ミッション5 赤衛艦隊封殺
ふらふらと、素人が一見すれば今にも崩れ落ちてしまいそうなくらいの千鳥足で飛ぶトムキャット。しかし見るべきものが見れば、完璧という他無いほどにそのF−14は綺麗な着艦コースに入っていた。
巨大な飛行甲板が間じかに迫る。
空母への着艦はどんなベテランパイロットでも緊張するという。
確かに、僅か200メートル少々の飛行甲板に19トンに達する重戦闘機を着陸させるのは考えるだけ無茶な話ではある。
さらに空母の飛行甲板はピッチングとヨーイングを繰り返して、一時も同じ場所にはいない。ほんの僅かな傾斜でも着艦するトムキャットには致命的だ。
他にF−14にも問題がある。
スロットルを絞らなければ着艦はできないが、絞り過ぎれば空母の艦尾に激突して機体は木っ端微塵になる。
着艦に適正な速度でもトムキャットは時速200キロ以上で飛んでいた。自重を考えれば十分に破滅的な速度である。
とはいえ、それを恐れてスロットルを開こうものなら、忽ちF−14は飛行甲板を飛び越えて、そのまま海へ落ちてしまうだろう。
現代の空母はアングルドデッキと呼ばれる斜め飛行甲板を備えているが、これは強力なエンジンを備えるようになった艦上機のエンジンパワーが大き過ぎた為にオーバーランをしてしまい、そのまま甲板に駐機している格納機に突っ込む事故が多発したが故に装備されたものである。
もっとも、今まさに着艦しようとしているF−14のパイロットは全く危なげなく、飛行甲板の僅かな動揺さえ逃さず機体を微調整していた。
艦橋で着艦を見守る艦長などは感嘆の声さえあげる。
綺麗なラインに乗っていた。無駄の無い動き、器械体操の選手が見せるある種の機能美さえ感じさせる。場数を踏めばできるというものではない、ある種の才能が無ければ不可能な飛行だった。
そんな見事な飛行を見せるパイロットでも、やはり着艦は緊張する。
だが彼は緊張することを悪とは捉えていなかった。むしろ緊張することは良いことだとさえ思っていた。
常人に比べて、いささかユーモアのセンスがありすぎる彼は多少緊張するくらいでちょうど良いと思っていた。
トムキャットが着艦する。
着艦フックが制動ワイヤーを捉えて、強制的に機体を甲板に釘付けにした。
時速200キロ以上で飛ぶ19トンもの巨大なF−14が飛行甲板に着艦するさまは、ある種の不条理さえ感じさせる。
だが、甲板に待機していた要員は全く疑問もなくいつもの収容作業に入った。彼には仕事中があり、この瞬間にも着艦のために上空を旋回している機があった。
それに不条理も毎日見ていると、それは常識になる。
「あはは〜お帰りなさい〜」
「・・・・お帰り」
着艦したパイロットを出迎える二人はGスーツまでつけて完全武装していた。これからフライトらしい。行き違いになる格好。
「ただいま、そしていってらっしゃい」
「うにゅ〜いってらっしゃい・・・ぐ〜」
「寝るな!」
何やらパイロットとRIOが騒がしいが、いつものことなので誰も止めようとしない。
空母の飛行甲板は戦闘中とは思えないほど、のどかなものだった。
なにしろ、空母一隻を中心とする第1遊撃部隊が遊弋しているのは激しい戦闘が続く九州、沖縄から遥か2000キロ以上も離れ、最寄の択捉島沖からも700キロ以上も離れているのだから、長距離爆撃機を除いて脅威らしい脅威もない。
何故そんなところに貴重な空母を割いているかといえば、もちろん北海道沿岸の軍事施設に対してアルファ・ストライク(艦載機一斉攻撃)を掛けるためで・・・いや正確にはかけるフリをするためである。
今だ日本沿岸は射程900キロを誇る東日本軍の超兵器、国防兵器一号“ストーンヘンジ”の制圧下にあり、迂闊に射程圏内に入れば1年前の米軍のように1個空母戦闘群が艦載機を放つ前に全滅させられてしまう。
とはいえ、南北に長い日本列島はストーンヘンジの傘からはみ出てしまっている部分も無くは無かった。
それが西日本軍最後の拠点である沖縄と北海道北部と択捉、色丹、歯舞諸島や南樺太であり、航空攻撃圏内ぎりぎりのところで第一遊撃部隊が遊弋する理由だった。ここならばストーンヘンジの砲撃は無い。
既に第一遊撃部隊は東日本軍に発見されていると仮定して行動していた。日本国防海軍に残された空母は残り2隻、一隻は赤衛艦隊との戦闘で大破、今はハワイで修理中である。
残った一隻を撃沈するために東日本軍は総力を挙げるだろう・・・そうすれば九州に展開する航空戦力は引き抜かれ、佐世保に集結した赤衛艦隊を守るエア・カバーは減少する。
さらに参戦を拒否する米国を宥めすかして、グアム島にB−52、B−1爆撃機を集結させている。これらの戦略爆撃機はその気になれば東日本の首都新潟を直撃できた。
もちろん第3次世界大戦を恐れる米国はこの爆撃機を飛行場で日向ぼっこさせるだけであるが、それで構わないと西日本の首脳部は考えていた。
狙いどおりに、東日本が勝手に誤解して俄かに九州の航空戦力を本州へ引き上げ始めたのだから、むしろ感謝すべきだろう。
こうして佐世保を守るエア・カバーは薄皮を剥ぐように減っていった。
さらに、これらの急な戦力の移動は多数の航空機が常時空に上がっている状態を作りだし、沖縄から低空で侵攻する奇襲攻撃部隊が紛れ込む隙間を作りだす。
多くのレーダーサイトが奇襲攻撃部隊を捉えていたが、レーダーの操作員達はそれが本州へ移動する友軍機だと信じて疑わなかったのだから、どれだけ奇襲攻撃時に九州の空が混雑していたか分るというものである。
さらに言えば、東日本軍の兵士達にとって、既に西日本軍は沖縄に篭って滅亡を待つ、病んだ野犬程度の存在でしかなかったのである。
それほどまでに、赤衛艦隊の戦力は絶対的であり、戦況は西日本にとって不利だった。
また警報を出したレーダーサイトも無くは無かったが、それが佐世保の赤衛艦隊司令部へ届くのは攻撃が始まる直前にまで待たなくてはならなかった。
・・・・なぜならば、レーダーサイトは空軍の所轄であるから。
セクショナリズムは古今東西あらゆる軍隊に通ずる問題ではあるが、東日本軍の空海軍の対立は旧帝国陸海軍のそれに匹敵するほど常軌を逸したものだった。
政治や軍事に及ばず、経済や国内の輸送網、兵士の心理や東日本軍のセクショナリズムまで視野にいれて立案された奇襲作戦は多くの不確定要素に頼るものであったが、その読みはぴたりと当たっていた。
全く無防備な赤衛艦隊の上空に、無傷の奇襲攻撃部隊が殺到したのである。
「敵機多数接近中、100機以上です!」
悲鳴を上げるレーダー士官を一瞥して、戦艦“解放”の艦長である可憐大佐は厳しい視線をレーダースクリーンに投げ掛けた。
東日本海軍“赤衛艦隊”の定める特徴的な深い紺色の第2種軍装が矢継ぎ早に指示を出す可憐大佐の深い知性をより深く、見る者に印象付ける。
士官学校を主席で卒業し、シャープエッジと呼ばれ将来を嘱望された逸材の表情には暗雲が立ち込めていた。
CICは控えめに形容してもバーゲンの特価ワゴンとそう変わらないほどの混乱ぶりだった。CICに持ち込んでいたコーヒーセットは台車ごと倒れ、不味いインスタントコーヒーの粉が床にぶちまけられていて、踏みつけた誰かの足跡がついている。
CICには薄っすらコーヒーの香りが漂っていた。
不意にコーヒーを飲みたいと思った。当直を終えて、ようやく眠れると思った矢先に叩き起こされて、尋常でなく眠むたい。
カフェインの摂取が認められないならば、睡魔との闘いは圧倒的に不利だった。
「敵機、ミサイル発射!」
「なんてこと・・・」
だが、諦めなければならないだろう。コーヒー一杯と命では釣りあいがとれない。
呟いた瞬間にブリップの数は係数的な増加を見せていた。レーダースクリーンが真っ白になるほどのミサイル。
とても数え切れない。軽く100発は超えている、200発に届くかもしれない。
典型的な対艦ミサイルの飽和攻撃、1半年前に西日本の空母戦闘群をこの手で撃破した時と同じ戦術だった。
かみ締めた唇に血が滲む。
「クラスナヤ・ズヴェズダの限界を超えている・・・」
誰にも聞こえない小声で可憐は呟いた。
西側のイージスシステムを遥かに上回る対空迎撃システムであるクラスナヤ・ズヴェズダ。赤衛艦隊にも導入されて1年半前に西日本海軍の100発以上の対艦ミサイル飽和攻撃を凌ぎきったこともある。
だが、今度はその倍のミサイルを敵はぶつけてきた。とても防ぎきれない。まだ最後の補給中の艦船が港内にはうろうろしている。
芸の無い物量作戦、だが可憐はそれを実現する西日本の国力が羨ましく思った。
一発で90万ドルもする高価なミサイルの一斉攻撃、あの1年半前の艦隊決戦で対艦ミサイルを使い果たした赤衛艦隊が対艦ミサイルの定数を取り戻したのはつい先週のことである。
おそらく米国から貸与されたものだろうが、それにしてもこれだけのミサイルを持ち込むことは容易ではない。
「資本主義の悪夢ね」
既に全兵器使用自由、オールウェポンフリーを命令してある。高度に自動化された戦場に、人間の艦長の居場所はなかった。
そのお蔭で無駄なおしゃべりをすることが出来るのだけれど、口を開いている限り出てくるのは戦慄と絶望でしかない。
「空軍より空襲警報です!」
「今頃言われてもね・・・」
可憐は疲労を覚える。
ため息をついている間にも対艦ミサイルは解放目指して飛翔を続けていた。
既に膨大な数の迎撃ミサイルが迫り来る対艦ミサイル向けて飛び立っているが、ここまで発射の振動はこない。
基準排水量が60000トンを超えるソビエツキーソユーズ級戦艦を徹底的にミサイルキャリアー化した戦艦解放のCICは分厚い装甲板の奥底に隠されている。1発や2発の対艦ミサイルでは絶対に沈まないほどの強固な防御装甲を持っていた。
だが、これだけ膨大なミサイルを受けて、果たして耐え切れるだろうか・・・
水を打ったような静かな焦燥が篭るCICで、可憐は苦虫を噛み潰した。
「ミサイル、来るデス!」
悲鳴のような四葉ちゃんの警告が、戦闘開始の合図だった。
同時にミサイル警報、イーグルがロックオンされている。
「仕事が早いわね!」
文句をいう相手は遥か地平線の彼方にいて私の声は届きそうにない。
彼我距離はおよそ100キロ、この距離で迎撃できるのはSA−N−6しかない。相手は弾道ミサイルまで叩き落す高性能対空ミサイル。
もう少しで佐世保だというのに。
かみ締めた奥歯が軋みを上げる。
TEWSパネルに視線を落す、全力でECMが掛けてるが多分通用しないだろう。
「海面まで降りるわよ!」
一方的に無線で通告し、フットバーを蹴ってクイックロール、反転降下。
度が増す。海面が迫る。
ロールしながら降下、海面を舐めるようにイーグルは飛んだ。その直後ろにミラージュ2000がぴたりと吸い付くようについて来る。
「亞里亞もいっしょに行くの〜」
おっとりとした亞里亞ちゃんの声が心強い。特に今日は背中が酷く寂しかった。背中を守ってくれる亞里亞ちゃんに感謝する。
「オーケー、一緒に行こう!」
イーグルは降下で音速を突破、衝撃波を受けた海面が水柱を上げる。
飛沫が昇ったばかりの朝日を受けて煌く、虹の架け橋。
朝の風を受けてうねりの大きい海面に紛れてイーグルとミラージュは赤衛艦隊が装備するフェイズドアレイレーダー“スカイウオッチ”から逃れた。
目標を見失ったFCSはSA−N−6の指令を中断、慣性誘導に切りかえられる。慣性飛び続けたSA−N−6は末端でレーダーを作動させたが、イーグルは慣性誘導で飛ぶミサイルを大きく迂回していた。SA−N−6は至近の目標へ向かって突進。F−2が発射したASM−2が一基目的を達することなく散華する。
その間にイーグルは間合いを詰めていた。
佐世保の街並み、その中でひときわ目立つ大きな船が1隻、2隻、3隻、数え切れない。
「全てターゲットへの攻撃を許可するデス。無敵といわれた赤衛艦隊はここで沈みマス!みんなに幸運を、グッドラック!」
四葉ちゃんの声を受けてイーグルはさらに速度を上げた。
「さあ、いくわよ!」
アフターバーナーオン、僅かに引いていた黒煙が完全に消えて、赤い炎が微かに透けて伸びる。シートに体が押し付けられる。ファントムとはまるで異質。加速が素直で、どこまでも速度が伸びていく。
燃料流入計が跳ね上がる。タービン温度を気遣いながら、さらに加速。
海面までぎりぎりの高度を保ったまま、イーグルは駆け抜ける。
「空母統一、撃沈!」
四葉ちゃんの歓声、横から飛び込んできた閃光が微かに目を刺した。
続いて、衝撃。機体が微かに震える。
一瞬だけ衝撃が来た方向に目をやると、巨大な航空母艦から巨大な炎の塊がキノコのように吹き上げていた。
赤衛艦隊の主力空母、統一の断末魔。
あまりにもアメリカ海軍のキティーホークに似ているから、キティーホークスキーと揶揄された巨大空母は炎の中にのたうつように港内を彷徨い始めていた。まだ艦載機が甲板に乗せたままで、炎が次々に艦載機を絡め取っていく。
あれでは誰も助からないだろう。
微かに心が痛んで視線を外した。自嘲、今更ではないかと思う。
他の艦船にも次々にミサイルが命中していく。
発射された対艦ミサイルは実に225発。最後の一握りになってしまったF−2とASM−2、さらに倉庫から引っ張りだしたF−1とASM−1、米国から買い込んだ中古のA−4、A−6、A−7とハープーン。イギリスやフランス義勇航空隊の飛ばすジャギュア、シュペル・エタンダール、バッカニーアの放つシーイーグル、エグゾゼ対艦ミサイル。
まるで西側製対艦ミサイルの展示会の様相を呈し始めた対艦ミサイルの飽和攻撃。それを迎撃する赤衛艦隊の対空ミサイルもまたソビエト製対空ミサイルの展示会と言えた。
世界に先駆けて垂直発射セルを採用しただけあって、迎撃ミサイルの発射速度は速い。
東側海軍の対空防御の切り札ともいうべきクラスナヤ・ズヴェズダを装備した戦艦解放、キーロフ型巡洋艦独立、東日本独自建造の駆逐艦栄光は迎撃ミサイルを発令から僅か10秒の間に100発以上打ち上げたが、それが限界だった。いっしょにミサイルを打ち上げるはずの他の艦艇は最後の補給中であり、まともな対空戦闘をできる船は先に出港しようとしていたその3隻しかいなかったのである。
打ち落とした対艦ミサイルは60発を超えたが、それでもまだ100発以上のミサイルが空中に残っていた。応戦可能な艦は近接防御に入る。
同時に、ASM−2が誘導を慣性から赤外線画像式に切り替えた。
クールボトルから供給される液体窒素がシーカーヘッドを冷やす。イリジウム化合物を使用した感熱体が水平面を走査、すぐさま目標を探知する。
ASM−2は国防空軍の地道な努力により集められた赤衛艦隊の赤外線画像データーと探知した目標の赤外線画像を照合、目標がキーロフ型巡洋艦独立であることを確認した。
ASM−2は転舵、あらかじめ指定された命中点に向けて弾体を微調整。ステルス素材を使われた舵はレーダー反射を最小限までに抑える。
対ステルス性を持つ舵のお蔭で、ハープーン、エグゾゼ、シーイーグル対艦ミサイルが次々と打ち落とされる中、ASM−2はごく一部の不運が重なった場合を除いて、殆どが港内への侵入を果たしていた。
ASM−2の接近を知った独立は6基のCADS−N1−CIWSを作動、近接防御射撃を開始した。SA−N−10短SAMが発射レールを滑りだす。
クロスソードFCSに制御される短SAMと連装ガトリングを組み合わせた東側独自のハイブリッドCIWSは的確な射撃で迫る破滅を払いのけ続ける。
30ミリ連装ガトリングの猛烈な射撃音と大気を連打し、マズルフラッシュの閃光が見るものの目を焼く。
見る者の目を奪う、男根思想の最後の楽園とも言うべき情景が現出する。
雄雄しいという言葉を送りたくなる独立の対空戦闘。軍隊という非人間的な組織が何故人を惹きつけて止まないかという証明。
だが、あまりにも状況が不利すぎた。彼女と共に対空戦闘を行うはずの駆逐艦やフリゲートはまだ岸壁から離れてすらいなかった
元々歩兵携帯型ミサイルでしかないSA−N−10程度では対艦ミサイルを落すのは困難であったし、膨大な数の対艦ミサイルを全て撃破するのは元より不可能な話である。
それでも独立は近接防御射撃で6発のASMを叩き墜したのだから、東側が考案したハイブリッドCIWSが如何に有効であるか、説明する必要はないだろう。
だが残念なことに、迎撃を逃れたASM−2の一発が独立の前甲板に敷き詰められたVLSに命中した瞬間、全ての努力が無に帰してしまった。
ASM−2の信管が対艦ミサイルの殆どがそうであるように着発延期型、命中した瞬間には爆発しない。まだ幾らか燃料を残したASM−2は運動エネルギーで弾体を崩壊させながら、薄いVLSの蓋を打ち破って、SS−N−19長距離対艦巡航ミサイル20発収められたコンテナに飛び込む、そこで信管が作動、着火電流を流す。
ASM−2に使われているPBX系炸薬は直接火に掛けてもじりじりと燃えるだけという高度な安定性を持っていたが、刺激がある一定以上の高圧電流である場合は話が別だった。化学反応が始まる。反応速度は音速を遥かに超えて音の壁を作りだし、それに乗せて炎と膨大な数のスプリンターをばら撒いた。
その一片がSS−N−19の弾頭を直撃するのにさほど幸運は必要ない。
150キロの半徹甲榴弾の破壊、それに続く密集された20発の大型対艦ミサイルの誘爆は25000トンの排水量を持つキーロフ型巡洋艦にも耐えられない。
内臓の原子炉が不気味な震動をする中、船体を半ばで折られた独立は海底に向かう短い航海に出発した。
「独立、大破!」
解放のCICにまた新しい悲鳴が上がった。
これで何回目だろうか?可憐はさっぱり見当がつかなかった。
レーダースクリーンには次々に友軍艦艇が撃破されていく様子が刻々と表示されていく。
コンソールを操るオペレーター達の顔面が青白いのはモニターの光のせいではないし、ベテランの副長の手が震えるのはアルコールが抜けたからでもない。
受け入れがたい現実を受け入れようと誰もが努力していた。
士官学校で心理学を勉強したことをちょっとだけ感謝する。心理学なんか意味ないと思っていたけれど、心の動きを客観視するにはなかなか役に立つ。
旗艦の統一が撃破され、通信は途絶。もはや指揮系統は完全に崩壊していた。
「艦長、このままでは!」
「分ってる・・・とにかく、今は本艦に向かっているミサイルだけに集中します」
もはや自分の身を守ることすら怪しい。世界最強の対空艦を自他共に認める解放であっても、この状況では防御の傘を他の船に貸し出すことは自身の死を意味した。
解放が貸し出す傘を失えば、反撃能力のない友軍がどういうことになるかは分っていたけれど・・・他に手がない。
この瞬間、彼らにとってこの戦闘は自身の生存の為のものへと変化した。
「農興、大破。総員上甲板です!」
また一つ、レーダースクリーンから友軍艦艇を示すブリップが消えた。
可憐は後ろ手に隠した拳を握りしめる。
全てをこの目に焼き付けておくために、目を背けるわけにはいなかない。
「巡洋艦赤星より打電、解放ヘ後ヲ頼ム!」
「強襲揚陸艦共和、直撃です!」
「赤星より艦載機が発進!ダメです、撃墜されました!」
「未来、残弾なし。いや・・・通信途絶!」
艦長席に設けられたコンソールを操作した。ディスプレイに表示されたASMのブリップは随分と少なくなっている。こっそり溜め息、ASM以上に友軍のブリップも減っていた。
友軍が打ち落としたものも多いだろうが、大半は目標に命中したから減っているのだろうと可憐は推測する。
そして、その推測はそれほど的外れなものではなかった。
「ミサイル、来ます!」
真っ直ぐに、解放に向けてASMが6発。
「右舷、全門射撃自由!」
CICに届く振動が一際大きなものになる。
右舷に6基装備されたAK−130、130ミリ連装自動砲のドラムビート。
世界最高の自動砲による世界で一番濃密な弾幕射撃、だがシースキーミングで飛ぶASM−2は弾幕のさらに下を、海面を舐めるようにして擦り抜けた。
ASM−2よりも僅かに高度が高かったハープーン3発が弾幕につかまる。爆散、だが砕かれながらも慣性の法則で広範囲にまだ残っていた固形燃料をばら撒く。
CADS−N1−CIWSから発射されたSA−N−10対空ミサイルの誘導方式は赤外線誘導、散らばったハープーンの固形燃料を誤認。赤い炎の花が咲く。
生き残った3発のASM−2、解放最後の守護神である30ミリ連装ガトリングが作動、猛烈な弾幕を展開する。
今度はASM−2も弾幕から逃れられずに弾体を破壊される。
それでも、僅か2キロ程度の距離では既に十分に速度を得ていたASM−2の慣性を殺すことはできない。破片、爆薬、燃料、ASM−2の全てが拡散しながら解放を目指す。
そして、幸運に恵まれた1発のASM−2が解放にたどり着いた。ミサイル、爆発。
直撃、CICにも轟音と衝撃が伝わる。バランスを崩して、可憐は硬い床に叩きつけられる。
痛みに悲鳴を上げそうになるが、押し殺した。艦長がざざまな姿を見せたら士気に関わる。
「3番砲塔被弾!」
何も言わずに手を貸してくれた副長が走ってCICを出て行った。ダメコンは彼の所轄である。任せておけば大丈夫。
それに、例え上司であっても自分の仕事に口を挟まれるのは気分の良いものではない。
やがて連絡が入る。
「後部甲板に火災発生、されど戦闘に支障なし」
「ありがとう。さすがは戦艦・・・大した船です」
「はい、大した船なのです」
普段は冗談の一つも言わない鉄仮面で通している副長は微かに笑っているようだった。
その気持ちはよく分った。可憐もとっても誇らしい気持ちだよ・・・やっぱり、海軍に入ったからには、戦艦だね。
世界最後の大艦巨砲主義達の交感を遮るように警報が鳴る。
「敵機多数、高速接近中!」
解放に対艦ミサイルが通用しないことがようやく分ったのだろう・・・と、するとこの敵機には装甲貫徹能力の高い爆弾を積んでいるはず。
動きの直線的な、速度も低い対艦ミサイルの比べて高機動な航空機はやっかいな敵だ。
「ミサイルの残弾がなくなりました!」
「・・・G3の使用を許可します」
「しかし・・・ここでG3を使用したら・・・」
「責任は艦長である可憐が取ります。今は本艦が生き残ることを最優先にします」
「分りました・・・」
青ざめた顔を震わせてコンソールを操作するオペレーターの顔は恐怖で歪んでいるようでもあったが、同時に口元に笑みも浮かべていた。
全ての束縛を解かれた解放の最大の火力による攻撃、それは地上に魔女の大釜を作り出す行為。訓練以外ではまだ一度も使ったことのない解放の最終兵器。
重々しい金属音と共に閉鎖器が開き、対空燃料気化砲弾が装填される。
「G3、発射準備完了」
さっと、手元のディスプレイに可憐は目を落とした。
一番近い敵機は2機、1機はF−15、もう1機はミラージュ2000。
せっかく沖縄からはるばる来てもらったのだけれど、ごめんなさい。あなた方の人生はここで終わりです。
命令は短かった。
「撃て!」
解放、主砲発射。
「メビウス1、回避デス!」
四葉ちゃんの警告が鼓膜を叩くよりも早く、私は操縦桿を押し倒していた。
緩い旋回をしながら降下、微かに翼端がヴェィパーを引く。
フットバーを蹴って、ロール。真っ直ぐにパワーダイブ。速度計が跳ね上がる。エンジンをアイドルへ、降下が速過ぎる。
振り返ると同時に、衝撃。
巨大なイーグルがシェイカーの氷のように揉みくちゃにされる。
機体が錐揉み、失速。回転の逆方向へラダーを押し込む。
「何なのよ!」
高度が少ない、スピンはすぐに収まった。双尾翼のお蔭でラダーの効きが良い。操縦桿を引く。見上げれば、今までいた空間を巨大な火球が占領してい
ブラジャーのホックの裏を冷たい汗が伝う。
「もしかして、ストーンヘンジ!?」
「佐世保は射程外のはずデス。あの戦艦の砲撃デスよ!」
「バカじゃないの!?」
思わず叫んでしまった。ちょっと、どう考えても常識をあまりにも無視しすぎている。
「被弾しちゃったの・・・くすん」
一緒に今まで飛んでいた亞里亞ちゃんのミラージュが微かに黒煙を引いていた。
多分、エンジンが異物を吸い込んだのだろう。ついていない。
「ごめんなさい・・・戦線離脱します」
亞里亞ちゃんのミラージュ2000は爆弾を放棄、傷ついた機体を気遣うように緩い旋回をして離れていく。
「よくも・・・」
離れていくミラージュの機影はあまりにも痛々しい。
思わず罵詈雑言が溢れるけれど、なんとか口元で押さえる。ちょっと下品すぎるから。
戦艦は砲撃を繰り返している。ミサイルは飛んでこない、たぶん対艦ミサイル迎撃で使い果たしたんだろう。
だが、それでもCIWSを雨のように打ち上げ、130ミリ速射砲弾をばら撒く戦艦に誰も近づけない。
主砲を放つたびに巨大な発射炎と火球が生まれて、接近しようとしていた友軍機がなぎ払われる。
まともに爆風に捕まったA−4がこの葉のように舞って、市街地へ叩きつけられる。抱いていた爆弾が誘爆したのか、ビルが一つ視界から消えた。
「シラフじゃないわね・・・」
「ああ、あの爆発の仕方・・・AEFだぞ・・市街地で爆発したらどうするんだ?」
「畜生!俺の地元だぞ!あの船の艦長は呪われろ!」
解放を遠巻きにして、混乱が広がる。
埒があかない・・・大火にジョウロで水を注ぐようなものね。
「対艦ミサイルで隙を作るデス。その隙に解放を撃沈するのデス!」
「どうやって?」
「・・・適当にデス」
それ以上の指示は無い・・・絶対、後で頭グリグリしてやる。
「うう〜姉チャマから負のオーラを感じるデス」
「あら、よく分ったわね」
何か言い訳する四葉ちゃんを無視して、APG−63をRWSへ、60キロ先に友軍機が4機。IFFの応答は白、A−6イントルーダー。
「ミサイル発射デス!」
DSVにブリップが16個、たぶんハープーンだろう。
ハープーンは矢のように戦艦へ向かう。こちらもタイミングを合わせて、旋回。突入のタイミングを覗う。
16発の対艦ミサイル。全弾命中すれば、戦艦でも助からない。
一瞬だけ、抱いた淡い期待を砕くように、戦艦は発砲。
巨大な主砲の射撃に目を奪われそうになる。巨大な破壊、破壊そのモノとさえ言えるほどの禍々しい美しさがあった。これが戦争でなければ、ずっと見ていてもいいかもしれない。
けれど、
「悲しいけど・・・これ、戦争なのよね・・・」
戦艦の斉射、1トン燃料気化砲弾が9発。着弾、炎の垣根にまともに突っ込んだミサイルは爆散。
あの戦艦を何としてでも沈めなくてはいけない。
こちらの接近に気がついたのか、主砲塔が旋回。でも、遅い。
残弾をチェック、ガンの残弾が残り少ない。1000ポンド爆弾がまだ4発残っていた。自衛のサイドワインダーが4発。
チェックに掛かる時間は1秒もない。F−15Aの計器板は旧式のアナログ式のものばかりだったけれど、それをいうならファントムの方がもっと多くて古い。
燃料は空中給油が出るので心配はない。だけど、この分だとあと一回が限度だろう。
操縦桿を押し倒して、さらに高度を下げる。高度計、高度50メートル、速度870キロ。スライス、緩やかな右旋回で艦尾方向から回り込む。
盾にするように、燃える空母の影に回りこんだ。
瞬間的に、高度計が3メートルを指す。見なかったことにしよう。
一瞬で巨大な炎上する空母の陰から出てしまう。砲撃はない。味方撃ちになってしまうから。
燃える甲板から次々に飛び降りる空母の水兵達を一瞬で横目にして、戦艦を目指す。砲撃はない。懐に飛び込んだ。
慎重に操縦桿をニュートラルに保つ、上昇とヨーイング以外は全部海面とのキスへまっしぐら、一瞬で沈みゆく船の艦橋を飛び越える。
鈍い衝撃、空中線を引っ掛けた。イーグルは強引に引き千切る。
ラダーペダルで頻繁に機体を滑らせる。砲撃が来た。戦艦の船舷に備えられた130ミリクラスの速射砲。発砲炎が激しい点滅を繰り返している。
イーグルが爆風で揉みくちゃにされる。だけど、直撃はない。
操縦桿を引いた。アフターバーナーオン。強引な上昇、一瞬で海面から跳ね上がるようにしてイーグルは砲撃を回避。
戦艦の甲板を飛び越えて、頭上で巨大なループを描く。
操縦桿を引いた。大Gで視界が狭まる、ブラックアウト。頂点を過ぎると降下で血流が戻る。視界が生き返る。
CIWSの弾幕が追いかけてくる。まるでアイスキャンデーみたい、赤青黄色3色そろっている。射撃は追いつかない。低速のASMとイーグルは違う。
ループの頂点を過ぎて、急降下。目の前には巨大な戦艦の甲板が広がっていた。
武装制御は対地攻撃モード、CDIPに設定。HUDの兵装コンテナを広い甲板の中央に合わせる。
操縦桿の頂点に鎮座する兵装投下ボタンを押し込んだ。全弾、投下。
同時に、HUDに引き起こし警告が出る。
操縦桿を体に密着するまで引き込む。
CASを介して、操縦桿の操作が機体の隅々まで行渡る。イーグルは強引に機首を上げる。伸びたアフターバーナーの炎が強引な操作に揺れる。
再びブラックアウト、意識が朦朧とする。
それでも、微かに背後から追ってきた閃光と衝撃を遠いどこかで感じていた。
「どうやら・・・友軍機のようですな・・・」
「今頃来てもらってもね・・・」
可憐と副長、そろって見上げる空に見慣れた東日本空軍の戦闘機が現れた。4機編隊、たぶんフランカーだろう、綺麗な飛行機雲引いて旋回している。
上空を旋回する友軍機に中指を立てる・・・とても恥ずかしくてハンドサインの意味を言うことはできない。
すっかり日は昇っていたが、辺りは暗かった。
撃沈された船から漏れ出た軽油や重油、さらに燃料タンクが破壊されて火災が発生していた。太陽は黒煙の隙間から申し訳程度に光を差し込んでいる。
「なんとか生き残ったね・・・副長」
「はい、解放も艦隊もボロボロですが・・・」
煤けた第2種軍装をタラップに掛けた。
タラップは途中から無くなっている。爆弾の直撃で艦橋自体が吹き飛んでしまったので、艦橋壁面のタラップも当然存在しない。
先の爆撃の傷痕だった。
疲れ果てて、タラップに腰を下ろした。艦のみんなも疲れ果てている。
重油の海から救助された他の船の乗員も、重油で真っ黒になった体を引きずってシャワールームへ列を成して歩いていく。
重油の黒い汚れが喪服のように見えて、まるでお葬式みたい、と可憐は思った。
この海で沈んだ兵士の葬式・・・・たぶん合同式になるだろうが、いずれは行われる違いない・・・死んだ兵士の家族へ手紙を書かなくてはいけない。
それだけで十分に憂鬱だった。今の空くらいに心が暗く沈む。
「まあ、解放の修理は随分掛かるから、多分暇だと思うけど・・・」
「確かに・・・ですが、解放の修理・・・可能でしょうか?」
「どういう意味?」
「はい、艦長・・・残念ですが、この戦闘で艦隊は壊滅しました。今後二度と我々が沖縄へ進撃することはありえないでしょう。であるならば、安全が確保された沖縄で西日本軍の再編成が行われ、それほど遠くない未来に彼らは反攻してくるでしょう・・・この九州へ、そして本州へ」
「そうなると・・・防備のために陸空軍へ予算が重点配分されて、解放の修理は・・・」
「夢のまた、夢・・・」
皺のよった眉間に可憐は手を当てた。
なんて素敵な未来予想図だろう・・・下手をしなくても、解放が戦列に復帰するのは戦後になる・・・もっとも、それが社会主義の海軍か、資本主義の海軍かは分らないけれど。
深い疲労、溜め息。頭をかきながら振り返った。艦尾まで延々と破壊の跡が続いている。
基準排水量でさえ60000トンを超えるソビエツキーソユーズ型戦艦の装甲防御は確かにバイタルパートへの爆弾の貫通を許さなかった。3基の主砲塔も全て問題ない。だが、逆に言えばそれだけでしかない。
レーダーを初めとする電子機器の集まった艦橋は全壊、二本の煙突は爆風で倒れ、後部艦橋は延焼で全焼した。速射砲群、CIWSも軒並み壊滅。
後部甲板の対艦ミサイルVLSが必死の消火作業のお蔭で、誘爆を免れただけでも感謝すべきかもしれない。
「確かに・・・私達は暇になりそうね・・・」
「はい・・・」
二人は同時に空を見上げた。暗い、太陽が黒煙に隠されて見えなかった。
煤塵に咳き込む。黒い唾が喉にからんで、また咳をする。
疲れた体を無理やり引き起こして、二人はそれぞれの持ち場へ戻る。
CICに戻る前に、可憐はもう一度空を見上げた。
熱せられた黒煙に透かした太陽は歪んで見えた。それが酷く不吉な気がして、永く記憶に留められた。
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