ミッション9 タンゴ線の片隅で〜TANGO LINE〜
「お前等!本当にヤル気あんのか!」
デスクがデスクを叩いた。洒落にもならない。
「小早川師団長の趣味の盆栽?今日のうまいレーション?田辺上等兵不発弾でなべを作る?・・・こんなつまねー記事いったい誰が読むんだ!」
一人だけヒートアップしているデスクをほっといて、他の誰もが自分の“つまらない”とされた記事を書いていた。これが国防陸軍報道部、第1野戦新聞小隊の日常である。
「もっと面白い記事はないのか!?新聞は読者を楽しませてナンボのもんだろ!」
ついには書類(正式なもの)を丸めて壁に向かって投げた。
昨日も同じだ。お蔭で野戦新聞小隊にあてがわれたオフィス(消費者金融が入っていたらしい貸しビル)は紙くずだらけで足の踏み場も無い。
「新聞記者は真実を読者に伝えるものだと思うんですけどね・・」
本人に言っても耳には届いても脳に達しないので、明後日の方向へ向けて岸田伍長は呟いた。
何気なく眺める外の風景は、一面焼け野原。林立する鉄骨の骨組みはどこか墓場の卒塔婆を思わせた。そして、それはあまり現実から遠くない空想だった。もはや鹿児島市は死んだといって差し支えない有様だったのだから。
バンカーショット作戦の最終段階、鹿児島市攻防戦において鹿児島市は全面積の4分の3が焦土と化した。民間人の死者数は事前の避難が功を奏して奇跡といっていいほど少なくてすんだけれど、0ではなかった。今も家を失った避難民が軍のキャンプやバラック暮らしを強いられている。
そんな状況で冷や飯食いの野戦新聞小隊が小さくてもマトモな屋根のあるオフィスを確保できたのは奇跡とさえ言っていい。
「岸田!何か言ったか!」
「言いましたよ、少尉」
「少尉じゃねぇ!デスクと呼べ、デスクと!」
丸めた新聞でバシバシ事務机を叩く。手で叩くのは痛いから止めたらしい。
元々沖縄の売れない新聞(紙面の8割が広告記事だった)の新聞記者だったデスクは妙なこだわりと微妙な報道姿勢から誰もが彼のことを敬遠していた。
そういう自分もその一人だが、妙に有能であるよりはあっさりと無能であった方が幾らかマシだというスタンスも取っていた。
要は、テクニックさえあれば扱いやすい良い奴なのである。
「だいたい、お前の記事はまだ上がってねぇじゃねぇか!新聞を舐めてんのか!」
「まさか、実はとっておきのネタがあるんですよ」
幾分秘密めかして言った。
もっとも、連合軍と東日本軍が正面激突する九州中央部複郭山岳要塞、通称タンゴ線とその中心阿蘇山要塞を巡る攻防戦を普通に書くだけで十分にセンセーショナルな、世界レベルでも注目を集める記事などいくらでも書けるのだが・・・デスクにとってはそれはつまらない記事・・・らしい。
そんな幾らか脳の安全ネジが吹き飛んだデスクはこっちへ来いとゼスチャーする。耳元でこっそりしゃべれと言いたいのだろうが、いい迷惑だった。口泡がもろにかかるような秘密会談など願いさげである。
だから、その場で言葉を続ける。
「デスク、最近メビウス1という凄腕の戦闘機パイロットが前線で有名になっているのをご存知ですよね?」
「・・・おう、もちろんだ」
と言いながら必死でメモをめくるのは、知らないと言っているようなものだった。
「で、ですね。そのメビウス1っていうパイロットついてはいろいろ噂がありまして、たった1機で6機の戦闘機を撃墜したとか、たった1機で戦車1個連隊を潰したとか、まあ、いろいろあるわけです」
「で、それがどうしたんだ?」
それを記事にするのがあんたの仕事だろと小一時間問い詰めたかったのだが、ここは忍耐が肝要だった。
「ですから、そのパイロットの噂を集めて記事にしたら面白いんじゃないかなと」
「ふむ・・・」
禿げ上がった頭を摩りながらデスクは唸る。まあ、ほとんど決ったようなものではあるが。
「デスク!わたしに岸田伍長の取材に同行する許可をください」
と、新人カメラマンの木乃葉が手を上げる。
新米で、おしゃべりで、仕事の遅いわりに容姿と性格のお蔭だろうか、デスクに気に入られている。もちろん彼女のミスの尻拭いは俺に回ってわけで、たまに奢らせているが割りにあわない。
余計なことはするな、と睨み付けても木乃葉は全く怯まない。それどころか何か勘違いしてにっこりと笑う。せっかく、馬鹿のいないところへ逃げようとしていたのに、五月蝿い奴がついてきたらもともこうもない。
「分った。岸田、木乃葉を連れて取材にいってこい」
「新兵のお守りは御免ですよ。同行させない許可を求めます」
「だめだ。カメラマン無しじゃ良い絵は撮れない。しっかり取材してこい」
同行することになった木乃葉の顔をにらみつけた。まだ笑っている。一人だけ良い思いはさせないということか・・・
「何をしている、早く行け」
「分りましたよ・・・」
とぼとぼと歩く俺と、嬉々として何か勘違いしてスキップ(小学生ではあるまいし)してついてくる木乃葉。
酷く憂鬱な気分だった。18歳になったばかりの元写真部のカメラマンなど連れて、一体どこへ取材に行けば良いのだろう・・・
5月の水色の空は今日に限って酷く濁って見える。
それもこれも木乃葉のせいなのであるが、どこからとりだしたチュッパチョップス舐めているガキに本気になるのはやはり大人げないだろう。
こうして、俺と木乃葉のメビウス1を巡る短い取材旅行が始まったのだ。
「岸田伍長は食べないんですか?」
「うるさい、俺に話しかけるな」
せっかく貴重な甘味物、朝鮮飴を近所のおばちゃんから貰ってきてあげたというのに、岸田さんは不機嫌そうに払いのけるのでした。
なんだか、岸田さんは当社比3億倍で不機嫌そうです。
しょうがなく、わたしは車のボードの上に朝鮮飴の包みを置きました。大きな高機動車のボードも広いのでいろいろ置けます。
拳銃とか、カメラとか、ハンディレコーダーとか。野戦新聞小隊の高機動車はいつも取材道具で溢れています。
でも、今日はその代わりに缶詰や煙草やいやらしい雑誌とかが積み込まれてしました。これを前線で売って一儲けするのが岸田さんのいう“メビウス1の取材”なんだそうです。
「前に言ってなかったか?俺は辛党なんだ」
「うう、でもわたしは甘党なんですぅ」
「残念だったな、じゃあ俺達は不倶戴天の敵同士ってわけだ」
「そんなことないですよ。岸田伍長も今日から甘党に宗旨替えしましょう!」
「やなこった」
と言いながらも、やっぱり朝鮮飴を食べてくれる岸田さんは良い人でした。
「しっかし、この手の甘いものってのはどうやってつくるんだ?砂糖なんて手に入らないだろうし」
「サッカリンっていう合成の材料を使ってるみたいですよ〜」
「サッカリン・・・・ねぇ」
と、そこで岸田さんは車を止めました。
遠くに人だかりと黄色の土木重機が見えました。対戦車壕でも掘ってるのでしょうか?最近は態勢を立て直した東日本軍が反撃を仕掛けてくることがあるので、この手の防御陣地は必須のものですけれど。人だかりができるのは少し珍しいです。
「疲れたのなら、運転代わりますよ」
「いや、いい。まだ死にたくない」
失礼なことを言って岸田さんはハンディレコーダーを片手に人ごみへ歩いていきます。
わたしも車を降りて固くなった体を伸ばします。5月の九州は暖かくて、空は水色です。散歩をするには良い季節で、これが戦争じゃなくて旅行だったらいいのになと思いました。
「木乃葉、カメラ持って来い。仕事だ」
「ふぇ?メビウス1が見つかったんですか?」
そんなわけないだろ、と岸田さんに呆れられてしまいました。
バリバリにミリタリー使用の頑丈すぎで重くて手が痺れてしまうカメラ(デジカメ)を片手に人だかりを分け入っていきます。
みんな顔を青ざめさせていて、ある人は泣いていました。ある人は血走った目で拳を震わせていました。ある人はお祈りをしているようでした。ある人はお経を唱えていました。般若心経でした。
そして、わたしは何をしたかというと、それに向けてシャッターを切っていました。
カメラマンだから、当然です。例えそれが腐った死体でもカメラの前では全て被写体です。フレームの向うにあれば、何も恐れることはありません。
どこまでも遠く一列に並べられた死体には石灰が撒かれていました。
それに何の意味があるのかは分りません。ですが、それは死装束の代わりなのかもしれません。
どの死体も顔は腐っていて、最後にどんな顔をしたのかは分りませんでした。
「報道部の者か?」
と、妙に偉そうな人が岸田さんにまるで因縁をつけるように迫っていました。良く見ると階級章が大佐でした。
「はい、自分は第1野戦新聞小隊の岸田伍長であります」
いつも不真面目な岸田さんも今度ばかりは背筋を伸ばして答えます。
「いいところに来た。スクープを提供してやれそうだよ」
と、大佐は言って、それに視線を戻しました。
「腐敗からして、1ヶ月というところでしょうか?」
「らしいな。通報してきた生き残りによれば1ヶ月半前だそうだ。昼間に防空壕造りと偽って被害者に穴を掘らせ、夜に電話で呼び出して後ろからズドンだ。そのまま死体は穴の中へ、ドーザーで埋めてしまえば証拠は残らない」
「ガイシャは学校の先生、町会議員、それにインテリやプチブルってところでしょうな」
「詳しいじゃないか」
ちょっとだけ笑って、大佐は言いました。
「ベトナムでも似たようなことがありましたので」
と、岸田さんは目を逸らします。岸田さんは若いころベトナムに出征していたらしいですけど、そのときのことは一度も話してくれません。
でも、そんなミステリアスでシリアスな岸田さんはカッコイイので、わたし的にはオーケーなんですけど。
「そうか・・・君はあのころどこにいた?」
「ドンハ郊外、ロックパイル」
それだけで、大佐は岸田さんの手をとって顔を輝かせました。
「仲間に会えて嬉しいよ」
「自分はただの新聞記者です」
と、岸田さんはそっけなくいいました。
でも大佐はそんなことはおかまいないしといった調子です。
「日本であの戦争と同じことをやることになるとは思わなかった。だが、どこか嬉しくもあるというのは気のせいだろうかね?」
「はい、いいえ。それは気のせいです」
「そういうことにしておこうか・・そろそろ失礼するよ、同志。勝利の時まで共に戦い続けよう」
「はい、勝利の時まで」
岸田さんと敬礼を交わして、大佐は去っていきました。
その背中がどこか疲れたように見えるのは気のせいではないと思います。戦争はとかく疲れるものなのです。
「はぇ〜岸田伍長ってやっぱり凄い人だったんですねー」
「俺はただの新聞記者だって言っただろ、それよりも写真は撮れたのか?」
「はい、それはばっちりですよーでも、どうしてこんな酷いことをするんでしょう・・・」
「戦争だからな、悲惨なことは常にある・・・」
死体を燃やす準備が進められるのを見ながら岸田さんは言います。
つんと鼻につく匂いでした。たぶんガソリンです。
「死ぬよりは生きている方がまだマシさ」
「どうしたんですか、急に?」
火を掛けられて、穴の中で死体が燃えるのを見ながら呟くように岸田さんは言いました。
腐っていた死体は炎に巻かれてまるで生きているように体をくねらせていました。ストーブで炙ったするめのように、体を巻いて、燃えて、黒ずんで、崩れて、死体は灰に帰るのでしょう。
「なんとなく、あいつ等はそんなことを言ってるんじゃないかなと、思ってな」
火をつけたばかりの煙草を吐き捨てて、岸田さんは言います。
「さあ、戻るぞ。道草を食った」
「でも、ちょっとだけでもメビウス1の取材をした方がいいんじゃないですか?」
デスクには適当なことを言っても疑いもしないので、別に取材なんかしなくてもいいのだけれども。
「無理さ。そもそも戦闘機パイロットだろ?メビウス1は。どうやってこんな戦線の外れで取材をするんだ?」
「そうでした・・」
反省です。
でも、世の中なかなか分らないものでした。
「お前さん達、メビウス1のことを探しているのか?」
「ああ、そうだが・・・何か知っているのか?」
質問に質問を返す岸田さんでしたけど、ちょっと痩せぎすの兵隊さんは気にした様子はありませんでした。
「ああ、ちょっと前に無線で声を聞いたよ。東の戦車の待ち伏せを喰らってね、ヤバかったよ。それでね航空支援を呼んだら直に来てくれた」
「本人に会ったわけじゃないのですねー」
「そりゃそうさ、相手はジェット戦闘機だぞ、顔も見えないさ。それでも声は綺麗だったな。ちょうどあんたと同じ位の歳だと思うよ。いい腕でね、一発で戦車がひっくり返った」
何故か、自分のことのように自慢げに兵隊さんは言います。
「なるほど・・・機種はなんだった?」
「確か・・・あれはF−15だったはず」
さらさらとメモを取りながら、岸田さんは何か考えごとをしているようでした。
「メビウス1はここらへんでは有名な存在なのか?」
「有名ってほどでもないが、熱狂的なファンはいるね。俺もその一人だけどさ、対空砲火がどんなにヤバイところでも直に飛んできてくれる。敵に包囲された時に無線であの声を聞いたら、どんな奴でも信者になっちまうさ」
「なるほど・・・」
「あのーメビウス1に会ったことがある人は知りませんか?」
無駄とは思ったけれど、一応訊いてみることにしました。
「あーっと、確か・・・花穂大尉だったかな・・友達って話だぜ」
「・・・意外なところに話のネタってのは転がっているもんだな」
シャーペンの先に唾で湿らせながら呆れたように岸田さんは言います。
わたしもこんなに上手くことが運ぶとは思っていませんでした。
「どこへ行けば会えるんですか?その花穂大尉って人に」
兵隊さんは少し考えた後、遠くの山を指で示しました。
ところどころ煙が立ち昇っています。砲声と鈍い爆音、砲撃と爆撃でしょう。頭上をF−20の4機編隊がフライパスします。
望遠レンズで覗いたF−20は重々しい爆弾を何発も搭載していました。たぶんでもなく、近接航空支援でしょう。
「前線に行けば直に会えるさ。花穂大尉の中隊は精兵だからね。鉄の女に率いられたクソまで筋肉が通った最悪の殺し屋達さ、一目見れば直に分る」
それだけ言うと兵隊さんもまた自分の仕事に戻るようでした。
わたしはお礼の代わりに写真を一枚撮ってあげました。燃える死体をバックにピースサインはどうかと思うけれど。幽霊が映ったらお慰みです。
こうして、わたしたちはメビウス1の友人(かもしれない)花穂大尉を探して前線を彷徨うことになりました。
高機動車は順調に九州自動車道を北上していた。
右手に見えていた霧島山(今だ東日本軍が頑強に立て篭もっている山岳要塞)は振り返ると遠くに小さく見えるだけだった。
天候も悪くなってきている。水色の空を蝕むように黒い雲が西の空を埋めていた。
木乃葉はさっきのが効いたのか爆睡中、肩を揺すっても起きない。それについてはどうでもよかった。ストレスから逃れるのに睡眠を選ぶ内はまだ大丈夫だ。
砲声は鳴り止まず、爆撃特有の重い破裂音もしばしば、前線は近い。
山ほど負傷兵を乗せた衛生部隊のトラックとすれ違い、それを護衛する74式戦車には休暇で後方へ戻る兵隊たちが鈴なりになっている。
それはまるで、武器の周りにこそ安全と生存があることを暗示しているようだった。確かにここは戦場で、武器を持っていたほうが幾らか安全だろうということは間違いない。
これが平和になると逆転するのは面白い現象だろう、戦前ならヤクザに高い金を払って手に入れる安物のトカレフよりも遥かに高性能な自動小銃が一山いくらで転がっている。他にも大手を振ってハリキリ薬という名前で覚せい剤が出回り、売春や賭博、背徳的なものは戦争になると途端に安売りするようになる。
それはまるで人間の負の部分を戦争というバーゲンで一気に叩き売りしてしまおうとしているようで、がめつい死神という名の商人は容赦なく、その代価を取り立てていく。
ベトナムの出征していたころサイゴンの街で見たものが、この日本でも見られるとは思ってなかった。ただし、それが悲しいのではなく、どこか“ざまあみろ”といった感情を抑えられないのは何も俺の精神が病んでいるからではないはずだ。
あの大佐が言ってことはある意味の真実と言えた。
戦争に勝って帰っても、そこに華々しい出迎えはなく、戦後の軍縮で失業した兵隊は犯罪者として雇用対策に警察に雇われた元戦友と殺しあう羽目になった。
おそらく負けて帰っても同じことになったに違いないだろう。そしてこの戦争に勝っても負けても、あの時と同じことになる。
この国でこんな泥沼の内戦をすればどうしようもなく経済は破滅するし、武器が大量に民間に出回ることになる。
犯罪と失業、膨大な戦時国債の山とインフレ。下らない未来の為に戦争は続く。
ただの新聞記者の俺にはこの戦争でこの国に住む人々が戦争というものを真に理解してくれるようになることを願うことしかできない。
平板な平和主義ではなく、安易な保守主義でもなく、実体の伴った理解。愚か者の無見識ではなく、ただそこに実体として存在するものとして平和が理解されるのならば、この戦争は無駄ではなかったと、後の世で評価されるかもしれない。そうすれば、あの理不尽な殺戮に曝された人々の死に意味が生まれるかもしれない、これから死ぬ兵士達にとっても、それに意義が与えられるかもしれない。
かもしれない、そうではないかもしれない。かもしれないばかりだ。
戯言が長くなった。死期が近いのかもしれない。
「今日は人通りが多いな」
今にも雨が降りそうな空の下を、同じように曇った顔をした兵士たちが歩いていた。微妙に野戦服の迷彩パターンが違う、東日本の捕虜達だった。
長い兵士達の隊列は天気の悪さも手伝って葬列に見えなくもない。
寝ている木乃葉を起こすのも何なので、カメラを拝借することにした。
「報道部か?」
車を止めるとライフルで捕虜の兵士達を追い立てる兵士が話し掛けてきた。
この手の手合いはあまり好きではなかった。
「そうだが、何か?」
「出来れば、捕虜の写真は遠慮してもらいたんだ。いろいろ上から言われていてね」
この手の人間のあしらい方は過去も今も変わらない。
そっと、煙草をひと箱握らせた。煙草以外にもいろいろ入っている。
「悪いな」
「仕事に戻れよ」
にやにやと笑う、ムカツク野郎だった。
ファインダーの中の捕虜達の足取りは悪い。こちらがカメラを向けてもほとんど反応もしない。ただ追い立てられるままに歩き続けるだけで、まるで生気が感じられない。
べトコンも捕虜にされるとあんな顔をしていた。まるで望みのない顔。いや、あれは処刑台に上る囚人の顔だろうか?実際にゲリラは処刑される。軍人ではないからだ。
だが、彼らはべトコンとは違うし、軍服をしっかりと着ている。ジュネーブ条約を名前だけでも知っていそうな普通の兵士である。
「なぁ、あいつらは何をやったんだ?」
それは、さっそく俺の握らせた賄賂を検分している兵士に訊くしかなかった。
「あぁ、あいつ等は敗残兵さ。この先にちょっとした町があるんだが、そこに立て篭もってね。男、子供は皆殺し。女は全部犯された。上は50、下は幼稚園・・見境なしさ。それで俺達が来ると直に降伏しやがったよ。『ジュネーブ』って叫びながらね。くそったれどもめ、皆殺しにしてやる」
皆殺し、その単語に一人の捕虜が反応した。
両手を縛られて満足に走れないというのに、脱走を試みる。
「ビンゴ!」
酷く嬉しそうに、賄賂を握らせた男はライフルのトリガーを引いた。
脱走しようとした捕虜は胸を撃ちぬかれて倒れ伏す。
兵士はそのまま、まだ生きている捕虜を踏みつけて、首に銃弾を撃ちこんだ。数発で首が千切れ、兵士はその首を捕虜の列へ投げ込んだ。
間違えて首を踏んでしまった捕虜が絶叫する。
「止めないんだな、あんた」
聞き取りずらい日本語を叫ぶ捕虜を見て笑う兵士は言った。
「お前と同じことを昔やったことがあるからな」
「どこで?」
「ベトナムさ」
その単語に兵士はそれほど興味を引かれた様子はなかった。
別にそれについてはなんら感情は動かない。若い世代にとってベトナムは歴史に過ぎないことを、それどころか同じ世代、いや家族ですらベトナムをブラウン管の中にしか知らないのだ。
「ベトナ帰りかよ・・・じゃあ、慣れてんだな」
「ああ、そういうお前もずいぶんと慣れているな」
「そうでもないさ、まだ時々悪い夢を見るよ。でも、もう慣れたと思う。でもよ、時々不思議な気分になる。少し前まで大学生だったんだぜ、旧帝大系の。俺は一体こんなところで何やってんだろな?」
「俺は私立の大学だった。親のコネで入ったような、どうしようもない馬鹿だったさ。それでも地獄を見れば、人は変わる」
死んだ捕虜の首はもう道路の脇に退けられて、また行進は始まっていた。
兵士の顔が昔処刑したべトコン顔にダブって見える。あのべトコンも、似たような希望のない顔をしていた。
そんな連中に取材ができるかどうか、ダメで元々だった。
「なぁ、あんた。メビウス1を知っているか?」
問いを飛ばした兵士は俯いたままぶつぶつと何か言うが、ほとんど聞き取れない。
だが、死神、化け物、怪物、悪魔と、単語だけはなんとか拾い出すことはできた。
「おい、俺の言ってることが分るか?メビウス1だ。メビウス1を知ってるか?」
今度ははっきりと口が動いたけれど、俺には理解できない言葉だった。精神でも病んでいるのだろうか、いや、そんな様子はない。もしやロシア人だろうか?
「あいつ等はどこの兵隊だ?ロシアか?」
よく見ると兵士の目は碧眼だった。他にも日本人らしくない(さっこんの若い奴のおしゃれは除く)奴が多すぎた。そもそも軍隊では髪を染めるのは禁止されている。それは社会主義の軍隊とて同じだろう。
立ち並ぶ兵士達のほとんどが金髪や碧眼、赤毛やら・・・見慣れた日本人の顔に乗っているのは違和感がある格好ばかりだった。そもそも顔つき、体つきからして日本人らしい人間が少ない。
その疑問に俺に分る言葉で答えられる人間は捕虜達の中にいそうになかった。
「東では混血が多いらしいぜ。ロシア人やら、どっかの少数民族とか、なんでもチェチェン人とかが親や爺さんってのが結構いたな」
背中に声飛ばしてくる兵士は饒舌だった。自分の手柄を特に五月蝿く見せびらかすタイプなのだろう。だが、タイミングを選ぶぐらいの自制心もありそうだった。案外しぶとい奴なのかもしれない。
「詳しいんだな」
「こう見えても外国語学部だったんだぜ。ちょろいもんさ。だが、東の日本語は相当ロシア語やらわけの分らん言葉が混じっているな、ちょっと会話には苦労したよ」
「・・なるほどな」
噂はあった。東日本が西日本に比べて独立が遅く、その長い占領時代に政治犯や犯罪者、余剰人口のロシア人、ソヴィエトの政策に反抗する少数民族の流刑地に使われていたという話は亡命してくる日本人の話から伝え聞くところになっている。
もっとも、そんな話を信じる人間は流石に少なかった。そもそもそんな話は日本人の想像力の限界を超えている。マトモな日本人なら思いつきすらしないだろう。
「希望のない話だ・・」
「何か言ったか?」
と、訊いてくる兵士を無視して車を出した。
十分に捕虜達の姿が見えなくなったところで止めていた深い息を吐きだした。
この戦争に勝っても負けても、下らない未来しかないとは分っていたが、現状さえも随分と下らなかった。
この国が統一され、東西がいっしょになったところで東西の日本が元どおりには決してらないだろう。
何しろ、レイシズムは人間が抱える根本的な欠陥であるからだ。東西が統一されれば一気に5000万を超える2級市民が誕生する。そして戦中に受けた屈辱を西の日本人は決して忘れないだろう。
絶望という二文字が脳理を駆け巡る。
何かも投げ出してしまいたい衝動に駆られた。となりで無防備に寝ている少女を強姦して、その胸の中で脳みそをぶちまけて自殺でもしたらさぞかし気分がいいだろう。
刹那的な衝動で目の前が真っ赤になった。ベトナムで初めてハッシンをやったときに気分が似ている。酷く凶暴な気分だった。フラッシュ・バックだろうなと検討はつく。
酷く歪んだ視界の中で、俺は格好のターゲットを見つけていた。ストレス発散には木乃葉よりもずっといい相手がいたのだ。
「起きろ木乃葉!」
「うに?朝ですか?」
「寝言は寝てから言え」
じゃあ寝ますと言う木乃葉の殴って、身分証を探す。報道部特製の効果覿面の魔よけだった。特に憲兵に効く。
高機動車を止める。道路が封鎖されていた。交通整理は憲兵の仕事とされているが、それについてはある種の悪意の存在を疑わざるえない。
「報道部の野戦新聞小隊だ。退いてくれ」
きっちり身分証を提示しているのに、道路を封鎖する憲兵にはそれが見えていなかったらしい。
だが、そうでなくてはいけないとも言えた。
やたら凶暴なこの気分を鎮めるにはこういう奴をいたぶるのが一番だった。
「戦線が突破された。この先は危険だ」
案の定、憲兵は寝ぼけたことを言う。
「戦争に危険じゃない場所なんてあるのか?さっさと退け、無駄飯ぐらい」
典型的な憲兵、眼鏡をかけた神経質そうなタイプの男は一度怯んでも、かろうじて踏みとどまって眼鏡のつるを上げて嫌らしい笑みを浮かべる。大好きなパターンだ。
「口のききかたに気をつけてください。こっちは将校だって逮捕できるのですよ」
「だからどうした。俺のクソからピーナッツを探して食え」
ふっと、憲兵の顔から表情が消える。
ようやくぶちキレたのか、オコリでも起こしたように震えていた。喧嘩のやり方もしらないのだろう。
「ちょっと詰め所まで同行していただきましょうか」
だから、自分の巣に連れ込んでいたぶるような姑息なまねをすることになる。
「あいにく俺は異性交遊至上主義過激派でね、分るか?ホ○じゃないんだ。××××ならお前の兄貴に手伝ってもらいな。分ったかホ○?まさかホ○は××って噂があるが、お前は○○だから大丈夫だよな、ホ○!分っていうと思うが喋るなよ、お前の○○○臭い息をすったらホ○菌に染るからな。分ったか、ホ○!」
特に大声で“ホ○”を強調して言うのがコツである。
憲兵はがたがたと震えていた。顔は赤を通りこして土気色だった。
「いいかげんにしないと怒りますよ!」
「それは女の子のセリフだと思いまーす」
良いタイミングで木乃葉は合いの手を入れてくれる。
一言も言い返せない青白の憲兵に比べたら、よっぽど木乃葉の方が喧嘩の才能があるだろう。
まぁ、ただ単にはねっかえりってのもあるが。
「あなたは許しがたい人だ」
そして何を勘違いしたのか、ホルスターに手を伸ばして、銃口をこちらに向ける。
流石に面白がって見物していた同僚達も顔色を変えていた。あまりにも気分がいいので、少し遊びすぎたのかもしれない。
「脳の回路がショートしたのか?その物騒なものをしまいな。今なら許してやる」
「撃ちますよ!」
「パパとママの愛情が足りなかったらしいな、哀れだぜ」
震えで焦点の定まらない拳銃など恐くもなんともなかった。
真に恐れるべきは迷いの無い、曇りの無い殺意を以って向けられる一発だ。そうでなければ100丁のライフルがあっても、意味がない。
それに、遊びの時間は終わりのようだった。
耳に慣れたソ連製82ミリ迫撃砲の砲声、迫撃砲は展開が容易で隠匿も簡単だ。制空権がないときには重砲よりもよほど役に立つ。
耳障りな、神経を苛むような風切り音。
「伏せろ!」
ぼけっと立ったままの憲兵を思い切り殴り倒して強制的に伏せさせる。気持ちがいい。
アクセルを踏み込んで、高機動車は弾かれたように飛び出した。邪魔な三角ポールを薙ぎ倒して封鎖を一気に突破する。
この場合、運が良いのか悪いのか判断に迷う。
「わぁ、大丈夫かなーあの人達」
だが、暢気な木乃葉の声を聞くと妙に考えが良い方向に向くから不思議だ。
「どうした?」
「何かすごい煙ですよー」
そこで気が付く。そういえば、砲声はしたのに砲弾の破裂音が聞こえない。
振り返ると検問所は白い煙が立ち込めていて、もうそこに検問所があったかどうかも疑わしい。
突然の不可思議に首を捻ると同時に無線機の空電に混ざって若い女の声が聞こえた。
「ヤッホー、大丈夫だった?」
「ああ、助かった。見事な援護射撃だったよ。今のあんた達だったんだろ?」
「あれ?ばれちゃったの?」
「そりゃな、致死性ゼロの発煙弾じゃ憲兵を追っ払うには調度良いがね。東の連中なら実弾を使うだろうよ」
「ふーん、意外と冷静だね。でも、戦線が突破されたのは本当だからね」
「分った。それでどこに行けばいい。見てるんだろ?」
「そこまで分っちゃうなんて、ちょっとショックだなー」
「そうかい。じゃあ、ついでにもう一つショッキングなことを教えてやろうか?」
幾分秘密めかして俺は言った。
「なになに?」
かなり若い、多分木乃葉と同じぐらいの年頃の妙に明るい声も持ち主は興味を引かれたようだった。
「あんたの正体を当ててやるよ。あんた、花穂大尉だろ?」
「どーして分ったのかな?後でこっそり教えてびっくりさせようと思っていたのに・・」
「随分と余裕があるのですね・・」
「蟷螂の鎌だよ、ここらへんで反撃しておかないと撤退すらできないんだよ。いや、もう諦めているのかもしれないね。もうこの戦場は王手詰みだよ」
岸田という新聞記者は50過ぎた中年で、不精にならない程度のあごひげがよく似合っていた。元歩兵だったらしく、歩き方や注意の配り方を見て直に分った。
報道部の新聞記者として麓の方で花穂のことを探していたと連絡が入ったので、待っていたのだけれど、待ち人よりも敵の方が早く来てしまった格好である。
「中隊長殿、やはり枯れ沢を伝って戦車が来ています。現在、対戦車小隊が交戦中です」
雨でずぶぬれになりながらも報告をする部下を慰めるように指示を与えて追い払う。
酷く恨めしい雨、お蔭で航空支援は遅れている。
そんな雨を切り裂くようにして、迫撃砲の砲弾が降ってくる。安定翼の風切り音で大体落ちる場所は分る。直近くだった。
炸裂音と一緒に、泥水が散ってずぶぬれになる。
最悪。
「見てのとおり、戦闘中なの。取材は勘弁してね」
「はい、分っています」
特に残念でもないらしい、岸田伍長に気にした様子はなかった。
反対にオーバーなくらいにがっかりしているのは木乃葉というカメラマンだった。背が高くて、なんとなく胸は重いけれど頭が軽そうな人だと思う。それでも実戦経験はあるのだろうか、砲声の中でも少しも怯んだ様子はない。
「中隊長殿、騎兵隊の到着です!」
差し出された無線の受話器を?ぎとるようにして掴んだ。
「こちら、ホダカ1。聞こえますか?」
「こちらメビウス1、感度良好。これより支援を開始するわ。お待たせ、花穂ちゃん」
「待ちくたびれたよ、メビウス1。FACに指示を出すから、よろしくお願い」
「オーケーじゃあ、また後で」
岸田伍長と木乃葉さんはもの凄く運がいいのではないだろうか?
「今、無線で話していたのはもしやメビウス1ですか?」
質問する木乃葉さん本人も自分の幸運が信じられないのか、目を丸くしながら尋ねてきた。確かに、あんまりにもご都合主義だと思う。
「そうだよ。でも、これから仕事だから取材はできないよ」
もっとも、相手は空の上なので、取材で質問攻めにすることなんかできないけれど。(咲耶ちゃんは気に入らないと容赦なく無線を切ってしまう)
雨音に混じってジェットエンジンの爆音が微かに聞こえた。
もう直真上に来るだろう。咲耶ちゃんは雨が降っていてもお構いなしだった。
「とりあえず、直接目で見る方が早いんじゃないかな?」
「そうですね・・では、一つだけ質問してよろしいですか?メビウス1はどんな人だと思いますか?」
「うーん、そう言われてもね。普通だよ、咲耶ちゃんは。休暇にいっしょにお買い物したり、新しいお化粧を試したり、カラオケで新しいレパートリーを試したり」
「カラオケですか?」
「うん、通信カラオケ。凄いね、戦争中でもカラオケができるとは思わなかった。新譜が出ないからマンネリ気味だけど」
「しかし・・・」
まだ何か訊きたそうな岸田伍長の声を遮るように、迫撃砲弾は降ってくる。悲鳴、誰かが殺れた。いよいよ厳しくなってきたのだろう。
爆音がテントの真上を通りすぎる。見上げるとF−15の巨大な機影。イーグルはバンクして、まるでそれが手を振っているように見えた。随分と荒っぽい挨拶である。
岸田伍長と木乃葉さんは適当に手空きの兵士をつけて、攻撃が良く見える監視ポストまで案内させることにした。取材に協力しておいて損はないだろう。
それにどうもマスコミ関係の人が周りにいると気恥ずかしくてしょうがない。
戦闘そのものは短時間に終結に向かった。
メビウス1と活躍というよりは全天候型戦闘機による激しい阻止攻撃によって敵の戦車隊は撃退されたからだ。
もっとも、事故で一機、対空砲火で3機が食われたのだから決してそれが容易い仕事ではなかったいうのは明白だろう。
山岳地帯の複雑な高低差は時として目測を狂わせる。操縦桿を引くのが後れれば地面と熱いキスを交わすことになるのは当然というべきだろう。
そんな中で、地表すれすれまでダイビングするF−15は確かに腕利きであることに疑いの余地はなかった。
逆に言えば、ただそれだけでしかない。ベトナムにはもっとクレイジーなパイロットが大勢いた。
だが、メビウス1という存在はそれらのただ単に上手いだけのパイロットとは微妙に違う。ある種のカリスマ性があるのは否定できない。それは今までの兵士達の言葉の端から覗けば簡単に垣間見れる。
では、彼女は一体何なのだろうか?それは直接話せば分るだろう。
だから、無線の受話器を渡されたときは幾らか緊張した。
たった1機で6倍の敵機を叩き落とし、1個戦車連隊を壊滅させ、赤衛艦隊の戦艦、巡洋艦、空母を片っ端に撃沈、肩翼で空戦をして生還し、高射砲の十字砲火の中を平然と飛び、あの黄色中隊と互角に渡り合い、ストーンヘンジの砲撃からも生還してのけたメビウス1。それはただの戦場伝説かどうか、確かめるのは勇気が必要だった。
ある意味今自分は伝説と呼ばれるものを蹂躙しようとしているのかもしれないからだ。
「初めまして、私は第一野戦新聞小隊の岸田と申します」
「こちら、メビウス1。こちらこそ、初めまして岸田さん」
とりあえず、普通の若い女の声だった。ハイトーンで木乃葉のようにどこか落ち着きのない子供っぽさが抜けていない。
貫禄などカケラも感じられなかった。
「あの、あなたは本当にメビウス1ですか?」
木乃葉も同じ考えなのか、喉のあたりで止まってしまった質問を代わりに訊いてくれた。
だが、しかし、この質問は幾らなんでも失礼というべきだろう。
「失礼ねー本物よ。で、私に何の用?あんまり長くは話せないわよ?」
口調が荒い、かなり不機嫌になったようだった。
確かに亜音速で彼方に飛び去るF−15相手に無駄に使える時間はない。
「じゃあ、さっそく質問だ。あんたは本当に噂にあるような化け物なのか?」
「そんなわけないわよ!化け物って何?そんな風に思われているの?!」
「まぁな・・・」
かなりショックを受けたらしい・・・まぁ、確かに声からしてメビウス1は二十歳かそこらなのだから、化け物扱いは厳しいだろう。
「ショックよ・・・私は普通のパイロットなんだから」
確かにそれは言える。
しかし、噂を信じれば超人か怪物でもなければ不可能なことを彼女は成し遂げていた。
「だが、1対6で相手を全機撃墜したとか、1個戦車連隊を壊滅させたとか」
「6機墜したのは輸送機、1個戦車連隊は潰したけれど、私一人の戦果じゃないわ」
「あくまで噂に過ぎないと?」
「真実も少しはあるかもしれないけど、全部を信じていたら私、神様になっちゃうわよ?」
確かに、それは真実かもしれない。だが、ただのパイロットの名前が空軍の中だけならまだしも陸軍、そして敵の間にまで広がることなんてあるのだろうか?
或は、空軍の意図的な情報操作というのが真相なのかもしれない。
だが、何故かそれを信じたくない自分がいる。理由はない。だが新聞記者の信条である“事実を伝えること”をかなぐり捨てても、彼女の神秘性を信じている自分がどこかにいた。
不思議な感覚だった。神秘などというものは、ベトナムに捨ててきたと思っていたのに。
「そろそろ通信を切るわよ」
距離が離れたせいか、空電も多くなっている。時間切れだった。
「では最後に、あんたはなぜ戦う?あんたにとってこの戦争は何の意味がある?あんたはこの戦争をどう思う?」
「うーん、どうっていってもね。気がついたら戦争になっていたって感じかな?」
「本当にそれだけか?」
まるで縋るような口調、情けない。
「後は・・黄色中隊は私の両親の敵で、敵討ちなのかもしれないわね」
それは絵になるかもしれないが、望んだ答えには遠かった。
「それと・・岸田さん、秘密は守れる?」
「ああ、守るさ。当然だろう」
そう?と彼女は疑わしげだった。情報の出所を秘匿するのはジャーナリストの基本と言っていい。もっとも、会社利益の前に忘れられることもしばしばだが。
「ま、いっか。実はね、私には生き別れになったお兄様がいるの。それでね、この戦争に勝ってね、お兄様に探しに行く予定なの。それで出来れば・・・結婚したいわ」
光悦ともいうべき声で彼女は言った。
俺は自分の耳を疑うことはしない。だが、彼女の神経は疑わざるえない。
「待ってくれ、本当にそんな理由であんたは戦争をやっているのか!?しかも勝つつもりなのか、この戦争に!?」
「そうよ、戦争に勝って、お兄様を探し出して、一生一緒に暮らすの。それが私にとっての戦争の意味よ」
完璧に断言しやがった。
視界がぐらつく。重力が反転したかのようだった。天地が逆転して、気がつくと空を見上げていた。奇妙な浮遊感。
なんだか、やたらと体が冷たい気がする。
「岸田伍長!」
木乃葉が悲鳴を上げて、こちらに駆けつけてくるのが見えたけれど。もはや返事をする気力すらなかった。意識が消える。
フェイド・アウト。
岸田さんは何かショックを受けて寝込んでしまいましたので、私が代わりに運転します。
高機動車は何事もなく九州自動車道を南下して、鹿児島へ帰る途中でした。とりあえず、今日中には帰れそうです。
「岸田伍長。ご飯食べられますかー?」
「いや、無理だ」
せっかく花穂大尉の好意で分けてもらった夕飯に岸田さんは見ようともしません。
高機動車に山ほど積み込んだ缶詰も煙草もいやらしい雑誌も全部売れて一攫千金を果たしたのに岸田さんの顔色は優れません。
そんなにショッキングなことをメビウス1に聞かされたのでしょうか?
「木乃葉・・・メビウス1をどう思う?」
まるで、岸田さんの声は地響きのような、地の底から響くような声でした。
本格的に落ち込んでるようです。
「えーっと、凄い人なんじゃないかと」
「あぁ、ある意味凄い奴なのかもしれんな・・・」
眉間に皺を寄せて岸田さんは言います。頭も痛いのでしょうか?
「なぁ、木乃葉」
と、声を掛けておきながら、ぼそぼそと小声でいうだけでよく聞こえません。
「何ですか岸田伍長?」
「いや、メビウス1にな、どうして戦争をするのかって尋ねたら、お兄様と一緒に暮らすためだって、答えられたんだ」
「えーっと、それが戦う理由なんですか?」
「らしいな」
油汗をかいて岸田さんは言います。
「それって、ただのブラコンじゃ・・・」
「だよな・・・」
深い沈黙が車内に立ち込めました。
街灯のない暗い道がなんだか奈落の底へ繋がっているような気がします。
このままではいけないと思います。このままでは負のデフレスパイラルです。
だから、
「あー!」
っと、意味も無く大声を出してなんとなく沈黙をどうにかするぐらいしか出来ないのが、なんとなく自分の未熟さを目の辺りにするようで辛いです。
でも岸田さんは驚いてくれたようでした。
「どうした!?」
「えーっと、どうってことなんいんですけど。良いことを思いつきました」
思いついたっていう時点でどうしようもないのですけれど、岸田さんは興味が引かれたようでした。
話してみろと縋るように言われてしまいました。そういう弱い岸田さんも、なんとなくわたし的にはオーケーです。
「えーっとですね。ほら、幽霊の正体は枯れ尾花っていう例えがあるじゃないですか、だから、えーっと、つまり・・・」
「しょせん、噂は噂に過ぎないってことか?」
「はい、いいえ、そうじゃありません。えーっと、ほら!昔岸田さんが言ってたじゃないですか、戦場伝説は戦場での恐怖の産物だって」
「メビウス1は皆の恐怖の産物と?」
それは微妙に違うような気がします。
「うーんっと、えーっと、だから・・・きっと逆なんですよ。恐怖じゃなくて、希望とかプラスの方向の無意識とかそういうのです。みんながこの戦争を早くなんとかしたいって思っているけど、自分じゃどうしようもなくて、それで誰か強そうな人に希望を託してるんじゃないかな?それにメビウス1が選ばれたとか・・・だからメビウス1は誰でもいいわけであって・・・えっと、わたし何言ってるんでしょうね?」
勢いに任せてわけのわからないことを言ってしまいました。顔から火が吹き出そうです。きっと岸田さんも怒るに決っています。
「いや・・・面白かったぞ、案外そうなのかもしれん」
耳を疑ってしまいます。わたしの与太な話に岸田さんはしごく真面目に頷いてくれました。えーっと、それは正しいってことですよね?私の話が。
「フロイトの集合無意識やら、アラヤ識やら、小難しいことは向うに置いておくとしても、なかなかいい話だった。なるほど、無意識に選ばれた希望の伝説か・・・なるほど、かもしれん」
「でも、完全に空想ですよ。私の」
「どうかな・・・無我夢中で話しているときには案外本音が飛び出すものさ、それを無意識の言葉とするならば、木乃葉の話は真実かもしれん。なるほど、そういえば戦う理由などどうでも良かったのかもしれん。案外ジャンヌダルクあたりも物価が上がったとか、イギリス人に悪口を言われたとか、そんな理由で戦争に参加したのかもしれないな」
それは幾らなんでもジャンヌダルクに失礼だと思ったけれど、独白モードの岸田さんは何を言っても聞こえなさそうなので、黙っていることにした。
「そう考えれば、ブラコンでもいいのかもしれないな。逆にそんなふざけた理由で命のやりとりをするなんて、ある意味凄まじい奴なのかもしれん。なるほど、そんなどうしようもなくあやふやでぶっ飛んだ理由である方が案外ふさわしいかもしれないな・・・」
と言って岸田さんは煙草に火をつけました。
夜に煙草を吸うと狙撃兵に狙われるので危険だと思いましたが、なんとなくカッコ良かったので、そのままにしておきました。
絵になるという奴かもしれません。シャッターチャンスです。
「おい、撮るなよ」
でも、特に嫌がらないので、シャッターを切りました。
昔小遣いを貯めて買ったポラロイドカメラです。直に現像された写真が出てきます。ぺらぺらと振ると、ぼんやりと絵が浮かび上がってきました。
「うーん」
思ったほどよくありませんでした。岸田さんは写真映りが悪いのか、ただの煙草を吸うおっさんにしか見えません。
リアルの岸田さんは凄く渋くてカッコイイのに、これは失敗作です。
それで、この写真はなかったことにしようとバッグの底にしまおうとしたところで、岸田さんに写真を横から取られてしまいました。
「あのーその写真は失敗だから、返してください」
「いや、失敗じゃないさ・・・事実と真実の違いって奴だろう。カメラは正直さ・・・ああ、なるほど・・そういうことか」
岸田さんはよく分らないことを言います。一人で首を捻ったり、頷いたり、まだ独白モードなのでしょうか?
写真をじっと見つめると、そのまま私が見ている前で写真に煙草を押し付けます。直に火が回って、十分に燃え上がると窓から捨ててしまいました。
岸田さんの写真だから、別にいいですけど・・・
「ほら、木乃葉。アクセル全開だ。今日中に鹿児島に帰って原稿を上げるぞ。明日の朝刊に必ず間に合わせる」
「えーでも、明日の夕刊でいいって、さっき・・」
「馬鹿!新聞ってのはスピード勝負なんだ。ネタが腐らないうちにとっと仕上げるぞ。もう、とんでもない大法螺を吹いてやる!どいつもこいつもメビウス1を勘違いしちまうような凄い記事を書くぞ!」
「ええ、でも、嘘はダメですよー」
いきなり元気になった岸田さんは何を言って無駄みたいです。全然聞いていません。
「いや、いいんだ。誰もがあいつに希望を託せるような凄い伝説を俺が創ってやるのさ。なるほど、アイツは確かに化け物だよ。いや、こういう場合なんて言うんだっけな?」
「えーっと、ヒーローなんじゃないですか?」
何気なく言った一言がたぶん、ツボに嵌ってしまったんじゃないかと思います。
岸田さんは完全に固まってしまいました。
たっぷり3分使って現世に帰ってきましたけど・・それはまるで、長年喉に突き刺さっていた魚の骨が取れたような、憑き物の落ちたような、とっても可笑しな顔でした。
「・・・冴えてるな、木乃葉。なるほど、ヒーロー。英雄か・・・そんな単語もあったんだな。ずっと忘れていたよ」
そんな顔で真面目なことを言っても可笑しいだけです。
「じゃあ、早く鹿児島に帰らないといけませんね」
込みあがってくる笑いの衝動を誤魔化すように言って、思い切りアクセルを踏み込みます。ステアリングをがっちり握って、側溝ドリフトでもなんでも出来そうな気分です。
高機動車は素直に加速していって、やがて夜の闇の中にライトを紛れさせていきました。
それから数日後、タンゴ線は突破され、阿蘇山要塞も陥落しました。それでも福岡市が解放され、九州全域で東日本軍が活動を停止するにはそれから更に数週間が必要でした。
そのころにはメビウス1はまた新しい伝説を一つ創ってしまうのですが、それはまた別の話です。
誰も見向きもしないイエローペーパー、第1野戦新聞小隊が作ったある日の朝刊1面トップを飾った私の記事が、その後メビウス1が創る伝説の数々にどんな影響を与えたかは未だに分らない。また、分らなくてもいいのだと思っている。
けれど、その後のメビウス1が辿った軌跡をあの戦争を知る人間なら誰もがよく知っていると思う。
蒼い空の月姫、鋼の撃墜王、マジェステック・エース、東洋のジャンヌダルク、ナンバー6エラー、蒼き制裁、数々の二つ名と伝説に彩られた英雄は常に希望の二文字と共にあったことを私は決して忘れないだろう。
文科省大日本史編纂委員会近代史委員 岸田一成『英雄のいた空』より抜粋
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