋む首の骨を苦労して回す。それでも見張れない場所は出てくる。そここそ絶対の死角。
 レーダー警戒受信機が喚く。
 これは予測済みだった。これだけ接近した状況ではIRSTやレーザー照準のパッシブロックは不可能。熱源に反応するIRSTのパッシブロックは敵味方容赦なしだった。
 だから、この状況ではむしろ当然。
 レーダーロックの後にはミサイルが来る。ここから先は勘に頼るしかない。何しろミサイルが見えないのだから。
 死角から一撃、イーグルはアフターバーナーを噴かす。ラダーとスロットルの使い方にコツがある。
 そのコツを踏めば、イーグルは未知の領域を飛べる。言葉で説明しても誰も理解してくれない微妙なコツ。
 強いて言えば、スリッパを履いた足で床に落ちた髪の毛を踏んで、それに気付くほどの微細なレスポンスを感じ取って、イーグルを妖精の世界へと放りこむ。
 以前、地熱発電所爆撃でSu−27に追いかけられた時に偶然イーグルが妙な機動をしたことあった。それを偶然に頼らず自力で自由に引き出せるようにと研究してきた結果がイーグルの限界を超える高機動だった。
 機体は右急旋回中、ここから軌道は変化する。
 まるで宙に浮いたような、高機動前には奇妙な浮遊感ある。その後に突発的な大Gが襲ってくる。
 これにはまるで対応できない。一瞬だけ意識を失う。
 けれど、イーグルは事前に定めたとおりに飛ぶ。一度、不可知領域に入るとこちらの操作は受け付けない。それが空力学か、航空力学の計算の帰結かは分らない。おそらくどちらでもあると思う。けれど、次にいつイーグル操縦を受け入れるかのタイミングは知っていた。それで十分。
 イーグルは右急旋回から、飛び跳ねるようにバイパーの飛沫を残して一気に十数メートル前方に跳ぶ。イーグル背面から襲い掛かるR−73は直撃寸前で、肩透かしを食らう。
 だが、信管は作動している。十分に爆圧の破壊圏内にイーグルはいた。
 けれど、そこからまたイーグルは跳びはねる。
 今度は機尾が先に動いた。機首を下に向けてほとんど垂直に近い姿勢で一瞬だけ空中に静止したストライクイーグルはそこからさらに右へ水平に跳んだ。
 アーチャーの指向性破片威力弾頭は高い破壊力を誇るが、それは指向性爆薬を使い破壊の方向を集中することで得られたものだった。破片と爆風のキルゾーンは広くない。
 まるで見当違いの方向へ破壊をばら撒くアーチャーを無視して、イーグルはやっと見つけた行方不明のフランカーへ向かう。

「さあ、ついてきなさい!」

 今度こそ吐きそうになる自分を叱咤して、スロットルを押し込む。
 ほん十数秒も無い内に2回も失神していた。数分前にミサイル8発を避けたときよりは幾らかマシだった。多少、吐き気が少なくなっていると思う。
 行方不明のフランカーは背後に回った。
 もちろんワザとである。もう一度あんな奇襲を喰らうよりは背後を取られる方がマシだった。

「すごい、あの戦闘機、本当に1人で戦ってる!」

 雑音まじりの誰かの声が聞こえた。
 バックミラーの中で衛ちゃんがガッツポーズで笑っている。
 敵機が撃墜されてECMが薄れてきているのだろう。もう後一息だった。だけど出来ればもうミサイルとのダンスは御免蒙りたい。もうそろそろ5分が過ぎようとしていたけれど、エスコートはまだ来ない。
 しょうがない、と一計を講じて手近な雲を探した。なるだけ大きい雲がいい。
 運がいいのか、巨大な積乱雲が青い空にどっしりと浮かんでいる。夏らしい入道雲が出ているということはもう梅雨も終わりということだろう。 
 一瞬だけ過ぎゆく季節に思いはせて、そのまま入道雲に機体を潜りこませる。
 雲を切り裂いて機関砲の曳航弾が機体を掠める。けれど、当たりはしない。
 フランカーの機関砲はレーダー測距で撃ってくるから、レーザーを減退させる水蒸気の塊である雲の中では命中精度は格段に低下する。
 亜音速で飛ぶイーグルは一瞬で巨大な積乱雲を駆け抜け、青空へと戻る。
 突然に開ける視界と青い空に一瞬だけ意識を奪われる。それは正真正銘の夏の空だった。いつか見た坂の上にそびえる入道雲と鮮やかなコントラストを描いた、ひまわりの似合う空だった。

「衛ちゃん!」

「分ったよ!」

 タイミングよく、衛ちゃんはチャフ・フレアディスペンサーのスイッチを押し込む。
 軽快な射出音と共にフレア、チャフの大盤振る舞い。赤いフレアの光球が木の葉のように舞い散る。
 そこへ、真っ直ぐにフランカーは突っ込んできた。
 パイロットは目前に広がる炎の饗宴に目を奪われる。
 亜音速で飛ぶ20トンの巨体は簡単にフレアを砕いて、フランカーは粉と砕けたフレアの炎に包まれた。
 赤い炎を振り払って飛ぶフランカー、けれどエアインテークから侵入した一発のフレアが内部のタービンを傷つけ、ミサイルのIRシーカーを誤魔化す為の燃焼剤はエンジンの微妙な温度管理を崩壊させる。融点に達したタービンブレードの合金が飴のように溶けて、そのまま遠心力でエンジン内部を跳ね回った。
 ノズルから黒煙を引いてフランカーは速度を落とし、そして二度と立ち直ることのないスピンへ突入する。そうなる前にパイロットは脱出したけれど、地上に降りると同時にパトロール中だった連合軍歩兵に捕まって、彼らのこの戦争における戦いは幕を下ろす。

「ラスト・ワン!」

 高らかに宣言して、最後の1機を見つける。
 レーダーにコンタクト。APG−70はACMモードからSTTモードへ、敵機は正面、ヘッドオン。
 最後に残った隊長機は逃走するそぶりさえ見せない。あくまで仇を討つつもりなのか、冷静さの感じられない直線的な機動だった。
 そのまますれ違うかと思うと、フランカーは軸線を合わせてきた。焼けた30ミリ機関砲が重々しい集弾を見せて迫る。イーグルは機体を浮かせて攻撃を外す。
 同時にイーグルは機首を上げて上昇、インメルマンターンで敵機の背後へ回り込む。
 大Gで指先一つ動かすことすら困難だったけれど、もしもこれが地上だったらポケットからハンカチを取り出して、こめかみを伝う冷や汗を拭いていただろう。
 もしも、こっちが回避じゃなくてガンを選んでいたら、今のは共倒れになっていたはずだった。
 部下を3機失って動転するのは分るけれど、明らかに今のは特攻攻撃である。

「さくねぇ、敵機も同じだよっ!」

 何が、とは聞き返さない。
 衛ちゃんが警告する前に私は敵機を見つけていたのだ。隊長機はこっちを同じインメルマンターン。上昇性能なら僅かにフランカーに分がある。
 しまった、と舌打ちする暇すらない。熱くなっていても敵機はまだ十分にクレバーだったのだ。
 2機の巨大な猛禽は白い飛行機雲で巨大なループを描く。
 青と白の奇抜な航空迷彩とその優雅な機体を存分に見せ付けるようにフランカーは背面上昇、黒いストライクイーグルはそれより僅かに速い。
 初動の僅かな差で、イーグルはコンマ数秒僅かに早くループの頂点に立つ。
 HUDに背面で上昇中のフランカーを捉える。トリガーを引くと、M61A1ガトリングの咆哮がイーグルを奮わせた。
 同時にフランカーも打ち返すけれど、撃ち下ろすストライクイーグルと撃ち上げるフランカーでは重力が味方するM61A1の方が射程を長くなる。
 Gsh−301から吐き出された30ミリ機関砲弾はキャノピーを掠めて、F−15Eの双尾翼の翼端に装備されたECMアンテナを吹き飛ばすが、それまでだった。
 正面から雨とばかりに降り注ぐ20ミリPGU−28弾がSu−30MKJを完全に捉えて離さない。
 血を流すように、夥しいオイルと機体の破片を撒いてフランカーは落ちていく。
 けれど、フランカーは奇跡的にも機体を立て直す。それは死に体同然だったけれど、追撃はできそうにない。
 HUD表示のガンの残弾は0、武器がもうなかった。

「あ、エスコートが来たみたいだよ」

「遅すぎよ」

 逃走するフランカーを目で追うのを止めた。名残惜しいけれど、今日はおあずけという奴だろう。
 一応、エスコートの機に通報することもできるけれど、それはなんだか自分で仕留めた獲物を横取りされるようで気分が悪い。
 とりあえず、今日はここまでにしようと決めて、深く息を吸い込んだ。
 体の中ののアドレナリンを散っていく。興奮していたからだが冷たい酸素のお蔭で冷える。
 
「ECMも無くなったみたいだし、旅客機と話せるよ、どうする?」

「どうしようか・・・まあ、無事がどうかだけでも聞いておこうか・・」

 これで今にも墜落しそうだ、とか言われたら悲しすぎるけれど。
 
「あーこちら、西日本空軍機。コールサインはメビウス1。そこのジャンボジェット、大丈夫ですか?」

「こちら701便、負傷した機長の代理、副操縦士のナガセです。機体が損傷していますが、乗員、乗客共に無事です。ありがとうございます」

 ほっと、胸をなでおろした。
 やはり護衛していた機が阿鼻叫喚っていうのは気分が悪すぎる。
 衛ちゃんもこわばった顔を解きほぐしていた。考えていたことは同じだったらしい。

「そう、じゃあエスコートも来たことだし、そろそろ帰るね。実は燃料が残り少ないの」

 少ないどころか緊急に空中給油が必要だった。
 でないと、1機数千万ドルの機体が巨大な粗大ゴミになってしまう。

「そうですか、残念です。でも、本当にありがとう。もうダメかと思っていたんです。あなたが来たときたった1機で何ができるって諦めていたのですけど。奇跡は本当にあるんですね」

「私はちょっと他の人より戦争のやり方が上手いだけよ、じゃあね」

 まだ何か言いたそうなナガセさんに先じて、通信を切った。
 これ以上奇跡だの何なのだと持ち上げられたら、ちょっと自分が制御できなくなりそうだった。
 具体的に言うと・・・恥ずかしくて死にそうだ。

「奇跡だって、さくねぇ」

「そんなんじゃないってば!」

 ちくちくと、弱点を見つけた悪戯鬼みたいに笑う衛ちゃん。

「奇跡〜きせき〜奇跡〜」

「もう、うるさいわよっ!」

 抗議するけれど、それは火に油を注ぐようなものだった。
 ガソリンを投下されて、ますます笑顔が光る衛ちゃん。
 もう、どうにでもなれっていう気分だった。でも、放っておくと基地にみんなになんて言いふらすだろうか・・・

「あー、四葉ちゃん?ちょっといい話があるんだけど・・」

 さっそく、言いふらしてるし!

「ちょっと、いい加減にしなさいよ!」

「ヤダも〜ん」

 ハリセンの届かないところへ逃げる衛ちゃん。
 操縦桿を離すこともできずに、やきもきする私。
 やっと、長く空いていた風穴が塞がれたような気分だった。
 基地に帰れば、噂を聞きつけたマスコミの出迎えに赤面することになる2人だったけれど、今はそんな未来とは関係なく、久しぶりの平穏を楽しんでいた。
 まだ若い夏の太陽はそんな2人を見守るように、惜しみない恵みの光を注いでいた。









 それとは別に、少し遠いところの話。
 具体的に記すならば、大阪郊外に建設中の高速道路に設けられた野戦飛行場。そして、そこに駐屯するある戦闘機部隊のオフィスだった。
 そのある戦闘機部隊を、正式には第156戦術戦闘航空団という。

「・・・よかったのかい?」

 いつの間にか背後に立っていた相棒の声には些か緊張した。
 それでも、手に持った書類を取り落とすほどの驚きでもない。慣れているのだ。神出鬼没の黄色の4、千影は足音も無く現れるという不思議な特技をもっている。
 日はもう地平線の向こうに隠れようとしていた。西日の差すオフィスで、夕日を背にする千影の顔は伺いしれない。
 腕を組んで、ドアに背をもたれて千影は返事を待っていた。

「よかったって?」

「・・・失敗したんだろう?・・・私なら・・・出撃してもよかったのに・・・」

「いや、そんなことをする必要は無い」

 手の中の書類を握り潰した。
 書類の内容はストーンヘンジ開発に携わった科学者の亡命阻止が失敗したというものだった。それも黄色中隊のサボタージュによるものだという、抗議文だったのだ。
 
「分っているさ・・・非武装とはいえ、やっていることは立派な戦闘行為だ・・・撃墜されたって文句は言えないさ」

 けれど、非武装の民間機を撃墜することなど到底考えられない。
 中隊には出動命令が出ていたのだ。それを機体の整備不十分で断った。
 もちろん、実際に連合軍の上陸以来補給は絶え絶えになっている。整備状態は決して良好とは言い難いものの、飛べないわけではなかった。

「上は・・なんて言ってくるかな・・・」

「さぁな・・・関係ないさ、千影は心配しなくていい」

「そういう風に言うから、心配になるんだけどね・・・」

 溜め息をついて千影はオフィスを出て行った。
 だが、ドアを閉めようとしたところで、振り返って声を飛ばした。

「そういえば、一つ興味があるのだけど・・・いったいどうしてグール中隊は撃墜に失敗したんだい?・・・彼らはかなりのベテランだよ・・・」

「ああ、それだが・・よく分らない。生きて帰った小隊長は病院に搬送されて直に死んだそうだ。いっしょに乗っていたパイロットには怪我は無いが錯乱しているらしい」

「そうかい・・・気の毒なことだね・・」

 短く、あまり興味のなさそうに言って千影は出て行った。
 一人残された13は語り残した言葉を紡ぐ。

「錯乱したパイロットは死んだ編隊長の妹で、“リボン付きのF−15が来ると”、極度に脅えているらしい」

 画像の不鮮明な写真、そこには機関砲を撃ち下ろすF−15の姿があった。胴体の特徴的コンフォーマルタンクからして、写真のイーグルはF−15Eだろう。
 以前、ストーンヘンジを狙った西日本空軍の決死隊もF−15Eで編成されていた。そして今度はストーンヘンジ開発に関わった科学者の集団亡命。
 と、なれば点と点を繋げて導きだせる回答は一つしかない。
 まあ、どうでもいいことだった。どのみちストーンヘンジ防衛自体に何らかの意義を感じたことなど一度もない。

「やっと・・・俺達のいる場所まで来たんだな・・・あいつ」

 もしも今が戦時中でなく、そして同じ国に生まれていたら・・・きっと同じ妖精の領域を飛べるパイロット同士、仲良くできたかもしれない。
 けれど、それは適わぬ夢だろう。もしも、この戦争を生き残ることができれば或はありえなくも無いが、敵にそんな幸運はない。
 ありえたかもしれないありえない未来を空想して、注意が散漫になっていたらしい。

「おにいたま」

 と、フライトスーツを引っ張られるまでヒナが部屋に入ってきたことすら気が付かなかった。

「もーおにいたま!」

「ごめん、ごめん、ヒナ。ちょっと考え事をしていたんだよ」

 ぷっくりと頬を膨らませて、全身を使って怒るヒナを見ていると、憂鬱な気分も幾らか晴れた。
 昔、自分にもこんなに素直に感情を表現できていた時代があったのだろうかと、思い出してみる。
 けれど、そんな記憶は見つからなかった。何故ならば妹の千影の前では子供らしいストレートな感情表現はできなかった。お兄ちゃんだからだ。見栄というものがある。
 我ながら、ませたガキだった。

「鞠絵おねえたまが待ってるの、集金に来たの」

「ああ、そうだったな・・・今日はツケを払う日だったな」

 鞠絵ちゃんがマスターを務めているスカイキッズは中隊行き着けのバーだった。昼は喫茶店、夜はバーという一風変わった店だ。以前、成り行きで店の中で喧嘩をして以来中隊の専用のバーとなっている。
 元々、ヒナはスカイキッズに住み込みで働いていたが、今は中隊に引き取られていた。ヒナがぶかぶかのフライトジャケットを着ているのはその為である。
 単純に、子供服がないという事情もあるけれど。

「すまない、遅くなった」

 鞠絵ちゃんは滑走路脇の草むらに立っていた。最近草取りをしたばかりだというのに、もう雑草が葉を伸ばしている。

「あ、いえ、ぜんぜん構いませんよ。基地の中を見学していたので」

「そうか・・・そういえば、鞠絵ちゃんは基地に来るのは初めてだったな」

 初めてみる中隊の野戦飛行場に、鞠絵ちゃんは目を回しているようだった。
 飛行場の中は出撃を前にして騒がしいことになっているから、体の弱い鞠絵ちゃんには厳しいかもしれない。

「あれは・・・なんですか?」

 と、支払ったツケの計算しながら鞠絵ちゃんは言った。
 視線の先にはC整備中の中隊機とクレーンで吊り下げられたエンジンがある。
 尾翼には黄色で4、千影の乗機だった。今はB整備中だったのだ。

「あの大きな機械の塊がエンジンなんですか?」

「ああ、そうだよ。千影の機体なんだが、そろそろエンジンを交換しないとな・・・もう暫くしたら新品のエンジンも届く、そうしたらエンジンを換装する予定だ」

 女性にはつまらない話だろうと思っていたが、そうでもないらしい。
 鞠絵ちゃんは興味深げにじっとエンジンを見ていた。
 どちらかといえば、巨大な機械の塊であるエンジンはグロテスクな印象があるけれど、鞠絵ちゃんは平気なのだろか?

「そういえば、滑走路が随分とへこんでいますね?」

 今度は滑走路をじっと見ている
 中隊の滑走路は元々建設中だった高速道路である。白い分離帯を上塗りするようにタイヤが擦った黒いゴムの後が幾重にも積み重なっていた。

「ああ、フル装備だったら30トン近くまでSu−37はいくからね、元々高速道路だっただけにSu−37の重みに耐えられないんだ。修繕したくても機材も人手も無くってね」

「はあ、そうなんですか・・・お金さえあれば私の知り合いの土建屋さんに頼むこともできますけど」

「それは本当か!?」

 願ってもない話だった。
 
「はい、軍票じゃなくて西日本円ならOKだと思います」

「助かる。直に見積もりをだしてくれ」

 それから2、3話をしている内に中隊機の1機が飛び立っていった。
 ジェットエンジンの爆音、滑走路一杯を使って飛び上がるSu−37。
 流麗な機体には十数発の無骨な通常爆弾、重々しい機体がふらふらと浮き上がるのは見ていて気分が悪い。
 黄色のSu−37と対地攻撃用の爆弾など全くミスマッチだった。
 けれど戦況は黄色中隊までも対地攻撃に狩り出さなければならないほど逼迫している。
 練度高い黄色中隊は対地攻撃でも活躍していたが、余技に借り出される部下の疲労は少しずつ溜まっていく。機材の劣化も低空を飛ぶせいで最近は目に余るようになってきていた。

「・・・兄くん」

 見れば、千影が手を振ってこっちへ歩いてくる。その後ろには白雪ちゃんが続いている。
 姿が見えなかったけれど、白雪ちゃんも来ていたらしい。

「ハンガーに迷いこんでいてね・・・あそこは危ないものが・・・たくさんある・・」

「そうだったのか・・・白雪ちゃん。見学はいいけれど、気をつけなくちゃいけなよ」

「はーい!」

 罰として、ぽんと頭を叩いて、そのままくしゃくしゃって髪を撫でた。白雪ちゃんの髪は良いシャンプーを使っているのか、良い匂いがした。

「えへへ〜」

 笑う白雪ちゃんはあまり反省していなさそうだってけれど、怪我がなくて何よりだった。
 けれど、鞠絵ちゃんはそれだけで済ませてしまう気はないらしい。

「千影さんにちゃんとお礼を言いましたか?」

 お姉さんらしく小言を言う鞠絵ちゃん。
 叱られてしゅんとなる白雪ちゃん。
 見ていて昔を思い出す組み合わせだった。俺と千影、どちらかと言えば叱られたのは俺で、叱ったのは千影が多かったけれど。

「・・・ありがとうございます」

「いえいえ・・どういたしまして」

 さっきとは打って変わって、白雪ちゃんの表情は固い。千影の顔を見ようともしなかった。お礼の言葉もほとんど棒読みである。
 どういたしまして、という千影も随分感情は薄いけれど、これは地だ。

「そろそろお店を開けなければいけないので、これで失礼します」

「ああ、滑走路の件。よろしく頼む」

 軽く頭を下げて鞠絵ちゃんは白雪ちゃんを連れて帰っていった。
 日暮れの紅い斜陽を受けて、手を振る2人の顔を覗うことはできない。全てが紅く染め上げられている世界で、影になっているところはぽっかりと穴が空いたように底知れない暗さがある。
やがて、スクーターの軽いエンジン音が聞こえて、2人の姿は完全に見えなくなった。

「千影・・お前白雪ちゃんと喧嘩しているのか?」

 スクーターのエンジン音を遠くに聞きながら俺は言った。

「どうして・・・そういう結論が出てくるかな・・・」

「そうじゃないのか?」

「・・・兄くんは・・愚鈍だと思うよ」

「愚鈍ってなんだよ」

 記憶を探ると思い当たるところが無いわけでもないので、反論できそうにない。

「まあ、いいじゃないか・・・兄くん・・・それより手を繋がないか?」

「どうしたんだよ、藪からぼうに」

「ヒナも、ヒナも」

 しかたなく、ヒナを真ん中にして3人で手を繋いで歩いた。
 手を繋いだ3人の影が、滑走路まで長くのびていた。何かのドラマのようで少し照れくさい。
 真ん中のヒナが嬉しくて飛び跳ねるたびに影は不規則に揺れる。
 千影はそれを見て久しぶりに笑った。
 その日はスカイキッズに顔を出すことなく、千影とヒナのために時間を使った。3人で近くの銭湯行って、3人で帰りにアイスを食べて、3人で川の字になって眠った。当然ヒナが真ん中だった。
 後から思えば、俺達は焦るように毎日を過ごしていたのではないかと思う。
 時間が許す限り千影はヒナの傍を離れようとしなかったし、俺も気がつけばヒナと千影のために時間を作ろうとしていた。
 何かにせかされるように、何かに焦るように、その日が来る前にできるだけ何かを残しておこうと、俺達は駆け抜けるように日々を過ごしていった。

 そして、その日はある日唐突にやってきた。




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