ミッション4 Crimson Air
「静かだな・・・」
白いものが混じり始めた癖のある頭髪を軍帽で潰した初老の男は疲れたように言った。
彼の疲労に黒ずんだ声は寒気に触れて白く曇る。
10月、秋の対馬海峡は大陸からの季節風で随分と冷え込む、天候も悪い。
その為、艦橋要員の殆どが分厚いコートを着て職務に従事していた。
東日本でライセンス生産されたネウスラトラシム級フリゲート6番艦民族の艦橋にはしかるべき規模の空調設備が整えられていたが、東側兵器の常でカタログスペックと現実の差異が多すぎて、運用を停止していた。
「はい・・艦長。ですが、静か過ぎるのではないかと」
「そうだな・・・」
副長の声にも疲労が滲んでいた。
右手には湯気の立つ珈琲。艦隊の珈琲豆の消費は激しい。
相次ぐレーダーのゴーストコンタクトで叩き起こされる度に飲んでいるのだから、いくらあっても足りるものではなかった。
だが、それも全て必要な手続きであり、怠れば罪に問われる。
武器弾薬燃料はもちろん、トイレットペーパーに勲章、避妊具からアイスクリームまで、佐世保に集結した赤衛艦隊の必要とするあらゆる物資を満載した輸送船団を小樽から佐世保まで護衛することは並大抵のことではなかった。
だが、それも終わりが近い。
もうまもなく佐世保の灯を見えるだろう。
佐世保には沖縄に逃げ延びた西日本に止めを刺すべく、赤衛艦隊と上陸船団が集結している。世界最強と誉高い赤衛艦隊が出撃すれば、この戦争は決まったようなものだろう。
その佐世保まであと僅かというところまで来ている。
だが今のこの瞬間こそ、船団にとって一番危険な時間であると初老の艦長は考えていた。
ミサイル庫で煙草を吸った政治士官を殴り飛ばしさえしなければ、将来は艦隊司令を約束されていた彼にとって、それは極々普通の論理的帰結であった。聖域と化した日本海から東シナ海へ出るこの瞬間、さらに佐世保を目前として里心のついた船団は緊張の糸が切れかかっている。
「平等め・・・ホームスピードになっているな・・・今が一番危ないというのに」
双眼鏡の狭い視界の中では民族と同じくライセンス生産されたウロダイ級駆逐艦平等が白波を立てて東シナ海の深い青色の海面を割っていた。
それに釣られるように他の船も速度を上げている。
早く帰港したい気持ちは分るが、速度を上げれば潜水艦のコンタクトを聞き逃す可能性もある。
「艦長、いかがいたしますか」
「遅れるわけにはいかん。速度を上げる」
ため息をついて彼は言った。
「但し、警戒を厳せよ・・・・必ず来るぞ」
今この船団が佐世保に到着すれば、赤衛艦隊と上陸船団の準備は整い、もはやそれを止める術は今の西日本には全くない。
これまでも佐世保への空路での補給を執拗に妨害するなど、彼らは赤衛艦隊の出撃を少しでも先送りにしようと足掻き続けている。この船団を見逃すことは、今までの全ての努力を放棄することに他ならない。
停戦勧告を蹴って、殲滅戦まで宣言した彼らは死に物狂いでこの船団を狙うだろう。
艦長の思考を遮るように電話が鳴った。
「艦長、空軍のレーダーサイトが敵攻撃隊を捉えたそうです」
「無駄飯食いが、たまには役に立つようですな」
空軍へ予算を取られる海軍の一般的な意見を副長は口にした。
「副長、空軍を悪く言ってはいけない。同じ仲間なのだから」
遂に来るべきものが来たかと、若くない彼の体はこれから始まる戦いに震えた。
敵機襲来の報は一瞬にして船団を駆け巡り、船団は最高度の警戒態勢に入った。各フリゲート、駆逐艦の兵器システムに十分な餌を食わせる為に電気消費量は鰻上りとなり、気休め程度に輸送船やタンカーの甲板に据付けられた対空機銃の周りを忙しなく人影が行き交う。
上空を旋回していた空軍のCAPが迎撃に向かい、そしてこの瞬間にも九州の各基地からスクランブルの機が上がっているだろう。
戦闘が始まろうとしていた。
「スカイクローバーより、全攻撃隊へ。第1目標は輸送船、第2目標も輸送船、第3目標も輸送船デス!輸送船はみーんなチェキしちゃうデス!」
四葉ちゃんの元気な声援に押されるように、F4EJ改は加速した。
といっても速度はそれほど出ていない。まだ音速の手前をふらふらしている。それもこれも、翼に吊り下げた6発の1000ポンド爆弾のせいである。
対艦攻撃に通常爆弾を使うのはあまり上手いやり方とはいえないけど、対艦ミサイルは数が少ないらしく、全て別働のF−2に回されてしまった。
ちょっと残念だけど・・・まあ、餅屋は餅屋と言うわよね?
「こちら新撰組、攻撃準備完了」
そのF−2部隊はもう攻撃位置についたらしい。
「スカイクローバーより、新撰組。攻撃開始デス!」
「了解、攻撃を開始する。全機ミサイル発射!コミーをぶっ飛ばせ!」
今だ接敵していない私達を無視して、四葉ちゃんと別働隊はもう戦闘を開始していた。
無線に混じって、聞き慣れないエンジン音が聞こえる。
たぶん、F−2のエンジン音だろう、いかにも大推力といった力強い感じがする。
「新撰組・・・F−2部隊はもうミサイルを発射したの?」
「向こうは射程150キロのASM−2だもん」
しかたないよと、衛ちゃんは肩を竦めた。
通常の無誘導爆弾で武装したF4EJ改は直接機体を攻撃目標の上まで運んでやらなくてはいけない。大射程の対艦ミサイルとは条件が違う。
それは納得できるけど、F4にも運用能力はあるのだから対艦ミサイルが欲しかった。せめてASM−1とか、古くてもいいから対艦ミサイルが。
直接爆弾を目標まで持っていくのは危険すぎる。
「虎の子のF−2と旧式のファントムじゃ、一緒にはならないよ」
「それは分ってるけど・・・」
やっぱり納得いかない。
「そろそろ高度を落さないと〜危ないと思うよ」
「分ったわよ」
諦めて高度を落す。
海面には白波が立っている。天気はよくない。ドンヨリと鉛色の雲が垂れ込めていて、視界が悪い。今にも降り出しそうだった。
性能の悪い東側のレーダーは多分これで誤魔化せる。今日は少し波が高くて、レーダーにはゴーストが多いだろうから、ファントムはその中に紛れ込んでしまって、電子の目から逃れることが出来るだろう。
「・・・秘密だけど」
声を潜めて衛ちゃんは言った。
「もうすぐ始まる赤衛艦隊攻撃に対艦ミサイルはとってあるんだって」
「ちょっと、誰から聞いたのよ?」
それって、もの凄い機密なんじゃないだろうか?
驚いて、思わず振りむいてしまいそうになる。そんなことをしたら、直にファントムは海面に叩きつけられてしまうけど。
「四葉ちゃんから聞いたんだけど・・・」
「何でそんなこと知ってるのかしら」
真剣に西日本は防諜体制って大丈夫だろうか・・・
実は筒抜けで、待ち伏せとか喰らったりしないわよね?
「う〜ん、名探偵だからじゃないかな」
「最近の名探偵って軍事機密までチェキするのかしら・・・」
ちょっと不気味な沈黙が降りる。
沈黙を下ろしたのが四葉ちゃんなら、沈黙を破ったのも四葉ちゃんだった。
「チェ〜キ〜弾着まで5、4、3、2、1、ナウ!」
爆発も、閃光も、何も感じないけれど、確かに200キロ先ではASM−2がしかるべき破壊をばら撒いたらしい。
電子データー共有探知システムからは敵艦を示すブリップがいくつか消えていた。
「やったデス!6隻撃沈、8隻大破確実デス!」
「私達の取り分あるかしら?」
「あれ?気が進まないんじゃないの?」
衛ちゃんの表情はレーダースクリーンに釘付けで見えない。
でも、しゃべり方で何を言いたいのかは大体分る。
なんとなく腹が立ったので、衛ちゃんの形の良い頭にハリセンを落す。
「うぅ、痛いよ〜どうしてそういうことするのかな」
「う〜ん、なんとなく」
私が言うと、衛ちゃんはこっそりため息をついた。
インターカムがあるからバレバレなんだけど・・・
「ボク・・仕事変えようかな・・・」
「仕事ね・・・衛ちゃんはこの戦争が終わったらどうする?」
勝っても、負けても、いつかこの戦争は終わる。
まだ始まったばかりというけれど、最近は戦争が終わった後のことをよく考えるようになっていた。
きっと、少しは先のことを考える余裕が生まれてきたということだろう。
「う〜ん・・・っと、レーダーにコンタクト!速い、戦闘機だよ!」
「大丈夫なの・・・咲耶姉やは亞里亞が守るの」
それまで一緒に飛んできた亞里亞ちゃんのミラージュ2000が加速して、私達を置いて迎撃へ向かう。
他の護衛戦闘機も一斉に加速して、迎撃に向かって速度を上げていた。
F−18B、ミラージュ2000、F−16B、F −20A、全部F4EJ改よりも強力な戦闘機ばかりだ。こうなったらファントムに出番はない。
「よろしく願いね。こっちは身重な体だから」
「わかったの・・・がんばるの」
ちょっと間延びしたような、あまり頼りなさそうな亞里亞ちゃんの声にやたら心配になる。亞里亞ちゃんの腕前は分っているけれど、どうしてこんなにも心配になってしまうのだろう?
なんというか、フィギュアスケートの選手みたいに儚げで、繊細な北欧の妖精みたいな(もちろんスタイルは私の方がいいけれど)亞里亞ちゃんのソレはそういうレベルの問題じゃなかった。
地上に降りて、亞里亞ちゃんがメットを取った瞬間、私は神様というのが酷く不公平な性格をしていると確信するぐらいに羨んだくらいなのだ。一生、どれだけテクニックを磨いての私は亞里亞ちゃんに絶対に勝てないだろう。
美人は心まで美しいというけれど、亞里亞ちゃんはまさしくソレだった。
そんな亞里亞ちゃんが何で軍隊なんかにいるんだろうと私は何度も首を傾げた。両親は反対しなかったのだろうか?私だってお父様とお母様が生きていたら、絶対に反対されていただろうけど・・・お国柄なのだろうか?
そんなどうでもいいことをつらつら考えながら、私は亞里亞ちゃんを見送った。
赤いアフターバーナーの炎を鮮やかに、綺麗な円弧を描いて亞里亞ちゃんのミラージュ2000は空へ溶け込む。
「距離40、ヘッドオン。フィリップチーム、ミサイル発射デス!」
「・・・了解したの・・・ミサイル発射するの〜」
亞里亞ちゃんの小隊が一斉に中距離AAMを放つ。
中距離AAMの射程としては少し短いけど、四葉ちゃんは引きつけて撃つつもりらしい。普通のセミ・アクティブホーミングAAMでは危険な賭けだと言える。
だが、薄い白煙を引いて敵機を目指すミサイルはそれまでのスパローとは一味違う物騒な代物だった。
ミサイルを発射したフィリップチームは一斉に散開、敵の中距離AAMの回避に入る。
もちろん、レーダーロックは外れてしまい、スパローのようなセミ・アクティブホーミング式のミサイルは誘導を失ってしまう。
だが、フィリップチームが放った一撃は母機に構わず敵機へ向かって飛翔を続けていた。
東側の高機動戦闘機Mig−29やSu−27などをBVRの中距離戦闘で撃破すべく、スパローの後継として開発された新世代中距離AAM、AMRAAMの誘導はアクティブホーミング。ミサイルに内臓されたレーダーで直接敵機を探して追いすがる、賢い空の猟犬だった。
当然、母機からの誘導は不用で、撃ちっ放しが可能である。AMRAAMの登場で母機の生存性は著しく向上していた。
フィリップチームを狙うのはR−27R、AA−10アラモ。第4世代の標準的な中距離AAMだったが、誘導はセミ・アクティブホーミング。
ミサイルを放ったフィリップチームは母機のレーダー波を誤魔化すためにビーム機動、ミサイルと直角に飛行することで母機のドップラーレーダーを撹乱する。
アラモの母機であるMig23のS−23MLは西側の軍事関係者から見れば、もはや骨董的価値を見出すほどの貧弱なレーダーだった。
母機は目標をロスト、アラモは誘導を失って明後日の方向へ飛んでいく。
ミサイル誘導のためにMig23は回避が遅れていた。AMRAAMはレーダーを起動、慣性飛行からアクティブシーカーを利用した終末誘導段階へ移行した。完全自立モードでMig23をロックオン。
Mig23はECMで妨害をかけるが、それすらも電波の発信源としてマークされ、自分の首を絞めるだけに終わった。ミサイル、爆発。
1分もしないうちに、船団を守る空の盾は消滅した。
「グッド・キル!フィリップチーム!」
「うれしいの・・・ありがとうなの〜」
引き続いてフィリップチームはスクランブルしてきた敵機の迎撃へ向かう。
さてと、ここからが私達の出番だった。
「レーダーにコンタクト、捕まえたよ。間違いなく輸送船団だよ」
「オーケー、まずは外周の護衛艦を潰すわよ」
右ラダーペダルを踏んで、機体を右へ滑らせる。
ずっと続けてきた加速によってF4は音速を突破していた。
衝撃波に打たれた海面は水しぶきを上げ、白い波紋を暗い海へ投げ掛ける。
AN/APG−66Jの電子の目が船団を絡めとり、それを元にF−15Jと同じ性能を持つJ/AYK−1デジタル・コンピューターが攻撃緒源を計算、CCIP(弾着点連続計算)、CCRP(投下点連続計算)の計算結果がHUDに表示され、それを敵艦へと合わせていく。
同時に、J/APR−6レーダー警戒受信機が警報鳴らす、電波発信源がCRT表示された。爆撃目標の護衛艦からの照射だった。SAMが来る。
回避運動に入りながら、海面を見渡した。
他に護衛艦らしい船は見えない。おそらく先の対艦ミサイルで全滅したのだろう。
「ミサイル発射!」
ネウスラトラシム級フリゲート、平等のCIC(戦闘指揮所)は大混乱のまま、迫り来る過酷な現実と戦っていた。
50発以上の対艦ミサイルの攻撃を受けた輸送船団は既に壊滅的といって差し支えないほどの打撃を受けている。
もはや作戦の失敗は誰の目にも明らかだった。
ネウスラトラシム級以前のフリゲートや駆逐艦はソ連版CIWS“コールチク”システムを持たないために、対艦ミサイルの攻撃から自身を守ることさえ出来なかった。それ以前に相手が悪すぎた。西日本の放ったASMは西日本が営々と練磨してきたASM−2であり、その誘導方式は赤外線画像誘導。あらゆるECMを一切受け付けず、フレアもまったく無意味という凶悪な代物だった。
殆どのASMはなんら妨害をうけることなく船団に突入し、護衛部隊は平等を除いて全滅してしまっていた。
その平等にも破滅が迫りつつある。
初老の艦長は舌を巻く思いだった。
日帝の対艦ミサイルの優秀性はカタログデーターで知っていたが、まさかこれほどまでに優秀とは思っていなかった。
平等が生きていられるのは、偶然に過ぎないと彼は踏んでいた。そして、その予測は現実をそれほど違っていなかった。
既に射程の長いミサイルは撃ちつくしていて、短距離の対空ミサイルで応戦するしかない。そして、対艦ミサイル迎撃専門の機動性の低いミサイルで俊敏な敵戦闘機が落せるわけがなかった。
爆装したF4、おそらくF4の改良型は難なくミサイルを回避。
続いて、30ミリ連装ガトリングが重々しい射撃音をCICまで響かせるが、それも虚しい。敵機は攻撃を回避。
それでも敵機に幾らか回避を強いることができたのだから、御の字かもしれない。30秒くらいは長生きできたのだから。
別方向から突入してきた敵機は防ぎようがなかった。
「艦長!」
焦燥に狂った副長が悲鳴を上げる。
「駄目だな・・・」
彼は絶望しか返せなかった。
衝撃が来る。
アルミ製の艦上構造物をボール紙のように打ち抜いてCICに飛び込んだ1000ポンド爆弾の衝撃と、続く高熱衝撃波が彼の肉体をバラバラする寸前、彼の目はレーダーに映った友軍機を示す青い5つのブリップを捉えていた。
スクランブルの戦闘機がようやく到着したのだ。
今頃来たがったのか!空軍の無駄飯食い共め!!!
それが彼の最後の思考だった。
「輸送船を全部撃沈したよっ!ブイなのデ〜ス」
四葉ちゃんがVサインをするところを思い浮かべて、何故かVサインをするチャーチルの横顔が頭をよぎったりする。
口直しに海面を見下ろせば、もはや殆ど船が海面に没しようとしていた。
巨大な10万トンタンカーが海面に垂直にそりたって、大きなスクリューをくるくる回していた。その周りは重油のどす黒い海が広がっていて、その中には全身に回った炎に炙られるフリゲートがポツン、ポツンと点在していた。
まるでこの世の終わりのような、エコロジストが見たら卒倒しそうな情景だろう。
「見たか、サクヤ?コミーのフリゲートを一撃でやっつけたぜ!」
「ちゃんと見てたわよ。で、デートしろって言うんでしょ?嫌よ」
「そりゃないぜ、セニョリータ」
調子の言いことをいってくるのは、イタリア義勇軍パイロットのアランだった。
最近何かとちょっかいかけてくるのよね。
軽薄で、暇さえあれば女の子に声を掛けている。ミスター女の敵って感じで、私はあまり好きじゃない。
私がCIWSの射撃を避けたところで、別方向から急降下したアランの1000ポンド爆弾が一隻だけ残っていたフリゲートに止めを刺した形だけど、向こうが少し早かったら私がフリゲートを沈めていたところだ。自慢するようなものじゃない。
「攻撃隊全機へ、敵機が5機接近中デス」
まだ何か言おうとしていたアランを先じて、四葉ちゃんが警告と飛ばす。
データーリンクで手に入れた座標、CRT表示のレーダースコープには雁行隊形の5機の敵機。この場合は戦闘機で間違いないだろう。
かなり速い、マッハ2以上。
「何かしら、これ。真っ直ぐ突っ込んでくる」
「IFFには応答なし・・・敵だよ」
衛ちゃんの言うことはもっともだった。
残っていた爆弾を放棄、ミサイルはサイドワインダーが2発。
「サクヤ!心配するなよ、俺が全部落としてやるさ。3機落したらデートな!」
「勝手なこと言わないでよ!」
もうアランのF16は加速してF4では追いつけない。
流石に型古でもF16は速い、加速が違う。
悔しいけれど、アランのお尻を拝むしかない。
「たった5機で何しようっていうんだ・・・よし、視認した。5機・・・黄色い飛行機だ。待てよ、こいつら・・・もしかして・・・・黄色中隊か!?」
「スカイクローバーより全機へ、交戦を禁止しマス。早く逃げて!」
間髪いれずに四葉ちゃんが叫んだ。
その声にいつもの陽気さはカケラも無かった。ただただ必死な焦燥と恐怖だけが先走っている。
焦った四葉ちゃんが操作を誤ったのか、通信が入り混じった。
「黄色の13より中隊各機へ西日本の戦闘機を駆逐しろ」
「了解・・・撃墜するよ・・・」
私は思わず黄色の13の言葉に聞き入っていた。
これが・・・お父様とお母様を殺した黄色の13の声。雑音まじりの声だけれど、耳に焼き付いて離れない。
お父様とお母様を殺した黄色の13が直そこにいる。
そう考えるだけで、体が熱くなって視界が赤く染まっていく。まるで血液が沸騰してしまったみたいで、全身が泡立っていた。
震えが止まらない。
「チクショウ!あいつ等ストーンヘンジを守ってるんじゃなかったのか!?」
「こんな辺境まで来るのか?クソ!」
「機体の性能差も大きい・・・おい!メビウス1、反転しろ!」
「待って、さくねぇ。ファントムじゃ勝てないよ。今は逃げようよ」
みんなが何かを言っているが、よく聞こえない。
だから、どうでもいい。
みんなは次々に反転して、逃げていくけれど。私には関係ない、むしろ都合が良かった。誰にも邪魔されずに13を撃墜できる。
「咲耶姉チャマ!交戦は禁止デス。反転するデス!」
五月蝿いので通信を切った。
四葉ちゃんには分らないだろう。衛ちゃんにだってわからないだろう。いや、誰もにも分らないだろう。神様だって分らないに違いない。
この全身を焦がす激情を、何もかも全て奪われた私の怒りを、お父様とお母様を理不尽に殺した黄色の13を私は絶対に許さない。
「ダメ!さくねぇ、絶対にダメだよ。早く反転して!」
「五月蝿いわね、イヤなら降りていいのよ」
私はイグジェクトハンドルに手を掛けた。
これを引けば、座席固定されたロケットモーターが10分の3秒以内に二人をファントムから脱出させる。
「さくねぇ・・・」
何か言いたげな衛ちゃんの顔が妙に苛立つく。
衛ちゃんの顔が映るバックミラーを私は動かした。衛ちゃんに代わって、私の顔が映る。
私は少しだけ驚いた。
私って、こんな顔をすることが出来たんだって・・・でも、もうどうでもいい。私のやるべきことは決まっている。
「殺してやる」
レーダーにロックオン。必ず・・・・殺してやる。
「一人勇敢な奴がいるな・・・」
一機だけ、白い飛行機雲を引いて真っ直ぐに突っ込んでくる。
F4ファントム。おそらく改良タイプだろうが、あまりにも古すぎる。30年も前の戦闘機だ。最新鋭のSu−37相手に一機で戦いを挑むなど狂気の沙汰としか思えない。
「この場合・・・無謀というべきだろうね・・・」
「4もそう思うか・・・」
傍らに寄り添うようにして飛ぶ黄色の4のSu−37へ目をやる。
これまで無骨なイメージが強かったソビエト製戦闘機のイメージを一変させた流麗な設計、機首から伸びるストレーキに広く滑らかな主翼。
西側でいうところのスーパーフランカー、Su−37は全長22メートル、全幅14メートル、自重は18トンに達する巨大なジェラーヴリクだ。
西側のあらゆる戦闘機を空中で撃破できる武装と機動性を持つSu−37は東日本最強のパイロット達の手によって、鶴よりも優雅に、鷲よりも鋭く空を舞う。
「13・・・あの戦闘機・・・私に任せてくれないかな」
「珍しいな・・・4がそんなことを言うなんて」
「私だって・・・偶には気まぐれを起こすさ」
実際、4の申し出は酷く珍しいことだった。
いつも自分の背後で護衛に徹する4は滅多なことが無い限り、自ら進んで敵機を追うことはない。いや、今までの長い戦いの中で一度もなかった。
4との付き合いはとても長い。長すぎて、昔のことで覚えてないことも多い。何しろ、子供のころまで遡る。
10年ほど前、まだ東西日本の対立がそれほど酷くなかったころ。故あって西日本の家族と別れて東日本に暮らしていた時期があった。国境の小さな町で、同じ町の中であったけれど家族とは別れて暮らしていて、酷く心細かった記憶がある。
だが、そんな暗い毎日を彩ってくれた天使がいた。いや、いたはずだった。既に顔も名前を定かではないが、とても可愛い妹が一人いた覚えがある。
毎日朝から検問所を越えて起こしに来てくれる妹と、遊び回った夏の日々は人生最良の日々といって間違いないと思う。
あの頃は、それがずっと続くものだと信じて疑わなかった。
だが東西の対立が激化し、完全に国境交流まで絶たれて東西の多くの家族がバラバラに分断されたあの夏、自分もその名簿の中にいた。
あの日、やけに蝉の鳴き声が酷い午後。警官に取り押さえられながら必死に妹の名前を呼んだ記憶がある。
妹を失い、両親を失い、家からも非武装地帯として追い出された子供に、救いの手を差し伸べるような奇特な人間などいなかった。
放浪して、万引きで捕まって孤児院にぶち込まれた時、荒みきっていた俺に誰も近寄ろうとしなかった。あの時は次の日に首を吊ったっておかしくないほど、あらゆる全てに絶望していた。
そんな俺を助けてくれたのが4だった。
最初は妙に悟った物言いが鼻について虐めてさえいたが、それでも4はいつも俺の後を追ってきた。そして、それがいつしか心地よくなっていた。
俺は4を妹として扱い、4は俺を兄と呼んだ。それからの生活は貧しかったけれど幸せなものだった。久しぶりの幸福な毎日が帰ってきた。
二人で猛勉強して授業料が無料の軍の学校に入り、そこを卒業。卒業すると直に空軍に入り、4も当然のように一緒に空軍に入った。
学校の卒業式、俺は4を妹として見ることを止めた。もう失った妹の代わりなどはいらなかった。妹の代わりと、4を見ることが出来なくなっていた。
そして、今に至る。
4は最強の護衛機として、今も傍らにあった。
「そうか・・分った。俺は逃げる奴等を追撃する。大丈夫だと思うが・・・油断するなよ」
「大丈夫さ・・・まかせて欲しい」
そう言うと4は翼を翻した。ロール、反転降下、スプリットS。
「遊びすぎだぞ・・・」
多少心配になってくる。
4は突っ込んでくる戦闘機、F4ファントムの正面に無防備な背後を晒していた。
「心配しないで欲しい・・・・兄くん」
「懐かしいなその呼び方は・・・千影、まかせた」
では、自分の戦いに集中することにしよう。
まず4つのカラー液晶ディスプレイに目を落す。西側戦闘機と同レベルのグラスコックピット化が成されたSu−37は好きな情報を自由に表示させることが出来る。
二次元表示のレーダースクリーンを呼びだして、彼我の間合いをざっと測った。時折画像が潰される。ECM、おそらくAWACSのものだろう。高度なアビオニスクを備えたSu−37でも流石に巨大なペイロードの全てを電子戦機器で固めたAWACSには勝てない。
だが、ECMの影響は深刻とはいえない。レーダーは十分に機能している。
ECCMがジャミング波を感知して、次々と周波数を変えて対抗。目に見えない、感知不能の戦いを繰り広げている。愛機の人知を超えた戦いに俺は自然と畏敬の念を覚えた。
一番近いところにいるのは、F−16。西側の高性能軽戦闘機。だが、パイロットが悪すぎる。
逃げるにしても、真っ直ぐの直線飛行では狙ってくれといっているようなものだ。
ロックオン、連続してミサイルをリリース。
発射したのは中距離AAM、R−77。西側ではアムラームスキー等と呼ばれているが、射程は30%も長い。中距離での撃ち合いになれば必ずこちらが勝つ。
アクティブホーミング故に撃ちっぱなしが可能だが、ロックオンを続ける。周囲に危険は無い。悠々とロックし続け、データーリンクでミサイルを誘導していく。
F−16のパイロットの耳はレーダー警戒受信機の警告音で一杯のはずだが・・・回避が遅い。回避運動で速度を失うことを嫌ったのだろうか?だがミサイル接近に慌てて回避に入る。
判断が遅すぎる。
R−77はアクティブシーカーを起動、F−16を追う。
F−16は旋回を続ける。酷く中途半端な旋回だ。速度も速すぎる、コナーベロシティを無視した旋回は、ただのエネルギーの無駄に終わる。最大12Gの機動に耐えるR−77は悠々と追尾、信管作動。ミサイル、爆発。
「マンマミーヤ!」
無線が混線している。F−16のパイロットは外人らしい、英語とロシア語以外は分らないので、どの国人間かは分らない。
燃えるF−16からパイロットが脱出できた様子はなかった。パラシュートの花は咲かない。勇敢な義勇軍のパイロットは遠い異国の空に消えたのだ。
「さて・・・どんな具合かな」
一枚成形のコックピットの視界はすこぶる良好だ。振り返れば、飛行機雲の螺旋が広がっている。炎も黒煙もなく、雲の上に広がる青空に引かれた飛行機雲は何時果てることなく続いていた。
「遊びすぎだぞ・・・千影」
背中がすーすーする。あるべき場所にあるべきものがないというのは、随分としんどいものだ。
早く帰ってこいと声を掛けようとして、止めた。口に出すのは少々恥ずかしい。
「まったく・・・」
手持ち無沙汰に、次の標的にロックオン。今度はミラージュ2000、はるばるフランスから海を越えて来てもらったのに悪いが、およびじゃない。
ミサイルをリリース。数十秒後、再び赤い炎と黒煙の花が咲いた。
「こっ、この!」
フットバーを蹴りながら、操縦桿を押し倒す。乱暴な操縦にも機敏にF4は答えてくれた。
コンマ数秒前にファントムのいた空間に、赤く焼けた牛乳瓶もある機関砲弾が通り抜けていく、冷汗は吹き出る傍から霧散。荒い呼吸が酷く五月蝿い。
「また来るよ。避けて!」
悲鳴を上げる衛ちゃんの声は擦れていた。もう何回言ったか分らない、喉が潰れるほど繰り返した悲鳴。またアイツがくる。
「もうっ!」
スライスで逃げる。
焼けた弾丸が機体を掠めるたびに神経が絞り上げられる。
振り返れば奴がいる。黄色い悪魔、Su−37.
翼端とテイルコーン、機体下面を黄色塗ったSu−37は悠々とスライスについてくる。まったく振り切れない。
最初に無防備に背後を取らせた時に、侮りに反応して登った血はもうすっかり地の底まで落ちていた。
思いあがっていた。いい気になっていた。こいつには・・・勝てない。
人間と戦ってる気が全くしない。
逃げなきゃ、早く、逃げなきゃ・・・・殺される。
「いやぁっ!お兄様っ!」
右ロールから、反転降下。
Su−37はしっかりとついてくる。まるで私の行動をずっと前から知っていたように。
そのままロールを続けながら、操縦桿を引く。機体はロールを続けながら大きな半径の螺旋を描いた。
バレルロール、HUDに表示された対気速度はみるみるうちに減っていく。
Su−37は原則についていけずにオーバーシュートして、また最初と同じように無防備な背後を晒した。予想だにしなかった事態に理解が追いつかない・・・そんな馬鹿な、ありない。
それでも反射的に、私はミサイルのシーカーを開けていた。
「フォックス2!フォックス2!」
火薬カートリッジの力でサイドワインダーがパイロンから離れる。
十分機体から離れたサイドワインダーAIM−9Mはロケットモーターに点火、西側の誇る先端技術を駆使したイリジウム・アンチモン化合物探知装置はSu−37の最大14トンに達する大推力エンジン、サチェルン・リューリカAL−37FGの膨大な熱排気を完全に捉えていた。
ミサイルは真っ直ぐSu−37へ向かう。
黄色いSu−37は増速、爆発的な加速で一気にミサイルを突き放す。だが、サイドワインダーの方がずっと速い、振り切れるものではない。
私は奇跡の存在を信じ始めていた。もしかしたら、という言葉が心に広がっていく。
ミサイルの白煙はSu−37の飛行機雲をなぞるように飛んでいった。
飛行機雲の軌跡が突然変わる、急上昇。真っ直ぐにSu−37は青い空を上っていく。ファントムではとても追いつけない。
視界の中で、垂直上昇するSu−37はまるで十字架のように見えた。
そして、その十字架は何もない虚空に静止した。
「うそ・・・」
そのまま落ちてくる。
真っ直ぐに、垂直を保ったまま落ちてくる。
罪人の首を落す、ギロチンの刃のように落ちてくる。
咎人を罰する天の雷のように、私目掛けて落ちてくる。
サイドワインダーは真っ直ぐに落ちてくるSu−37とすれ違って、爆発。でもその時にはSu−37は爆圧の範囲の外にいた。
その時、Su−37は私の傍らを過ぎて真っ直ぐに雲海へ沈んでいくところだったのだ。
「テールスライドって言うんだよ・・・今の・・・」
しゃがれた声で言う衛ちゃんの呆然とした声に私は頷くことさえ出来なかった。
だって・・・バックミラーの中で、濁った雲の海からゆっくりとSu−37が浮かび上がって来るところだったのだから。
「もう・・・おしまいなのかい?」
助けを呼ぶために開けた通信には知らない人の声が混ざっていた。
冷たい、幽霊のように生気のない声。いや幽霊じゃない、これは、まるで――――
「じゃあ・・・君の命も・・・ここでおしまい・・・・」
死神の声だ。
ミサイル2発、ボア・サイト。この距離なら外しようがない。
何の手立ても浮かばないまま、スロットルを押し込んだ。アフターバーナーON。右ロールから、再びバレルロールへ、同時にチャフをばら撒く。
だが、それはもはや回避ではなく、直撃を至近爆発へ変える程度の意味しかなかった。アクティブレーダー近接信管が作動する。
2発のR−73M、アーチャーの7.4キロ指向性破片威力弾頭の至近爆発は爆発からコンマ一秒以内にドーナツ状に剃刀より鋭いスプリンターを放射、F4EJ改のジェラルミンの機体を切り刻んだ。
アクリル製の風防は砕け、細かな粒子となって雲海に消える。後を追うように赤い斑点が点々とファントムの白い機体に続いて、風圧で長く引き伸ばされる。
F4EJ改の2基のJ−79−IHI−17エンジンは爆発の瞬間まで正常に8.083キログラムの推力を発生させ続けていたが、突入してきたスプリンターは高速で回転するタービンブレードへ飛び込んでその本来の機能を停止させた。
タービンは惰性で回り続け、スプリンターを噛み込んだタービンは毎分十数万という高速回転によって自壊、自らも焼けたタービンブレードを飛び散らせた。その一片がタンクから漏れ出たJP−4ジェット燃料に引火するのに、さほど時間は掛からなかった。
赤い炎がファントムの機体を舐める。
黒煙を引いて落下するF4はまもなく雲海へ消えた。
「撃墜したのか?」
通信が入る。心配そうな13の声。
それが少々嬉しい。我ながら天邪鬼なことだ。
「ああ・・・今・・墜したよ・・・パイロットの・・・脱出は確認されない・・・」
「そうか・・・」
13の声は少し残念そうな響きがあった。
「なかなか良い腕をしていたように思うんだがな・・・もったいない」
「まるで・・・あのリボンが付いた戦闘機に・・・・強くなってもらいたい・・・と言っているようだね・・・」
テールスライドですれ違ったF4の尾翼にはリボンが描かれていた。メビウスリングのようにも見えなくは無いが、白いリボンの方がいいような気がした。
時々混じる通信を聞く限り、あのF4のパイロットは女性だろうから、リボン付きの方がよろこぶだろう。
「まるで、じゃないさ・・・本気だよ」
「それは・・・自信過剰だね・・・」
だが、それは現実的な戦果の積み重ねに基づく絶対的な自信だ。13のスコアはもう60機を越えている。
「いざとなったら、千影が助けてくれるさ」
「どうだろう・・・・迷うね」
「コラ!」
キャノピーの向こうで拳を振り上げる13、笑っている。
私も釣られて笑う。笑うというには控えめであるけれど、私は笑うことが出来る。
兄くんがそこにいてくれれば。
「さあ、帰ろうぜ」
追撃を終えた残りの3機を待って、私達は帰途についた。
夕日、雲の下は雨だけれど、高度8000メートルの高空には関係ない。これだけの高度になると大気も澄んでいる。
赤い斜光が黄色い機体を赤く染める。
私はもう一度視線を雲海に下ろした。
眼下には分厚い鉛色の雲が広がっている。例え、あの後ベイルアウトしても、海は大荒れだ。絶対に助からない。あのリボン付きのパイロットは死んだ。
「感傷かもしれないけどさ・・・」
「・・・何・・・かな?」
「戦闘の後に見る夕日は、血の色をしているな」
私は13の言葉に釣られて夕日に見た。遮る物のない赤光が目を焼く。
眩しさに手をかざすと・・・私の両手は真っ赤に染まった。
それはまるで・・・返り血を浴びたように。
「そうだね・・・兄くん」
呟く声はエンジンの轟音に紛れて、誰の耳にも届くことはなかった。
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