バンカーショット作戦〜The Longest Day〜
2001年4月5日 23時50分 薩摩半島 伊集院
「不覚ですわ・・・」
ふと、目を覚ましました。
いつのまに眠ってしまったのでしょうか、確かにここのところ疲れてはいましたが、寝る前の記憶さえ失ってしまうほど深く寝てしまうとは思いもしませんでした。
慎重に車長シートから身を起こして、ハッチを探します。
明かりなしで歩くには戦車はかなり複雑な構造ですが、プロイセン軍人に不可能なことはありません。
ましてや、大和撫子なら何を言わんやです。
ハッチを探りだして空けると、暖かい南九州の吹き込んできました。
車内に充満したMB873多燃料式ディーゼルのオイルスメルを緑の香り追い出していきます。4月、新緑。若葉が萌える季節。一足早く訪れた春は故郷ドイツの春とはまた一味違う匂いがしました。
舞散る桜の花びらが装甲にまだらに散って、レオパルド2A6を春色に染め上げます。
心なしか、祖国ドイツが生み出した世界最強の機械仕掛けの獣は喜んでいるようでした。
空は微かに雲がかかっていましたが、十六夜に光を邪魔するほどではありません。むしろ金色の十六夜にもたれるように雲にかかって、典雅に桜の舞う夜に映えていました。
空に浮かぶ金色の瞳はレオパルド2の単色迷彩さえ夜の回廊ごと金に染め上げます。
「まだ、今日のようですね」
腕時計の針はまもなく12時を刻むところでした。
まもなく4月6日が始まります。今日が終わり、明日が始まる瞬間です。と、いっても明日が今日になれば、そのまた明日が生まれるだけです。明日は手のひらから零れて、人は永遠に明日へ辿りつくことがないのです。
ある哲学者は「明日」こそ人類の生んだ最高の時間概念と「明日」を称えました。人は明日がある故に未来に思いはせ、明日に連なる未来に備えて自己を鍛える。それ故に文明が生まれたと・・・或はそうなのかもしれません。
しかし、そこまで思い切りのいい考えをするには、軍人というものはロマンチシズムに傾倒しすぎた存在なのでしょう、ワタクシは賛同できそうにありません。
ただ、人は永遠に来ない明日を求めて彷徨う旅人と評しておきます。
それ故に、人は「また明日」といって永遠に続く明日に安心して、静かに眠りに付くことができるのだと思います。
もっとも、今夜は寝ずの番のはずでしたが。
「春歌大佐殿、おはようございます」
「軍曹、それは6時間以上眠った人間相手に使う言葉ですわ。あなたはいつからそんな英国人のような嫌味を言うようになったの?」
「すみません。あまりにもぐっすり寝ていたので、つい」
まぁ、と口に手を当てて、
「乙女の寝顔を覗くなんて、感心できませんわ」
と、ワザとらしくオーバーに怒り、軍曹は笑って頭を庇うフリをする。
軍曹とは長い付き合いでした。むしろあまり会うことの無い父上よりも身近な存在なのかもしれません。
といっても、下品な冗談を連発するのが少し困りものですけれど。
「今日は来ないようですな、大佐殿」
と、時計を見ながら軍曹は言う。長針が12時を回って4月6日が始まっていました。
「そのようですね」
と、ワタクシは空を見上げながら返します。
桜を散らす春風に生暖かい南風が混じり始めていました。十六夜月は雲の間に隠れてもう見えません。天気予報では朝から雨とのこと、それも随分と荒れるそうです。
そうなれば、上陸など到底不可能でしょう。
ここ数日、西日本軍というよりは正式に連合国軍となった敵軍の動きは活発なものになっていました。既に多くの情報が連合国軍の上陸作戦が近いことを示していて、南九州に展開する第40軍、第57軍は警戒態勢のレベルを最高まで引き上げています。
もちろん、はるばるドイツから派遣されたドイツ義勇旅団“コンドル”も例外ではありません。
もっとも、ワタクシに言わせてみれば、東日本軍の第40軍と第57軍の警戒態勢は意味の薄いものでした。なにしろ第40軍と第57軍の戦力の殆どが海岸線から遠く離れた熊本や九州山間部に配置されているからです。
これでは上陸作戦を阻止することなど最初から不可能です。仮に阻止へ向かおうとしても途中の阻止爆撃で戦場に到達することさえできません。
一番近い位置にいる第21戦車師団さえも鹿児島市周辺に配置され、吹上浜からは随分と遠い配置でした。
事実上、上陸の予想される吹上浜前面に配置されているのは僅か1個歩兵師団でしかなく、迅速に戦線を突破し、脆弱な海岸橋頭堡に致命的な打撃を与えることが出来る戦車戦力は伊集院に展開するドイツ義勇旅団コンドルのみでした。
さらに具体的に述べるとしたら、ワタクシが指揮する第22戦車連隊と歩兵大隊を基幹とし、さらに砲兵中隊と各種支援部隊から構成される世界最強のドイツ軍の最精鋭が集められた世界最強の旅団と言うことができるでしょう。
もちろん、異論は認めません。
「連隊長殿、一度仮眠を取ってください。この天気なら上陸もないでしょうし」
「そうしたいのですけれど、目が覚めてしまいましたわ」
妙に、はっきりと目が覚めてしまっています。
体は疲労して熱を持って睡眠を要求しているのに、頭はだけは妙に冴え冴えとしていました。こういうときは寝ないほうがいいでしょう。
こんな眠れない夜に限って、士官学校では夜の抜き打ち検査があったり、中東戦争ではイスラエル軍の夜襲があったり、或は突然の訃報が届けられたりします。
「何か、ありそうですわね・・・」
「大佐殿の感はよく当たりますからな、以前も」
と、言葉を続けようとする軍曹を手で遮りました。
「何か・・?」
「静かに・・・何か聞こえますわ」
静かに耳を澄まします。
花冷えのする夜気はとても静かで、微かに響く人の声さえはっきり聞こえてしまいます。まだ虫の出るの前の夜は静寂そのものでした。
夜空を見上げます。花曇の空、薄い雲の向うに何かいました。前よりもはっきりと、金属が擦れるような、高い音階の音がします。
「こいつは・・・」
また何か言おうとした軍曹の声は、私が制止する前にかき消されました。
数え切れないほどの、轟音の連奏。
音源に振り向くと、西の空には無数の光弾と炎が交錯していました。対空砲火、ZU−23の青白い曳航弾の連なりが雲と地上を結ぶ鎖のように林立しています。
「大佐殿!これは・・・!」
「・・・始まったのですね」
敵と味方に別れて紡ぐ破壊の連弾奏が暗闇を炎でなぎ払います。
吹上浜は昼と夜が逆転してしまったようでした。圧倒的な火力の前に、空と地上を結ぶ対空砲火の鎖は次々に破断して、地上と夜空は切り離されてしまいました。
燃えさかる地上の炎に照らされて、突入寸前の巡航ミサイルが闇から引きずり出されます。溜め息、それはまるで鰯の群れのようでした。
第一波、おそらく巡航ミサイルの波状攻撃でしょう。それもとてつもない数を投入した・・・どうにもならない程の飽和攻撃。
そこへさらに、
「航空機で叩く・・・」
微かに響く高周波音。ジェットエンジン特有の甲高いタービン音が静かな春の夜に霧笛のように響きます。
遠く離れた吹上浜から響く爆音、微かに震える大地がそれまで脳裏に沈殿していた倦怠を吹き飛ばしていきます。
「上陸作戦は最初の24時間で決するであろう――この日こそ連合軍にとって一番長い日(The
Longest Day)である・・・」
「ロンメルですな」
「ええ、ロンメルの気持ちが少しだけ分った気がいたしますわ」
空爆はほんの僅かな間だけでした。にわか雨ほどでしかありません。
最初はこんなものでしょう。
「規定の計画どおりに、城山支とう点に移動します。戦車、前へ」
さっと、片手を上げると、それまでそよ風が吹き抜けるだけだった桜の林に嗅ぎ慣れたディーゼルスメルが吹き抜けます。
微かな大地の唸り、1500馬力MTU社製MB873Ka―501V型12気筒多燃料式液冷ターボ・ディーゼルの始動音。
それはまるで目覚めたばかりの飢えた野獣のように荒々しく、暗い山々の全てに響き渡るようでした。
薄紫色のディーゼル排気が夜の桜林に怪しくたちこめる中、大地を揺らしながら重量60トンのレオパルド2A6の群れは夜の林を掻い潜り、狩場への移動を開始します。
次に鉄獣が眠りにつくときは、敵の臓物で腹を満たした安息の眠りか、それとも武運尽きた後の永久の眠りか。
どちらにせよ、忙しくなりそうでした。
「軍曹、急ぎますわよ。急がなくてはバスに乗り遅れてしまいますわ」
そして、まるで親しい友人を迎え入れるように腕を広げて言葉を飛ばします。
もちろん、あの浜へ屍山血河を築くためにやって来るだろう兵士達を迎え入れる為です。
「Wellcome to this cresytime!このイカレた時代にようこそ・・・歓迎いたしますわ、連合国軍の兵士の皆さん」
遂に、彼らは来たのです。
2001年4月6日 5時15分 薩摩半島 吹上浜(クラウンビーチ)
「連合軍の将兵諸君!」
不安定に揺れるAAV7A1水陸両用装甲車の中で息を潜めながら聴く演説は冷たい海水とは反対に熱を帯びたものだった。
花穂大尉は欠伸をかみ殺す。
「ついに決戦の時がやって来た!ファシストと戦うべく、今や大上陸軍が集結した!」
大将閣下の熱い演説を適当に聞き流しながら最後の銃器の点検をする。
新しい相棒、ステアーAUGアサルトライフル。なぜオーストリアの銃が日本にあるのかは今一よく分らない。
「幾星霜の艱難辛苦に耐えてきた我らに躊躇いに呟きを漏らすものはいない。もはや何も述べる必要はないだろう!」
一通りいじりまわして異常がないことを確かめて弾倉を叩き込んだ。
初弾を装填して、コッキング。これでいつでも撃てる。
「今しかないのだ!さあ、我らが自由、我らが祖国の為、全てを捧げる崇高な覚悟を持て!諸君の素晴らしい健闘を祈っている!」
OK,行こうか。
「上陸3分前!」
車長が怒鳴る。それでもキャリバー50の射撃音の前には擦れて聞こえた。射撃音に混じって砲声も聞こえる。味方の援護砲撃。海軍の5インチ砲だろう、砲声が殆ど途切れない。かなりの射撃速度だと思う。
時折飛来する敵の砲弾が水柱を立てて、崩れて飛んだ水しぶきが天井を乱打する。その中にある程度の割合で、金属音が混じっているのを聞き逃すことは出来ない。
撃たれているな、と分るけれど、狭い兵員室に閉じ込められて何も出来ない。ただマグレ弾が当たって、人生がこんなところで終わらないように祈るだけだった。
それでも、祈りは虚しい。
銃眼の狭い視界の中で、AAV7を追い越して海岸に殺到しようとしたLCACが対戦車ミサイルの直撃を受けて火柱を上げていた。
そのLCACはついていなかった。空気の入ったホバー部分ならまだしも、操縦室が消滅したのでは操縦不能になるより他ない。
最高速度で時速70キロの快速でコントロールを失ったLCACはそのまま運の無いLSTに乗り上げて横転、搭載物を海面にばら撒いた。
74式戦車が一際は大きな水柱を上げて海面から瞬時に消える。まるで箒で掃き飛ばされた埃のように人間が舞い上がって、落ちる。
海面から、この世を去る兵士達は皆一様に口を有らん限りに開け放っていた。
悲鳴はここまでは聞こえてこない。
それでも、何処を見ているか分らない彼らの瞳は確かに何かを凝視していて、悲鳴は耳の奥まで染み込んできた。
慌てて耳を塞いだ。ぎゅっと、しっかりと、何も聞こえないように。
世界からは音は消えたけれど、悲鳴は消えない。鼓膜の染み付いた悲鳴は拭えない。
だけど、視線を逸らすと悲鳴は消えた。荒れていた呼吸を整える。
それにしても、外は騒がしいけれど、車内は不思議なくらい静かだった。もちろん、人間の声がしないというだけで、キャリバー50の射撃音で頭が割れそうなくらいだったけれど。
神に祈って叫ぶものもいなければ、泣き喚いて失禁する者もいない。ただ緊張に表情を硬くしているだけだった。
頼もしかった。これなら上手くいくかもしれない。
「中隊長殿」
「何?」
流石に完全充足の歩兵1個中隊で、その兵員の全ての名前を覚えることはできない。
けれど、その兵士には見覚えがあった。見覚えがあっただけで、名前はやはり知らなかったけれど。
確か、出来がわるくて軍曹に目を付けられていたちょっとおっとり気味の新兵。娑婆っ気がまだ抜けきっていないところがちらほらあった。
「中隊長殿は・・・恐くないのですか?」
ちょっと語尾が震えていた。
面と向かって尋ねられると、ちょっとだけ答えにくい質問であると分る。確かに、恐い。けれど、どうしようもなく恐いわけでもない。
微妙なバランスだった。恐怖に薄いオブラートがかかったような、説明するには少し時間がかかる、微妙な話だと思う。とりあえず、今は答えられない。
少なくとも「恐くない」なんて答えはどうしようもなくありえないし、「恐い」と答えるには中隊長という身分は重いすぎた。
車長の上陸1分前の声を聞きながら、キャリバー50の射撃音に負けない程度の声で答えを返す。
「今度ゆっくり教えてあげるよ、パフェを食べながら、花穂の奢りで」
「・・・・パフェ・・でありますか?」
「パフェは命の源だよ」
鈍い衝撃。
柔らかい砂地を履帯が噛んで、AAV7が揺れる。海の上とは違う細かい震動。
「ゴー・アヘッド!」
ランプドアが開いて、光が飛び込んでくる。曇っているおかげで目を焼くほどでもない。
すし詰め状態の兵員室から潮が引くように25人の精兵が飛び出していく。速い、訓練よりも10秒は速い。
最後にモバイルパソコンを抱いた通信科の兵士が飛び出して、これで終了。途端、その後を引き継ぐように銃弾が降り注ぐ。
聴き慣れたカラシニコフの銃声、PK機関銃の唸り。それに人間の悲鳴が混じる。
ほとんど海岸線の全てからマズルフラッシュの瞬きが消えては現れる。ダメだよ、ダメすぎる。全然、空爆が効いてない。ほとんどの陣地が健在としか思えない。
「しょうがないよね、戦争だからね!」
半分ヤケクソぽかった。
ステアーAUGを構えなおす。狙いをつけることさえ、困難。波が押し寄せるたびに肩まで押し寄せる海水に浸かりながら、なんとか撃ち返す。
弾倉を一回交換する間に一つマズルフラッシュの明かりを消すことができた。
それでも、一ミリも前進できていない。
首を上げるだけでも、無理。鉄っぱちを滑るように逸れて銃弾がぴゅんぴゅん飛んでいく。浜に突き刺さった銃弾で砂が弾けて口に入る。生暖かい海水は血の味がした。
ただ波打ち際で死体だけが量産されていく。
「じょうだんじゃないよ!」
それに返事をするように、砲声。
AAV7を掠めて、浜に打ち込まれた砲弾が水柱をあげる。
砂と海水が全身に塗されて、不快な感触に身悶えした。
「中隊長殿!」
誰かが叫ぶ。叫ばなくなって分っている。
それまで盾になっていたAAV7から一斉に兵士達が離れた。キャリバー50の銃座に座る車長までが逃げ出した。
同時に破砕音、そして砲声。
T−72JのD−8TM125ミリ滑空砲から滑りだした125ミリHEAT弾の初速は秒速1600メートルを超えて、着弾の後に砲声が聞こえてくるほどだった。
音速を超えたHEAT弾の前には機関銃弾を防ぐ程度でしかないAAV7の装甲はティッシュペーパー以下だった。
着弾と同時に秒速9000メートルのジェットメタルがケブラーと鋼鉄の装甲を穿孔、高熱銅噴流が車内に流れ込んで、AAV7の華奢なアルミ製フレームを内側から弾けさせた。
衝撃に吹き飛ばされたあらゆるものが降り注ぐ。その中には明らかに人体が原産のものもあった。微かに痙攣している。直に波に浚われた、神様に少し感謝。
すぐさま味方の艦艇の砲撃が戦車の隠れていた丘に集中される。
ぱっと、赤い炎が煙の中から上がった。歓声が浜のそこかしこから上がる。
「中隊長殿、助けてください」
そんな中、突然に声がしたので振り返った。
この戦場音楽の坩堝でどうしてこんな蚊の鳴くような声が聞こえたのかは、よく分らない。きっと、ずっとずっと分らないだろう。
燃えるAAV7の影から、さっきの新兵がふらふらと歩いてくる。腹が破れて内臓物が尾を引いていた。上手い具合に死ねなければ、こんなことになる。
「中隊長殿・・・タスケテ」
横合いからの銃弾が首から上をもぎ取って、彼の悪夢に幕を下ろす。
誰だけしらないけれど、感謝します。
素早く十時を切って、今の射撃が飛んできた方向に銃口を向けてトリガーを引く。蛸壺に潜んでいた敵の兵士が千切れた。
「代金・・おつりはいらないよ」
だけど、相手は酷く律儀な性格をしていたらしい。
空気を切る飛翔音とやや軽めの砲声。迫撃砲の砲撃はかなり独特で分り易い。
あたりは平坦すぎる海岸で、逃げ場などどこにもない。
ごろごろと転がって、何かの爆発があけたクレーターへと逃げ込んだ。地雷を踏むとかは考え付きもしない。
クレーターには先客がいたけれど、生きていないので挨拶をする必要も無かった。
大口径迫撃砲だろう、着弾の度に必ず何かが吹き飛ばされた。砂と水と肉辺と、ありとあらゆるものが降り注ぐ。
まとわり付いた海草の破片を払いのけて、クレーターの縁から辺りの様子を覗う。
どのトーチカも健在で、陣地は変わることなく鉄弾を吐き出していた。
視線を走らせた稜線にはT72か、それともT80か、分らない。だが丸い砲塔だけが突き出していた。これも盛んに発射炎を吐き出していて、発射の衝撃が大気を揺れる。鼓膜が震える。
戦車砲が火を噴くたびに、こちらの舟艇やAPCがただの瓦礫に変わった。
ダメだよ。ダメすぎる。
「中隊殿!」
「こんどは何!?」
今度も叫ばなくたって分った。
風圧に負けて一瞬だけ目を閉じる。チョッパーのローター音。海岸を見慣れた昆虫みたいなフォルムの攻撃ヘリが飛び越える。AH−1コブラ、ロケット弾の斉射。
まるで映画か何かのように、ロケット弾がポッドから飛び出して降り注ぐさまは現実感にやや乏しい。
戦車が隠れていたあたりが一瞬で炎の海に投げ込まれる。
戦車一両撃破、といったところだったけれど、それ以上に重大な変化をAH−1は戦場に齎していた。
ロケット弾は着弾と同時にその構造上、固形燃料を大量に内蔵している。その殆どが使い残したままに着弾するので、広範囲に拡散した上で燃焼。大量の煙が発生した。
途端に、それまで正確だった十字砲火がまばらな、当てずっぽうなものになる。
「スモークだよ!スモークを焚いて!」
と、怒鳴るよりも早く、頭のいい車長が乗ったAAV7や上陸舟艇のスモークキャンドルが軽い破裂音を飛ばして、煙幕を展開。
白煙を引いて燃焼する固形燃料がそこかしこで花火のような光の雨を作りだした。同時に濃密な煙が世界を白く塗りつぶす。
煙幕の展開は一時的な、小規模なものだったけれど、それで十分だった。
煙に遮られて火線が弱まったところを一気に突破、爆薬と手榴弾でトーチカを吹き飛ばし、機関銃陣地を制圧、ダックインしていた戦車もAT−4対戦車ロケットの至近距離射撃、或は勇気のある兵士がハッチを空けて手榴弾を放り込んで撃破した。
水際防御は一角が崩れると脆い。
ようやくこじ開けた突破口、掠り傷をさらに左右へ致命的なものへと広げていく。
すぐさま確保された海岸線にLCAC、LSTが乗り上げて戦車を揚陸させた。こうなれば後は火力で押し切るだけだった。
司令部も柔軟にこの戦況の変化に対応していた。散らばっていた攻撃ヘリを突破に成功したクラウンビーチ(連合軍呼称)へ集め、大火力で一気に内陸部への侵攻、同時に左右のカランダビーチ、へイルビーチの側撃を図った。
そして正午には連合軍が全ての海岸線を確保、東日本軍は内陸での抗戦に移り、連合軍はその追撃と橋頭堡の拡大を図っていた。
こうしてThe longest dayの半日が過ぎ去った。
そしてターンは東日本へ戻る。
2001年4月6日 10時59分 薩摩半島 城山
「キリツボよりゲンジへ、ハツネ来る」
「ゲンジよりカシラ、撃て」
同時に、砲声の連打がレシーバーの隙間から吹き込んできました。
膨大なエネルギーを吐き出した55口径120ミリ滑空砲の砲声、反動で車体が震えます。ずれかけたベレー帽を直しながら、PERI―17A2サイトが写す破壊劇をワタクシは魅入っていました。
彼我の間合いは僅かに500メートル足らず、55口径120ミリ滑空砲の秒速1700メートルを考えれば一瞬と言ってよい距離です。
警戒の甘い、もう勝ったとでも思っていたM60戦車は側面が陥没したかと思うと、次の一瞬には砲塔を天高く持ち上げていました。
弾薬が誘爆したのでしょう、哀れな末路です。
同時に、後続の5台のセンチュリオンもまた黒煙を噴いて停止しました。ただ73式装甲車がか弱く20ミリ機関砲で反撃を試みましたが、試みただけでした。
次のコンマ数秒の内に、やはり破砕されます。
命中率100パーセント、アンブッシュの停止射撃とはいえ身震いしてしまいますわ。
「ゲンジより、全車へ。前進」
茂みを押し分けて、レオパルド2A6が前進します。
鋭く鋭角的なショット装甲と長大な55口径120ミリ滑空砲、世界最高度の技術と先達の経験を元に生まれた世界最強の鉄獣は小さな雑木林など簡単に踏み潰して、県道37号線へその姿を露にしました。
次々に林から姿を見せるレオパルド2は、さながら山から下りてきた大型草食獣の群を思わせます。
燃える戦車とAPCを素早く工兵が片付けて、進撃路を再び開かれました。
ただ、前進あるのみです。
先行するワタクシの本部中隊、それに続く連隊本隊の装備する98両の鋼鉄の津波で橋頭堡を燃やし尽くして差し上げますわ。
「ですが、思ったよりも敵の進撃は早いようですわ」
ハッチを空けて、左手に流れる大川を見ながら独り言です。
城山から橋頭堡までおよそ6キロといったところですが、もう城山まで敵は迫ってきました。既に水際防御を放棄して第206師団は内陸での遅滞防御に入っていますが、その崩壊も時間の問題のようです。
何よりも、あれだけ盛んに空に響いていた太鼓のような砲声、ソ連製の各種榴弾砲がほとんど沈黙してしまっているのが何よりも致命的です。
時折、前進する連隊の頭上をロケット弾の雨が通過していくだけで、海岸への砲撃は半ば停止してしまっていました。
それが空爆によるものか、それとも砲撃によるものかは分りませんが、戦場の女神たる野砲の寵愛なくして、戦線を支えることは絶望的でしょう。
志布志湾へ配備された火砲の1割でもあれば良いのですが、大和撫子は無いものねだりなどしないのです。
溜め息をついて空を見上げます。
遠雷のようなターボジェットエンジンの声、そして時折濁った雲の上で瞬く光。今にも雨が降り出しそうな空も、雲の上は晴れているのでしょう。
制空権は拮抗状態か、或はやや劣勢。
それも第57軍司令官である公野大将に言わせれば後保って数日とのこと。
そして、さらに
「上の対応は支離滅裂だ・・・現に吹上浜に連合軍が上陸を始めているというのに、今だ志布志湾への上陸を本気で警戒している輩もいる」
と、疲れたように第57軍司令官、公野大将は言いました。
ほんの2時間前のことです。
薩摩半島防衛を担当する第57軍の司令官自ら出向いて来たのですから、旅団長を含めて大騒ぎになりました。
「空軍はそんなに弱体化しているのですか?」
「そうだ・・・種子島での航空戦で空軍は大打撃をうけた・・・らしい。すまない、こちらも何度か問い合わせてようやく言質を得た程度なのだ」
と、申し訳なさそうに中将は言いました。
「第21戦車師団の戦力発揮にはまだ時間がかかる。空爆の被害を限定するために分散しすぎた。それに定数割れさえ起こしている。あと半日は必要だが我々には時間がない」
見ているこちらが痛々しさに目をそむけたくなるような顔でした。確かに、祖国の運命を握る一戦を外国人に握られるのは、控えめに言って焼けた鉄を飲むようなものでしょう。
ワタクシなら、憤りのあまり自害します。
「春歌大佐、よろしく頼む。もしも貴官が連合軍を海に追い落とすことが出来なければ、この戦争は・・・負けだ」
「おまかせ下さい・・・」
と、ワタクシは答えたものです。
それに、
「連合国軍などという名前の軍隊が上陸作戦を成功させること自体、ワタクシは許すことができませんから」
と、再び独り言です。
レオパルド2のディーゼルスメルが鼻をくすぐります。それに微かに雨の匂い。天候は悪くなるばかりです。これなら空爆の猛威も幾らか弱まるでしょう。
頭上の、それほど遠くないところを轟音と共に航空機が駆け抜けていきます。かなり速い、おそらくは戦闘機でしょう。耳を痛めつけるぐらいで何も起きません。
雲の上では戦闘がまだ続いているようでした
雲のベールに隠された、秘められた空の戦い。
地を這うことに慣れたワタクシは空を見上げるモノだとしか知りません。雲が出れば、もはやそこで何が起きているか知る術はありませんでした。
それでも、空気を歪に切り裂く重い低音はしっかりと聞き捉えていました。
濁った雲を透かして見える巨大な機影と赤い炎。雲のベールを自ら引きさいて、落ちてきた空の騎士はそのまま小山に激突して、視界から消えました。
大きいだけで、単調な爆発音。
赤黒い炎と煙が風のないことを幸いに真っ直ぐ空へと昇って行きます。まるで、まだ上空で戦う味方の元へ駆けはせ参じようとするかのように。
そんな思いを立ちきるように雨が降り始めました。
「どうやら、天はワタクシの味方のようですわ」
ベレー帽についた雨粒をさっと払いました。
「キリツボより、12時方向より戦車4両」
先行するルクス装甲偵察車から無線が入りました。
ハッチを閉めて、備え付けのPERI−17A2サイトを慎重に回らします。視界は最悪の一つ手前、熱線映像装置を作動させる。途端に、色を失った世界の中で敵戦車がスコープの中に浮かび上がります。
熱線画像の歪な戦車がのろのろとこちらに砲塔を向けようとしていました。
ですが、遅すぎます。
「Feuer!!」
衝撃、60トンを超えるレオパルド2A6の車体が打たれたように震えます。
鼓膜が破れそうになる轟音、一瞬だけ世界からレオパルド2の雄たけび以外の音が消え去りました。
瞬きする一瞬の10分の1、秒速1700メートルの魔弾の弾道は敵戦車と交差。13MJの運動エネルギーが槍に似たタグステン弾芯を押し出し90式戦車の複合装甲を打ち破った。砲塔基部を貫いた弾芯はそのまま車内を進み、車体後部の2サイクル10気筒ディーゼルエンジンに飛び込んで、ハラワタを食い荒らすかのように跳ね回った。
その時点で内部に生存者がいることはありえなかったのだが、それを駄目押しするかのように90式戦車は燃え上がり、そして爆発。
各種弾薬を収めた防御コンテナさえも食い破った弾芯はそこでようやく停止した。
「しょせんはまがい物ですわ!」
生き残った90式戦車は慌てて反撃を試みるが、命中弾を出してもレオパルド2を止めることは出来ない。
APSFDS弾のタグステン弾芯がレオパルド2A6の特徴である楔型のショット装甲に吸い込まれたと思うと、その殆どが効果を上げないままに逆に破壊されてしまう。
高速度浸徹体偏向現象を利用したショット装甲はAPSFSD弾に対して高い防御特性を誇る。弾芯が貫通を果たす前に膨大なせん弾力によって破壊されてしまう。
それでも、全滅するまでに1両を擱座させることができたのは日本製鋼所製120ミリ45口径滑空砲が消して非力ではなかったという証拠だろう。
苛立ちまぎれに、火を噴く戦車から悲鳴を上げて飛び出してきたMG3でなぎ払う。チェーンソーのような独特の射撃音が耳に心地いいですわ。
「まったく、いらぬ時間を・・・」
「キリツボより、ゲンジへ。チョッパー!」
「次から次へと!」
こちらにライフルを向けようとしていた兵士をMG3で千切って、直に空へ向ける。
対空照準器を起こして、クロスファイアーに仕切られた空を睨みつけた。
待つ時間はながく、4月の雨は冷たく身に凍みた。稜線を迂回してヘリが現れる。単調なローター音、機体を微かにかしげながら、AH−1Sは河の上をギリギリ滑るようにして接近してくる。MGの銃口を向けようとして、鉄の硬さに遮られる。
MG3のマウントが定めた俯角限界だった。
それでもトリガーを引いたが、追いつけない。ヘリは何事もなかったように弾幕を潜りぬける。川と並走する県道37号線に立ち並ぶ戦車へ20mmガトリングガンを向けた、発砲。
「大佐殿!」
足をつかまれ無理やり戦車の中へ引き釣りこまれました。
顎をハッチの縁にぶつけて、微かに血の味が口に広がります。でも、咄嗟の判断は悪くありません。それまで手を掛けていたMG3がただの鉄片に変わります。
それと同じように、20ミリ劣化ウラン弾が後続車の上面装甲を叩き割り、そして炎上させました。誘爆した弾薬の爆発音の連打が鼓膜を叩きます。1、2、3、4、5・・・数え切れない、何台殺れたか検討もつきません。
膝に落ちてきた弾薬ベルトの屑を放りして、ヘリを探しました。
「そこです!」
そんな春歌の声に答えるかのように、重々しい重低音。ゲパルト対空戦車の弾幕射撃。空一面を覆うような35ミリKDA機関砲の対空射撃をヘリは高度を低く保ったまま、山の裏手へ滑りこんで回避。外れた鉄弾は遠い山のなだらかな腹に破壊を叩きつける。腹巻のように、緑がそこだけ消え果える。
ヘリの軌跡を追いかけた弾幕が稜線際に生えた木々を薙ぎ倒し、粉砕する。材木の杉が一撃で半分に折れ、そのまま後続のAPDC弾に千切られる。
雨の中というのに、舞い上がった土煙が視界を汚した。
「惜しい・・!」
演習でも何度も煮え湯を飲まされましたが、やはり攻撃ヘリこそ戦車第一の敵を認定しますわ。
それでも勝つのはワタクシです。
シートに腰を下ろして、PERI−17A2サイトを旋回させます。疑問の声を上げる装填手を無視して、目を凝らします。敵を探すために。
「弾種、徹甲。対空戦闘」
装填手は何も言わずにAPFSDS弾を装填します。秒速1700メートルのAPSFDSとCE628レーザー測距機を使えば不可能は存在いたしません。
10キロで誤差僅か20センチのCE628ならば、僅か500メートル足らずの距離など物の数ではありませんでした。
砲塔は右旋回、ヘリを探します。
大切なのは未来予測です。高速で飛ぶ攻撃ヘリに砲塔の旋回は追いつけません。あの山の裏手へ逃げ込んだヘリが何処から現れるか、そのまま飛びすぎて右から現れるか、それともホバリングで戻って左からトリッキーに現れるか。
PERI−17A2サイトにリンクした砲塔の動きは彷徨います。
右か、左か、それとも或は・・・
そこで発想が飛躍いたしました。
砲の仰角は最大、ギリギリ小山の頂上を指向します。
熱線画像の歪な視界の中で、ぼんやりと塊がするすると稜線を跨いで現れます。そのまま、斜面を駆け下りようとして、
「Feuer!!」
砲声が大気を叩きます。
砲口から吹き出た衝撃波が雨を吹き飛ばし、発射炎が雨粒を蒸発させます。
秒速1700メートルを超えるAPSFDS弾は鞘を捨てて、槍のようなタグステン弾芯を剥きだしにして更に加速、10分の1秒以下で300メートルの空間を押し渡り、空飛ぶ毒蛇に襲い掛かる。
衝撃が、横幅僅か0.98メートルのAH−1Sを正面から痛打した。
平面の防弾ガラスを突き抜けてタンデム配置のコクピットを貫いて、さらにジェネラルエレクトリック社製T700−GE−401ターボシャフトまで食い荒らし、そのままテイルローターまで破砕した。
一拍だけ、何事も無かったようにコブラはホバリングして、次の一瞬には姿勢を崩して、そのまま稜線の向うへ消えました。
ほどなくして火柱があがります。
微かにレオパルド2の車体が揺れました。スコープから目を離して溜め息、じっとりと汗ばんだ手の平をハンカチで拭います。
「こいつは・・・撃墜マークを描かなきゃなりませんな」
「そうですわね。一機撃墜ですわ」
装填手が軽口を飛ばしながら次弾を装填します。
「カシラより、ゲンジへ。1時方向に敵戦車!」
一つ片付けたと思えば、次々に邪魔者が現れます。
遠い砲声、撃たれている。直傍で爆音がしました。外れた砲弾が盛大に山肌を削ります。
「撃ち返せ!」
砲手がトリガーを引くよりも僅かに早く、被弾。
巨大なハンマーに殴られたような衝撃、ヴァンシーの泣き声のような金属質の悲鳴、60トンもするレオパルド2A6の叫び。ショット装甲がはじけ飛ぶ、それでも105ミリAPFSDS弾はレオパルド2の前面装甲を貫けない。
衝撃にシートから投げ出される。頭をスコープに叩きつけられて、出血。生暖かい液体が鼻筋を通って唇に伝います。
「どうやら、何があっても行かせないつもりのようですね」
唇まで降りてきた血を舌で舐めとります。
パノラマサイトのスコープに、透明に反射したワタクシの顔はまるで紅を引いたようでした。
「いいでしょう、ドイツ戦車兵魂を教育して差し上げますわ!」
ワタクシの思いに答えるようにレオパルド2の砲声は一際大きく響きました。
500メートル先のM60が燃え上がります。貧弱な装甲しか持たない第2世代型戦車では勝負になりません。
叫ぶ春歌の姿はどこか、狂したような、アリの手足を?ぐ子供の残酷な笑顔が張り付いていて、振り返った砲手を恐怖させるには十分だった。
「ゲンジより、カシラ2へ山を迂回して側面に回り込みなさい。一気に片付けます」
一際、砲声の合間に混じるデイーゼルエンジンの咆哮が激しくなります。
これからこそ戦いは本番であると宣言するかのように。
「カツラ2了解、中隊各車は前進せよ!」
返信して、次第に遠ざかっていく履帯がアスファルトを噛む音を遠くに聞きながら、スコープに意識を集中させます。
視界はついに最悪を通り越して、ゼロ。熱線映像装置だけが辛うじて底が抜けたように降りしきる雨に隠れた世界を照らし出します。
「よろしい。では、いざ征かん。戦車、前へ」
戦の女神ブリュンヒルデのごとく、春歌の声は鳴り響く。
「Panzer Vor!」
2001年4月6日 17時45分 薩摩半島 日吉町
「急いで、ビルにありたっけドラゴンを集めて、それに拾ったRPGも、ATMも、それに戦車もかっぱらって来て、とにかく急いで!」
控えめにいって橋頭堡は大混乱に陥っていた。
突如現れた1個連隊、100両近い戦車が防衛線を薄紙のように破って橋頭堡へ突進をかけてきたのだから、混乱しないほうがどうかしている。
上陸成功後に、損害の多さから内陸への侵攻に加わらなかった花穂の歩兵中隊はその中で必死に対戦車戦闘の準備を揃えていた。
といっても、揚陸した物資は殆ど何がどこに置かれているか分らない状況では、準備は遅々として進まない。軍需物資こそ豊富にあったけれど、弾薬を見つけたかと思えばテッッシュペーパーだったり、ATMだと思えばレーションだったりと、片っ端からコンテナを開けてひっくり返すところから始めなければならなかった。
「分った?急いで持ってきて、最優先で、槍が降ろうが雹が降ろうが、15分以内に持ってくるだよ!」
伝えるべきことを伝えて、叩きつけるようにして受話器を切った。
直に立ち上がって、中隊本部を駆け回る。中隊は閉鎖された中学校に陣取っていた。3階建ての普通の中学校、母校のことを思い出して少し心が痛んだ。
でも、しょうがない。こればかりはどうしようもなかった。
既に街は静まりかえっている。午後も6時を回って日暮れが近いのに、街には人の気配がなかった。どこかへ避難しているのだろう。
「街の住民の避難は済んでいるの?」
「それが・・若干名が残っています」
「若干名?」
「はい、町長が町役場から離れないそうで、それに町の消防団員なども」
「無理矢理でいいから、退避させて。足手まといだよ」
溜め息、日吉町の町長の顔を思い出す。午前中に町役場を占領したときに一悶着あったのだ。これでは後で何を言われるか分ったものではない。きっとまた軍国主義だの、軍の暴走だの、何か言われるに決っていた。
それでも、入隊式で国民の守護者たることを宣誓した時から覚悟はしていた。それでいいと思うから、例え蔑まれても生きていて欲しいから、何を言われても花穂はめげない。
「急ごう、時間がない」
敵の機甲部隊が進撃する県道37号線は日吉町を縦断して、国道270号まで延びている。そこを更に南へ進めば吹上浜の中央へ出られた。100両近い戦車隊が殴り込みに成功すれば、橋頭堡は蹂躙され、全ての努力は無に帰る。
この市街で止められなければ、全てはお仕舞いだった。
「司令部より入電、第7戦車大隊との通信が途絶したそうです」
「分ったよ・・・」
これでいよいよ自分達に出番が回ってきた。
天候は最悪、底が抜けたように空から水が降ってくる。航空支援が頼みの綱だけれど、海軍の空母は襲撃を受けて後退してしまったと言う。沖縄からの空軍機もさっぱり当てにならない。長距離飛行の上に空対空戦闘で手が回らない。
暗澹たる状況にぐうの音もでなかった。午前中の幸運は太陽と一緒にすっかり隠れてしまったらしい。
「ここで終わりなんて、冗談じゃないよ」
空を見上げて、雨に打たれた。どす黒い雲は完全に居座って動こうとしない。航空支援もこれでは効果が薄いだろう。
雨音に隠れて履帯の軋む音が聞こえてきた。耳に慣れた空冷ディーゼル音、74式戦車が5両。1個連隊のレオパルド2を相手にたったの5両。
それでもないよりはマシか。
正門に止まった74式戦車に駆け足で走りよる。展開する陣地、予備陣地、一応は確保されていた。直に打ち合わせをしなければいけない。
けれど、戦車まで駆け寄ったところで足が止まった。
「あ・・・」
思わず目が合う。
日吉町の町長だった。
相手も驚いていたので、驚いている内に心の準備を済ませてしまう。何を言われても傷一つつかないように。
案の定、町長の口をわなめかした。けれど、空気を吸い込むばかりで、言葉は出てこない。目じりから伝う水は雨だけではないだろう。顔をしわくちゃにさせて、滅茶苦茶にさせて荒い息をついた。
「がんばれよ。頼んだぞ」
すれ違って、彼が校舎へ立ち去るまでに口にしたのは、それだけの言葉だった。
それは予想外の一撃で、とても防御するもなく、酷く効いた。
胸を押さえて、1歩引かないととても耐えられない。
「どうした、負傷したのか?」
74式戦車の車長が心配そうに声を掛ける。
「うん、いや・・・なんでもない。それより直に・・」
一瞬だけ、空を見上げた。
次の一瞬には戦車の陰に伏せて、両手は耳を塞いでいる。
空気を切る十字フィンの特徴的な飛翔音、経験のある兵士なら誰もが知っている死の絶叫。
誰かが叫んだ。
「カチューシャ!」
日吉町を襲ったロケット弾の斉射は60キロも離れた地下トンネルに隠れていたBM9A52スメルチによるものだった。
ドイツ義勇旅団に所属する1個中隊6両ばかりの戦力だったが、これまで一切攻撃に参加していなかったので、空爆を免れていた。
一発800キロ、弾頭重量235キロの9M55Kロケットを12連装の斉射はおよそ1分。72発の子爆弾を内蔵した広域制圧兵器は米国製のMLRSより射程が長く、そして威力も遜色ない。
9M55Kロケット弾を用いた一斉射撃で理論上67万2000平方メートルを制圧する能力がある。それが6両分、日吉町全域を3度破壊しつくす破壊力が空から降ってくる。
ロケット本隊から子爆弾が散布されて、独特の風きり音を上げて空一面から落下している恐怖。突き抜けた雲も引きながら、無数の黒い点が雨といっしょに降り注ぐのは、ある種の幻想さえ感じさせる情景だった。
第5次中東戦争のイスラエル軍をして、「スチール・レイン」と恐怖された猛威が何の変哲もない田舎町に叩きつけられた。
「・・・・〜〜〜!」
着弾、酷く降りしきる雨が戸板を打つような音と共に子爆弾の爆発が鼓膜を連打する。
閉じた瞼をこじ開けるように、数百の爆発光が乱舞した。同時に神経をささくれだたせるRDX系の爆薬が鼻につく。
鼓膜にしみこんだ爆音が消えるのに、1分はかかった。
「めちゃくちゃだよ」
体に異常なところがないことを確かめて、立ち上がった。
目の前にはさっき心配して声をかけてくれた戦車小隊長がハッチから血を流して垂れ下がっていた。胸にふかぶかと破片が突き刺さっていて、ぴくりとも動かない。
振り返ると、中学校が燃えていた。ほとんどのガラスが割れて、天候の悪さも加わって何かのホラー映画の舞台みたいに見えた。まだ真新しい校舎が一瞬で100年も時を経た何かの恐ろしい悲劇のあった洋館のような、これで野戦服を着ていなければ、恐怖のあまり失神していたんじゃないかと思う。
いや、直に失神してしまいたかった。
それでも、校庭に倒れた町長を見てしまった以上、逃げ出すわけにはいかなかった。
町長はうつぶせに倒れていて、ここからは容態も覗えない。
近づいて、状態を確かめないといけないのだけれど、どうしてか体の動きは遅かった。まだ爆発の影響が残っているのか、三半規管はプリンになってしまったみたいだった。
「大丈夫ですか・・・」
と、聞いてはいけない。
けが人に無理に喋らせると折れた肋骨で内臓や肺を傷つけてしまうからである。
でも、それ以外に何も言葉は浮かばなかった。
「すぐに衛生兵を呼びますから」
下半身が千切れて、肋骨がワイシャツのボタンの間から飛び出していた町長はもう一分も保ちそうになかった。
だから、衛生兵なんて呼ぶ意味はなかった。
ただ、正視に堪えないこの現実から逃げたかっただけだった。それでも、現実は下半身を千切られても両手を伸ばして、花穂を引き止める。
「町を・・・頼む」
どこにそんな力が残っていたのか、それだけ伝えると崩れ落ちた町長の手形がはっきりと痣となって右腕に残っていた。
微かに痺れている。ものすごいエネルギーだった。
もはや見下ろす町長は何もなさない死体だった。そっと、花穂は手を伸ばし最後まで光を失うことの無かった町長の瞳を閉ざした。手をまだ残っていた肋骨の上で組ませて、背広で町長の体を隠す。
「また後で来ます・・・」
雨は降り止まない。
町長の体は急速に熱を失って、その血も雨の中に流れて消えてしまうだろう。
花穂は早く雨が上がって欲しいと思った。地上に横たわる亡骸がこれ以上濡れるのが酷く悲しかった。どうして雲は天に昇ろうとする町長の魂を邪魔しようとするのだろうか、雨がまるで町長を地上に貼り付ける鎖に見えた。
校舎から兵士が一人駆けつけてくる。
やはり、コンクリート製の建物の中はそれなり安全らしい。中隊本部をここに置いてよかった。
「中隊長殿、ご無事ですか!?」
「怒鳴らなくても聞こえているよ、花穂は大丈夫。それよりも被害の確認を急いで、すぐに敵が来るよ」
深く息を吸い込んで、吐いた。寒さに呼気が白く曇った。
体が熱い、額の辺りがぴりぴりする。握りこんだ拳は固く、固く、振り下ろす先を探して震えているようだった。
喉の奥からせり上がってくる怒りが止められない。
「絶対に許さない・・・花穂の命にかけて粉砕してやる!」
2001年4月6日 18時10分 薩摩半島 日吉
雨のお蔭で破壊された町はまるで墓場のように見えました。
本当にお化けが出そうというか、日本家屋に対してどれだけ9M55対人ロケットの2キロ子爆弾の雨が破滅的な効果を齎すか、目の当たりにすると流石に背筋が凍りました。
町の住民は事前に退避させてあるそうですが、正解です・・・これでは犬一匹生き残ることはできません。
「戦車、前へ」
歩兵が先行して、その後ろを戦車そろそろとついていきます。
市街地は戦車がその破壊力を発揮するには狭すぎる場所です。死角だらけといっていい戦車は歩兵の援護なくして前進することさえ困難でした。
「今のところ、問題はないようです」
「そうですわ・・・でも、油断しないように」
と、CRTを見ながら返事を返します。
各種電子兵装の塊といっていい第3世代型戦車であるレオパルド2A6には当然データーリンク機能を備えています。
今見ているのは、町の上空を飛び回るR−90小型偵察無人機の映像、スメルチの300ミリロケット弾から撃ちだされてパルスジェットで飛び回る、無人偵察機です。映像はリアルタイムで地上の部隊に届けられ、視界の効かない市街地でも敵の動きを一望に把握できます。
この最強の鉄獣に鳥の目が加われば、恐いものはありません。
「それにしても・・・本当に静かな・・」
ちらっと、CRTの荒い画像の縁に何かが光ったような気がします。
確かめようとパノラマサイトのスコープを覗き込んだところで、爆発音がようやく耳に届きました。CRTの表示にノイズが走って、一瞬だけ回復したと思うと完全に沈黙します。あとは単調な砂嵐が残ります。
「サラシナより、ゲンジへ、始まった。偵察機が落とされたぞ!」
先行するマルダー2の車長の絶叫。
スコープの覗き込むと、そこかしこから伸びた火線がマルダー2を覆い尽くしていました。レオパルド2も小銃弾がノックを繰り返します。
発射炎に向けて、発砲。HEAT−MP弾が直撃した小さな家屋が内側から炎を噴きだして崩壊。
舞い上がった火の粉がスコープの狭い視界を塞ぎます。
装填手が次弾を装填、装填しだい発砲。直接照準で歩兵の潜んでいそうなポイントを潰していきます。
それでも、どこからか飛んできた鉄弾がレオパルド2を叩き続けます。
「鬱陶しい・・・!」
いっそ、後退して市街地を迂回しようと考えて、雨ですっかり水を含んだ田畑を思いだします。重量60トンを超えるレオパルド2A6で水田に入ることは自殺行為と言えました。
思考を遮るように警報、レーザー検知器が電子音を鳴らします。
対戦車ミサイル、連動したスモークキャンドルが発煙弾を飛ばします。その間にレオパルド2は全速で後退。
ほんの少し間をおいて、轟音が聞こえました。流れ弾のATMが着弾したようです。
「ゲンジへ、ウキグモ。やられた!対戦車地雷だ」
と、思ったら僚車の踏んだ対戦車地雷の爆発音だったようです。キュポーラーのスリットの中で、レオパルド2が3台も履帯を断ち切られて、乗員が脱出するところでした。
何時の間に、と歯噛みです。退路を塞がれています。
「サラシナより、ゲンジへ。何故後退する。援護してくれ!」
キュポーラーのスリットの中では孤立したマルダー2が十字砲火の中に取り残されていました。
ATMが・・・と言おうとしたところで気がつきます。
レオパルド2のレーザー検知器は確かに作動しましたが、同時に作動するはずに対戦車ミサイル妨害装置は全く動いていませんでした。
血の気が一気に地底まで引きおろされる心境です。
「サラシナへ、直に戻りますわ!」
自身の発煙弾で視界はさらに悪く、ほとんど回りが見えません。
しかし、レオパルド2の動輪が軋みをあげようとしたところで、マルダー2は横合いから殴りつけられるようにして打ち倒されるのは良く見えました。HETA弾、一瞬で膨れ上がったジェットメタルがマルダーの背面ランプを押し開けて、炎があふれ出るように広がります。
マルダー2の炎でPERI−17A2サイトの熱線画像装置を以ってしても、視界を確保することは難しくなってしまいました。
どうやら、完璧に嵌められたようです。
「各員へ、援護します。後退しなさい」
「カシラ3より、敵戦車!タイプ74」
その絶叫は擦れていました。
同時に、着弾。
鈍い衝撃に、シートから体が浮き上がりました。重量60トンを超えるレオパルド2A6が震えます。至近距離からの直接射撃です。
酷く頭をぶつけてしまいました。閉じかけた傷口がまた開きます。軽い眩暈、血を失いすぎたようです。
ですが、それ以上のダメージはありません。
英国ビッカース社ライセンス生産L7A1、105ミリライフル砲などではレオパルド2A6の前面装甲を貫くことはできません。
「撃ち返しなさい!」
「衝撃でFCSが動きません!」
まるで豚のような悲鳴を上げます。なんてざまでしょうか!
「目で見て撃ちなさい!」
仕方なく砲手は予備の原始的な第二次世界大戦時と全く変わらないアイピースを覗くが、十字に区切られた視界に敵戦車はいなかった。
一撃離脱、失敗したと思ったら迷わず離脱。正しい、本当に正しいですわ。
自分の敵が戦術的に全く正しいことをするというのは、これほどまでに不愉快なことだとは知りませんでした。
ともすれば怒りで暴走しそうになる精神の手綱を必死に握りしめて、退路を探します。どこの誰だか知りませんが、この罠を思いついた指揮官はきっとどうしようもない性格が捻じ曲がった、捻じ曲がらざる得ないほどのブサイクに決っています。ええ、決定ですわ。
「ゲンジより・・」
いっそ、このまま一か八か強引な突破をかけようかと思案したところで、無線が入ります。待ちに待った援軍です。
「ニオウミヤより、ゲンジへ。遅れてすまない、支援を開始する」
「ゲンジより、ニオウミヤへ。虫けらを捻り潰しなさい」
やっと騎兵隊の到着です。
かなりに遅刻ですが、それでも今日は許して差し上げますわ。ええ、許してさしあげますとも、この憎らしい小虫を捻り潰してくれるのですから。
次々に鉄弾を吐き出していたMGが沈黙していくのが手に取るように分りました。ぶかっこうなMINIMI機関銃の発射炎消えて、後に残るのはMG3の花のような発射炎だけです。
まるで雲の子を散らすような敗走、そしてそれを追いかけるようにロケット弾が束になって振りそそぎます。
モラルブレイク、士気の崩壊。一度は勝てると確信したところでの、形勢逆転。これで挽回するチャンスは永久に失われたと誰もが悟る絶対確信。
「その調子ですわ!」
低空飛行で逃げる敵兵を追いかけるMi−24Dハインドに声援を送ってあげました。
歩兵の頭を完全に押さえ込んで、今度こそフェニッシュです。これでダウンです。
こちらの逃げる敵兵を追いかけて、MGでなぎ払っていきます。前進、前進、前進、あれほどのこしゃくな敵兵は算を乱して逃げ惑うばかりでした。
勝利、勝利、勝利です!
一気に市街地を突破します。エンジンが焼けるほど噴かして、アスファルトが履帯に刻まれて破壊されることを気にもせず、全てのしがらみを今度こそ振り切って突撃です。
複雑な市街地を抜けると、そこはもう広々と視界の開けた田舎の田園でした。目に付いた目標を片っ端に吹き飛ばしながら前進です。
レオパルド2A6に匹敵するポテンシャルを持ったチャレンジャー2やM1エイブラムズの姿もありましたが、それらは全て統率のない、拙劣な射撃を繰り返すだけでした。装甲兵力のイロハも分っていません。
戦車とは、集中して、大胆に進み、高速で打撃することが全てです。アングロサクソンは半世紀たってもそれが理解できないのでしょうか?
数門の、統制された120ミリ滑空砲の連弾が一まとめに雑多な抵抗をなぎ払います。
そして最後に、海岸を望む丘で僅かに砲火が閃きました。
先行する一両が正面から対戦車ミサイルに挑んで、爆炎の中に沈みます。
反撃、120ミリHEAT−MP弾の弾道は丘と交差して、秒速9000メートルのジェットメタルが名も無い雑草と共に敵兵をなぎ払います。
そのまま丘へ乗り上げ、開け放たれたハッチから身を乗り出して浜を一望しました。
空はまるでワタクシの勝利を祝うように、あるいは血の濁流に沈む哀れな敵兵を悼むように、西の空を紅く輝いていました。
夕焼け、一日の終わり、ここで敵軍の死命は決せられます。
まるで図ったように雨は止んでいました。
「キリツボより、敵軍が海岸を埋めています!」
先行する斥候であるルクスの車長の声は半分裏返っていた。無線の全てにどよめきが起こり、そして広がっていく。
それを受けても、春歌は声を上げなかった。もちろん、涙もしなかった。
そのかわりに、自分の半身を形作った弧状列島の祖国と、そこに住む全ての人々の為に、これから行われる虐殺が最良の結果を齎しますように、と何かに祈った。
「連隊各車へ、これから戦車を見つけない限りは、全て射撃は榴弾を使うこと、相手はソフトスキンですわ」
「ヤボール!腕の見せ所ですな」
「奴らを血の海へ叩き込んであげなさい!」
「ヤボール、アイ・アイ・コマンダー!」
この瞬間、第22戦車連隊に所属するすべての人々が、忘我の局地にあった。
第22戦車連隊の全戦力を投入したこの作戦はこの情景をつくり出すために血行された。視界の効かない雨を潜り、死の罠を看破し、粉砕し、己を襲う破壊と死に耐えてきたのは、ひとえにこの時間を歴史へ永遠に刻み込むためだった。
今、それは彼らの前に横たわっている。
第22戦車連隊長、春歌大佐は命じた。
「全周波数帯にて発信。第22戦車連隊より各位、我らは来たり、そして見たり、誓って共に勝たん。天佑を確信し、全軍突撃せよ!」
「痛い・・・」
そこかしこが痛む体に顔を顰めて、花穂大尉は目前をそびえる小山のような戦車を見上げた。
もう雨は止んでいて、雲の間には青空が見えていた。
不思議な感覚。もう夕暮れで、地平線に太陽は傾いているというのに、空が明るいせいのか、昼間のように思えた。
それが、まるで時間が巻きもどった感じで、もしそうだったら、すごくいいのにな、と花穂はぼんやり考えていた。
体は痛くて、ほとんど動かない。自分がどんな状態なのか検討もつかなかった。
TOW対戦車ミサイルをレオパルド2に命中させたところまでは覚えているのだけれど、そこから先の記憶がない。
たぶん、反撃の砲撃で吹き飛ばされたのだろうけれど、よく分らなかった。
炎上する戦車が視界の端に見える。
せめて一両ぐらいは道連れにしてやろうと思っていたのだから、これで良しとすべきなんだろう・・・
濡れた地面に寝転がっていると、水がしみこんできて、すごく冷たかった。どんどん体が冷えていくようで、死ぬときはこんな感じなんだろう。もう抵抗する気力なんてこれっぽちも残っていた。ただ冷えていくだけだった。
腰のホルスターにはベレッタが挿してあったけれど、それを抜いて戦車の上で何かを叫ぶベレー帽を被った将校に向ける気力もない。
今なら確実に殺せるんだけどな、とぼんやり考えるだけだった。
ただ、そんな風にぼーっとしていると、雲間から落ちてくる何かに気がついた。
それはほんの小さな黒い点だったのだけど、瞬きする間に、それは鋭角な輪郭に仕切られた何かに変化していた。そして、爆音。砲声とは違う長く伸びた、時折揺れる力強いサウンド。急速に迫ってくる。速い、空のスケールを考えても、明らかに速い。
もうF−15以外の何にでもなくなったそれは、尾翼に大きな白いリボンが描いてあった。女性パイロットなんだな〜と場違いなことを思いつく。
頭の後ろに落ちていた、未だに元の持ち主が手だけになりながらもしっかりと握っている無線機が一際大きく空電の雑音を撒き散らす。
そして、
「こちらはメビウス1、これより支援攻撃を開始する」
「はじめるの〜」
「ちょっと、待ってよ!」
無線機を引っつかんで、花穂は近くの蛸壺へ飛び込んだ。
体はきびきびと動く、全然怪我などしていなかった。我ながらちょっと呆れてしまう。
空気の切り裂き音がいっそう強くなる。それも幾つもに分かれて真上から鳴り響いてくる。明らかに、冗談ではない。
さっきのベレー帽をかぶった戦車兵が機関銃に取り付いて対空射撃を開始していた。
無駄なことを・・・と思うけれど、自分も人のことは言えないなと思って苦笑する。
風切り音は酷く高い音で、そしてずっと近くから聞こえるようになっていた。蛸壺の中で、両手が耳を塞ぐのに使っているから、心の中で手を合わせて神様に祈った。
「こんなところで花穂の幸運が打ち止めになりませんよーに!」
風切り音が、迫る。
轟音がして、振動が来て、また意識が遠くなった。
2001年4月6日 18時41分 伊吹浜
「戦車隊は撤退したもようデス、橋頭堡は確保されマシタ!」
と、さっきの慌てふためきようはどこへやら、元気な四葉ちゃんの声が無線を通じて広がっていく。
搭載していた500ポンド爆弾16発を全て投弾して、身軽になったイーグルはもう機首を沖縄に向けていた。
地上にずらりと長蛇の列を並べていた戦車隊はもうどこにも見当たらない。以外にも逃げ足が速くて、結構撃ち漏らしがあると思うけど。もう燃料も爆弾もなかった。
何しろ、沖縄からずっと超音速飛行してきたのだ。
イーグルは落下タンクをつければ太平洋を無着陸で飛行できるけれど、アフターバーナーを吹かせば一瞬で燃料はなくなってしまう。
「こちら、司令部。良くやった。作戦は成功した。花穂大尉、何かパイロットに伝えたいことはあるか?」
「こちら花穂大尉。応援ありがとう」
無線の向うにいるはずの花穂大尉は疲れたように言った。
実際、へとへとなんだろう。
「どういたしまして」
「どういたしましてなの〜」
それだけで会話は切れてしまった。
いっしょに飛ぶ亞里亞ちゃんと顔を見合わせる。やはり、ちょっと支援攻撃が遅すぎたのかもしれない。
でも、それは天候のせいなわけで・・・という言い訳しか浮かばなかった。
この短い1日の間に花穂大尉がどんな目にあったのか、私にはとても想像できない。
「なんだか、短い一日だったね。沖縄と九州を往復するだけで終わってしまったような」
「亞里亞もなの〜」
短い一日、もう日暮れだった。
西の海に太陽がもう半分顔を隠していた。やけに赤い夕暮れ、赤い絵の具をチューブから直接塗りたくって、その上から赤いクレヨンで塗りつぶしたような、異様に赤い太陽。
その光を受けた海はまるで魔女の大釜のように赤く煮えたぎっていた。まるで血を受けたバケツのように酷く血なまぐさい色をしている。
「これは感傷なんだと思うけど・・」
「どうしたの〜?」
「戦闘の後に見る夕日は、血の色をしているわね」
「でも〜キレイなの〜」
夕日を見返してみた。
赤い陽射しが目を焼く。でも、確かに空にあるもの全てを赤く染める夕日は綺麗だった。
平和なころ、学校への帰り道で飽きることなく夕日を見ていたことがある。川べりから見た夕日は平和な光を放っていたと思う。でも、どこかくすんで見えた。
戦場の空でみる太陽は、血まみれだけど、澄んでいる。
何故だろうか?
「空の上から見る夕日は・・・綺麗かな」
空電混じりのかすれた声、切れたと思っていた無線はまだつながっていた。
「とっても綺麗よ、赤く済んでいるわ。でも、どうしてかな・・・?」
「それは・・・生きているからだと思う。生きているから、綺麗なんだと思う・・・支援攻撃ありがとう・・助かったよ。メビウス1」
今度こそ、完全に無線は切れた。
東の空にはもう夜の帳が降り始めていた。高度3000メートルの高空は日暮れの恩恵を預かるには少し遠すぎる。
まだ、微かに残る太陽の残り火を追うように、赤い飛行機雲を引いて翼は基地を目指す。
まるで夕暮れの空を射るように伸びた飛行機雲は、遥か彼方へ続いていた。
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