ACECOMBATSISTER

shattered prinsess

エースコンバットシスター シャッタードプリンセス



















ラストミッション 『Nemesis』


 2002年5月13日 佐渡島 原子炉制御室

 空間にはMSDG−1Gが満ちていた。
 MSDG−1Gは東日本が誇る21世紀最高の天才科学者“至人”鈴凛博士が作りだした125番目の発明品であり、正式名称は『めちゃすごい毒ガス1号』という。
 無論、それは鈴凛博士独特の性質の悪い冗談なので本気にしてはいけない。
 MSDG−1Gは各種化合物の頭文字を組み合わせた語呂合わせであり、市販の農薬を混合、蒸留することで極めて簡易に製造することが可能である。テロリストに利用されることを防ぐため、詳しい化学式はここでは書くことはできないが、有機リン系の化合物とだけ表現しておく。
 ジュネーブ条約を無視した反則技であっけなく制圧された原子炉制御室で、勝者が一人孤独な戦いを続けていた。
 滅菌されつくした部屋の空気はゴム臭い。
 けれど、それも我慢しなければならないだろう。ガスマスクはこの部屋に限っては、宇宙飛行士が纏う宇宙服と同じ意味合いを持っている。
 そしてつまりは、この部屋は絶対真空と同じぐらい滅菌されつくしていた。
「そうよね・・・P4レベルのバイオハザードを扱う研究所でも、衛生ってレベルじゃここには負けるわよねぇ」
 キーボードを叩きながら無感動に鈴凛は呟いた。
 数億万の雑菌と、その宿主が死に絶えた部屋は確かに衛生的といえば衛生的だった。ここではエイズウイルスはもちろん、世界でもっとも恐れられるエボラウイルスさえ生存できない。
 唐突に、煙草が吸いたいな、と思う。
 それこそ肺がんになるほど吸いたい。
 しかし、致死的な肺がんになるには10年は掛かる。不健康の極みを尽くしても10年掛かるのだ。完全滅菌された清潔の極みともいえるこの部屋でなら、ガスマスクを外せば10秒で死ねるというのに。
 鈴凛に頬に微かな苦笑が浮かぶ。
 そういえば・・・自分の作ったものは全部、こんな風に皮肉の効いたものばかりなのだ。
 医薬品を発明すれば、どれもこれも素晴しい薬効をもつものばかりできたが、その実まともな使い道は化学兵器ぐらいしかなかたったし、画期的な遺伝子治療法を確立したと思ったら、危険すぎて制御できない生物兵器ができてしまった。コンピューターのプログラムだって、荘厳なタペストリーのように完璧なプログラムができたと思ったら、あまりに完璧すぎて外部からの制御を一切受け付けなくなってしまった。つまり、そのプログラムは最初からフリーズしているようなものだ。
「才能ないなぁ・・・あたし」
 誰にも見せたことのない弱気を死体に吐露して、鈴凛はリターンキーを押した。
 軽い電子音と共に、電子の猟犬が走り出していく。
 たった今組みあがったプログラムはおよそ完璧からはほど遠いものだったが、その効果は絶大だった。
 破断寸前のファイアウオールを潜り抜けたウイルスはまた一つ警備システムに入り込み、追跡する攻性防壁に焼かれより早く、警備システムからまた一つ迎撃機構の所有権を掠め取った。ネメシスに侵入した連合軍特殊部隊の行く手を阻むオートガードシステムはまた一つ沈黙し、逆に彼らを包囲しようとしていた東日本軍の警備兵を吹き飛ばす。
 既に監視システムの全てとガードシステムの7割が手の内にある。
 まぁ、ここまでは予想どおりだった。この巨大要塞は便器から迎撃ミサイルの配置まで自分が設計したのだ。サイバー戦など勝って当然。むしろ負けたらショックのあまり泣いて実家に逃げ帰る。
「そしてここからが本番なのである。いわば担保に取られた家を強奪したようなもので、借金取りは怒り狂ってハンマーで玄関の扉を打ち壊そうとするだろう」
 同時に爆音。
 破砕音と破壊音が壁を伝って部屋を揺らした。
「言わんこっちゃない・・・時間ないなぁ」
 まるでレポートの提出時間について悩む女子大生のような口ぶりだった。
 ワイヤードで奪われた警備システムをリアルワールドで取り返そうと、東日本の警備兵が隔壁を爆破しながら管制室に向けて着々と歩を進めている。芸のない力技だけど、この局面では有効だと認めるしかない。
 この分だと連合軍の特殊部隊と同タイミングか、それより少しくらい早く奴らが到着することになる。
 もし、そうなれば・・・ネメシスの膨大な電力消費を支える原子力発電所をメルトダウンさせ全てを道連れにするつもりだった。
 その結果、新潟や本土に死の灰が降り注ぐことになるだろうが、核戦争で世界が滅びるよりはマシだろう。
 しかし、
「本当にどうしていつもこうなるのかな?」
 気が付けば、いつも自分のまわりには死体が積み上がっている。
 今だって、部屋には枯れ木のように手を折り曲げて倒れる無残な死体が折り重なって、おぞましい悪夢を具現していた。
「こんなつもりじゃなかったのに」
 何度となく吹き荒れた糾弾の嵐に向かって、あたしはいつもその言葉を積み上げた。嵐から身を守るための防護壁のように。
 もちろんそれで許されるとは思っていない。けれど、私は才能ゆえに罰せられることはない。だから反省を山ほど積み上げ、問題点を完璧に改めてきた。
 しかし、何度やりなおしても必ず最後には死体の山を積み上げるだけだった。
 人類の輝かしい未来を約束する発明がおぞましい破壊や殺戮に変わるのにそれほど時間はかからないし、ちょっとした思いつきのようなアイデアが破滅的な大量破壊の道具に変わるのは一瞬だった。
 21世紀の宇宙開発においてソヴィエトを凌駕するために造ったマスドライバーは弾道弾迎撃砲とか言うわけの分らない長距離砲に改造され、ストーンヘンジとして日本中に破壊をばら撒いた。
 そして数時間前、アリゾナの核ミサイルサイロを蒸発させ、大阪郊外の尼崎市を焼き尽くした対地レーザー砲衛星『ネメシス』は東日本の全消費電力の半分をまかなえるはずの大出力発電衛星の成れの果てだった。
 今まで蚊帳の外に置かれていた米国はこの暴挙にヒステリックな反応を返し、今や世界は魔女の大釜の底にいる。
 佐渡島に逃げてきた将軍達は次に大阪を焼き払うと連合国を脅し、無条件降伏を要求しているが、これはもはや戦争ではなく規模の大きいだけのテロに過ぎない。
 当然だけど、そんな要求通るわけがない。
 空爆開始から10分、要塞の対空防衛機構の稼働率は20パーセントを切っている。
 ここまでは予測どおり。問題はここからである。
 このべトンと特殊装甲の要塞を破壊する方法は3つある。
 一つはメガトン級反応弾を使って島ごと蒸発させること。二つはネメシスの電力をまかなう原子力発電所をメルトダウンさせること。
 この2つは新潟や本土に大量の死の灰がばら撒かれることになるので最終手段となる。それに核戦争が起きる可能性が非常に高くなる。たぶん、新聞の天苦予報の正答率より高いぐらいに。
 残された最後の手段は、考え付いた自分でさえ呆れかえるほど荒唐無稽だった。
「だけど、怪しい奴を片っ端からぶち殺して最後に残った奴が真犯人というのは推理小説のセオリー・・・よね?」
 リターンキーを押す。メインスクリーンが切り替わる。
 カメラの映像は鮮明で、これから始まる奇跡を観賞するには十分なものだった。メインスクリーンは防空管制にも使える大画面のもので、足りないものはコーラとポップコーンだけだろう。
 ネメシスには横幅30メートル、高さ20メートルの3つの放熱溝がある。放熱溝の先には3つのメインラジエーターがあり、放熱溝に配置された強制空冷ファンが膨大な冷却空気をラジエーターに送り込んでいる。本来なら水冷にするべきなのだが、防衛上の理由で内陸部に建造されたネメシスは原子炉の冷却システムを空冷化するしかなかった。
 残された最後の手段というのは、その放熱溝に戦闘機を突入させて内部から冷却器を破壊するという作戦だ。
 その3つの冷却器を破壊すると、原子炉は緊急停止するようになっている。
 もちろん予備の冷却システムもある。放熱のために中央の古い物資搬入路の扉が開くようになっている。搬入路は放熱溝よりも更に狭い。そして、その先にはネメシスの予備の冷却器がある。これを破壊すれば、メルトダウンを防ぐために後は緊急注水して完全に原子炉を停止させるしか方法はない。それはネメシスの死を意味する。
 成功確率は0.0000001%以下。
 しかし、0ではない。
 以前、この作戦を助手の一人に授けて脱出させたが、彼はちゃんと呆れることなく作戦を伝えてくれただろうか?
 助手は真面目な男だからすっぽかすことはないだろう、しかし先方の軍人達は忘れてしまう可能性は多いにあった。
「ま、こうしてちゃんと突入チームを送り込んできたんだから、良しとしますか」
 また一つ突入チームの行く手を阻む警備システムをハッキング、支配下においた。
 そして同時に爆音。また一つ警備兵が隔壁を爆砕した音だった。
 隔壁の数はあと12枚、計算が正しければあと630秒で警備兵がここに殺到する。
「それまでに来てちょうだいよ・・・」
 鈴凛は視線を窓の外に送った。分厚い防護ガラスの向こうには予備の冷却器が見える。その下にあるのは原子炉だ。そして、その向こうには暗いトンネルがあった。物資搬入路はいつもどおりの静けさを保っている。
 だが計算が正しければ、後710秒にそこは轟音に満たされる。
 あたしの造り出した悪夢を止めるために、世界を焼き尽くす災厄の城を滅ぼすために、そこから奇跡が舞い降りるはずだった。






「レーダーにチェキ!敵機が高速接近中デス!敵機ミサイル発射、着弾まで後20秒!」
 四葉ちゃんの鋭い警告を私は夢うつつに聞いていた。
 体がだるい。風邪をひいたような、重い倦怠が肩に圧し掛かる。
 今日の空は目の覚めるような青だったけれど、見ていても気分は晴れなかった。むしろ吐き気さえ覚える。お兄様の消えた空。お兄様が死んだというのに、空は涙一つ流さない。
 そして、それは私も同じだった。
 涙腺から外に出られない涙は肺に溜まって、やがてその重みで私の心臓を押しつぶすに違いない。漠然と、そう確信していた。
 死ぬとか生きるとか、具体的なことは思いつかない。ただ心が空虚で、空ろで、隙間風だけが吹き抜ける。
 風が吹くたびに、私の心はぱさついていく。
 唐突に、砂漠に吹く風に侵食され今にも倒されようとする石の塔が思い浮かんだ。
 私もそうなりたいのだろうか?
 疑問に対する答えはまだでない。けれど、抗し難い魅力を感じていた。。
 私もお兄様のように、この空に溶けて消えてしまいたい。1発の銃弾が齎すような生々しい死よりも、私は漠然と自分を消してしまいたかった。この胸に募る絶望もろとも消えてしまったら、どんなに素晴しいだろうか。
「さくねぇ!」
「わかってる」
 そして、また隙間風が吹き抜ける。
大G旋回。右から左へ切り返して、ミサイルの予測を外す。
レスポンスは悪くない。前の日の戦いで翼を傷めたシルフィードに代わって、再びストライクイーグルが舞う。
 スロットルのECMディスペンサースイッチを押し込む。AN/ALE−45チャフフレアディスペンサーがチャフをばら撒く。
 大G旋回中の突発的な方向転換。Gスーツで全身が締め付けられ、体中の筋肉が悲鳴を上げる。
 意識が霞む数秒間、ミサイルはチャフを無視したけれど、方向転換が間に合わない。
 ミサイルはイーグルをロスト。ミサイル、自爆。 
 戦術状況ディスプレイに視線を走らせて被弾した機がいないことを確かめる。
 ストライクイーグルを先頭に5機編隊、撃墜スコアNo1からNo5が揃った正真正銘の精鋭部隊、メビウス中隊に欠落はない。
 敵機はそのまま突っ込んでくる。別働隊が1個小隊、右側面から回り込んでいた。
 目の前の敵機は囮だ。
「メビウス4、5はミサイル発射後、別働隊を叩け。1から3は正面の囮を叩く」
 短く指示して兵装セレクトスイッチに指をかける。
 ミサイルセレクト、AIM−120アムラーム。
 レーダーはスタンバイ。データーリンクでAWACSに誘導を任せる。膨大な発射諸源がデーターリンクによってミサイルの流れ込んでいく。軽い電子音、ミサイル発射準備完了。兵装投下スイッチを押し込む。火薬カートリッジのパワーでパイロンからミサイルは高速射出、すぐさまロケットモーターに点火。ミサイルは羽衣のような白煙を引いて敵機に向かう。
 LINK−16で敵機の反応を確認。敵機はミサイル回避機動に入る。緊密な編隊が崩れ、青空に飛行機雲が乱舞。目を楽しませてくれる。
 螺旋のように渦巻く飛行機雲の終末には爆炎と黒煙。
 火の尾を引いて敵機が落ちていく。その散り様にお兄様の横顔が重なる。心が凍えた。
「1、2、3、4・・・正面の敵は全機撃墜だよっ!」
「分った、側面の本隊を叩くわよ」
 あっけない決着。やや落胆している自分がどこかにいた。BVRミサイルを避ける技量も持たずに空へ上がる雛鳥が多すぎた。
 イーグルは機首を翻す。
 側面の本隊は1機数を減らして7機。対するF−15Jのメビウス4、5はやや苦戦中。敵機はフランカータイプ。カナードがあるからSu−30の最新型か、Su−35だろう。強敵だ。
「くそっ!振り切れない。黄色中隊は全滅したんじゃなかったのか!?」
 大G旋回中の呻きに混じってメビウス4の悲鳴が聞こえる。35機撃墜のスーパーエースはやや愚痴が多いのが珠に傷だ。
 イーグルの背後を襲う敵機は確かに黄色中隊独特の黄色のカラーリングが施されていた。けれど、その機動は苛立たしいほど緩慢だ。
 完全に詰められているのに、敵機は気付きもしない。これならミサイルの直撃を食らうまで気付かないだろう。それどころか、死んだことさえ気付かないかしれない。これが黄色中隊だったとしたら、それはお兄様への冒涜だ。
 吹き上がる怒りに任せてトリガーを引く。
「消えろ!」
 M61A1の唸るような発射音。赤い曳航弾の花が咲いた。間延びしたような旋回をする敵機。見越し角をつけて光弾はその未来位置へと向かう。
 曳航弾は天の川に似て、何もない青空へ向かうと見せて、その実は敵機の進路へと確実に投網を投げ掛けていた。
 吸い込まれるようにPGU−28減損ウラン弾が黄色い主翼に落ち窪んで、赤い着弾の火花を上げた。同時に破砕が始まる。
 チタン製主翼桁が叩き折られ、膨大な風圧をささえる構造の支点は失われる。摩擦熱で赤熱化したPGU−28は主翼タンクの防弾、防露機構を裁断し、火を放つ。
 けれど、このときはまだ致命傷ではなかった。フランカーの設計は他のロシア式戦闘機と同じく頑健さこそが売りだったから、まだ耐えられた。
 真の破綻の引き金を引いたのは慌てたパイロットの無謀な操縦だった。
 撃たれたと同時にSu−35は回避のために大G旋回に突入。既に破壊されていた右主翼の主桁は増大する空気抵抗によって構造材を巻き込みながら吹き飛んだ。主桁を失った右主翼は膨大な空気抵抗によって構造限界に達し、巻き込むようにしてひしゃげ、落ちた。
「スプラッシュ、ダウン、バンディット」
 右主翼を失ったスーパーフランカーはそのままスピンに入って、視界から消える。パラシュートは見えない。射撃で脱出機構が破壊されたか、それとも遠心力で射出レバーにさえ手が届かないのか、あるいは脱出することさえ忘れてしまったのか。
 しかし、真に哀れなのは、あの程度の技量で空に上げさせられたことだろう。
「そうなんだ・・・あれは哀れなんだ」
 敵機を撃墜した高揚感など湧かない。お兄様を辱めるほどの低劣な技量に対する怒りもどこかへ消えた。
 ただ、哀れみ、憐憫しか思いつかない。
 自分は傲慢なのだろうか?このことを人に話せばそう思われるかもしれない。しかし、実感として哀れみ以外の何を感じ取ればいいのだろうか、私に分らない。
 戦う術も与えずに、戦場に兵士を送り込むのは既に犯罪である。特にこの空の掟は厳しい。技量に劣るものは死者として地上に送り返される。
「お兄様もこんな風に敵機を哀れんだことがあったのかな・・・」
 ある、と私は確信していた。できればこの気持ちを共有したかった。これはとても辛くて、一人では耐え難い。
 けれど、ミサイル発射スイッチに掛かる指を押し込む力に陰りはない。
 ミサイル、サイドワインダー9X。
 HUDの中で目まぐるしく機動する敵機。視界の端でインレンジシグナルが瞬いている。レーダーはACMモード。敵機を捉える。自動追尾開始、STTモード。ロックオン。
「シーカーオープン」
 アンテナライン・オブ・サイドがシーカーサークルの中央で止まる。オーラルトーンが響いた。目標コンテナの中の敵機はジンキングでロックを解除しようとあがく。けれど、気付くのが遅すぎた。
「フォックス2、フォックス2」
 軽い震動があってミサイルが走り出していく。
 白煙を吸い込まないようにイーグルはブレイク。
 サイドワインダーの最新シリーズ、AIM−9Xは敵機を追尾。敵機は大G旋回で振り切ろうとするが、それは無謀というものだ。
 ベクターノズルによる高機動、ガラガラ蛇は敵機に食らいつく。アクティブレーザー近接信管作動。ミサイル、爆発。
 敵機は後ろから蹴飛ばされたように機首を持ち上げた。そのまま機体を空へと溶かす。ジェラルミンの破片が陽光を受けて鈍く輝いた。それと覆うように黒煙。やがて、炎が重ね来る。
 機体の破片が落ち葉のように散らばって、敵機は視界から消えた。
 あっけなさ過ぎる結末だ。
 心の奥底で、もう摩滅しきったはずの感情がごろりと疼いた。
 落ちていく敵機から脱出するパイロットの白いパラシュートは見えない。それがどうしても気がかりで、胸をちくちくと刺す。まるでセーターの網目に引っかかったささくれのように。
 素直に、困ったなと思う。あの弱すぎる敵を前にして、次もトリガーを引けるかどうか自信がもてない。
 生きるか死ぬかの戦場に、余計な感傷を持ち込むようになったら引退を考えるべきだと誰かが言っていた。
 もしかしたら、私はイーグルを降りなければならないときが来たのかもしれない。
 無限ループに落ち込もうとする思考を遮るように、四葉ちゃんの悲鳴を響く。
「姉チャマ、緊急事態デス!レーザー砲衛星が軌道を変更シマシタ!大阪の被爆確立は99.3%デス!大阪直上まで、後720秒!」
「大阪焼滅はブラフじゃなかったの!?」
「敵が本気になったデスよ!」 
 しばし、私は言葉を失う。
 一千万人の人々が暮らす大阪にレーザー砲を打ち込むなんて、それこそアニメか漫画だ。
 米国の核ミサイルサイロを消滅させたときに破壊力はTNT爆薬換算で200キロトン。戦術反応兵器とほぼ同等の破壊力をもつ計算になる。
 長い戦場生活のせいだろか、脳理に焼き滅ぼされる大阪の姿が妙にリアルに再現された。性別も、歳も、顔形も、あらゆるパーソナリティが焼滅した黒こげの死体。飴のようにとけたビル、溶けて金属の塊に戻った車。灰が混じった風が吹いて、炭化した死体の腕が折れる乾いた音。
「姉チャマ、急ぐデス!戦略ロケット軍団に緊急動発命令が出されマシタ。反応弾を搭載したIRBMが発射されマス。核戦争デス!世界が・・・おわっちゃうデスよ!」
 恐怖に凍りついた四葉ちゃんの声。これ以上聞こえないように無線を切る。
 これ以上聞いていたら、たぶん恐怖で体が動かなくなるだろう。
 サイドスティックを倒して、イーグルの機首を翻す。
 追ってくる敵機はない。空戦はいつの間にか終わっていた。視界の端に、離脱する敵機の航跡雲が見える。彼らは、世界を滅ぼす悪魔の片棒を担ぐつもりはないらしい。
「今日、歴史は終わるのかな・・・世界が終わる日に、マリア像が血の涙を流すっていうけど、ホントかな?」
 青ざめた顔で衛ちゃんが言った。
 私はそれに答えない。
 ただ、世界が終わるという言葉だけを反芻していた。

『世界の終わり』

 現実感がない。現実の戦争を知悉する故に、ファンタジーになってしまう。
 破壊を想像することは簡単だった。破壊をつくりだすことには長けている。けれど、破滅を想像するのは難しい。
 それはたぶん、破壊は一瞬のことで、破滅が継続するものだからだろう。破滅とは、終りが永遠に続くことを指す。
「世界の終わり・・・か」
 タービンブレードの唸りに掻き消される呟き。言葉にしても、やはり実感の湧かないファンタジーだった。
 視界を、ベトンで塗り固めたメガストラクチャーが埋め尽くしていく。
 まるで墓標だ。巨大な墓石、あまりに巨大すぎて、それだけで視界の全てが埋まってしまう。空と墓標が視界を分ける。
「・・・狂ってるよ。こんなの」
 衛ちゃんの慄然とした呟き。それはきっと正しい。正常な、社会の総意見だ。
 しかし、そうだろうか?と疑問に思う自分がいた。
 世界を破滅させるネメシス。それを造ったのは自分と同じ人間なのだ。その人を狂っていると断定するのは簡単だ。しかし、本人はそれを認めるだろうか。その人はきっと、自分こそが正気なのだと信じて疑わないに違わない。それどころか、狂気に満ちた世界を変革しようと不断の努力を重ねているのかもしれない。
 狂気と正気の境界なんてあやふやなものだ。戦争ならなおさらだ。幾たびの戦空を駆け抜けていたのだ、正気と狂気の混濁など見飽きている。
 正気も狂気も、境界を定めるのは何時だって自分だ。けれど、それを認めるのは何時だって他人なのだ。
 なら、最初から境界など無い。正気と狂気は空っぽの境界で仕切られている。正気と狂気の隔てる壁は社会にはない。
 隔たりをつくるのはあくまで私達なのだ。
 では、私の境界はどこにあるのだろう?
 この災厄の城を作り上げた城主の境界はどこにあるのだろう?
 そして、それは実は溶け合っているんじゃないだろうか。この戦争を終わらせるために大切な人を殺した自分と、何か大切なものを守るために世界の全てを滅ぼそうとする城主。
 それにどれほどの違いがあるというのか。鏡の向こうの自分を見るようなものだ。
 蛸のように四方八方に伸びた放熱溝、その中央には巨大な埋設式のパラボナアンテナが見える。要塞のそこかしこから赤いレーザーが雲を突き破って空に伸びていた。それらが衛星を誘導する大出力牽引レーザーという奴らしい。これを止めなければ、レーザー衛星が世界中を焼き尽くす。
 要塞上空を一度旋回して、放熱溝へと進路を向けた。
 暗い放熱溝が口をあけている。
 対気速度は失速寸前、ふらふらと機体の進路は定まらない。動揺を受けて4発搭載した特注のSDB小口径爆弾の狙いは木の葉のように舞う。
 あと5分で、世界が滅びる。
 私はどうしたいのだろうか?
 このまま世界と一緒に自分も消してしまいたいと思ってしまう自分がいる。お兄様の思い出を抱えて、お兄様のいない世界に生きていくのは、辛すぎた。
 城主の境界に飲み込まれてしまえ、と誰かが囁く。
「私は、どうしたいんだろう・・」
 方向の定まらない呟きをのせて、イーグルは暗い深穴に飛び込んだ。






「B扉に敵襲です!」
 部下の悲鳴と同時に炎がなだれ込んできた。炎にまかれた人型の何かが壁に叩きつけられる。炎がバリケード代わりに使っていたスチール机を焦がすよりも早く、花穂は大きく後退して難を逃れた。
 鼻を突くガソリンの臭い。火炎放射器だ。
 後退した花穂を、重々しい発射音が追う。聞きなれたKPVT機関銃の射撃音だ。花穂は間一髪、廊下の角に飛び込んでやり過ごす。
 跳弾で、先に逃げてきていた部下の一人が首を千切られる。
「ブルシット!」
 悪態をついて腰にストックした最後の手榴弾の安全ピンを外す。
 指示をしていないのに、部下の全員が手榴弾を手にしていた。さすが選抜メンバー。といっても、残りたったの2人だけれども。
「1、2、3、死ね!」
 信管の調停は6秒。
 放物線を書いて飛んだ手榴弾は、目標の足元に落ちる。
 耳を塞いで伏せると同時に、衝撃と爆音が全身を打った。
「死んでよ・・・頼むから死んでよ」
 衝撃が十分に遠ざかってから、角から鏡を突き出す。
 鏡に映るのは手榴弾の上げる白煙と、ガソリンの黒い煙だ。敵の姿は見えない。
 倒したのか?と安堵が肺に染み込んで来て、溜め息となって出てくる。
 けれど煙のカーテンが晴れると、鏡はシャープな輪郭の敵手を映し出した。
 軽い発砲音と共に、鏡が砕け散る。
「・・・・鏡よ鏡を鏡さん。たまには嘘をついてください。お願いします!」
 幸いなことに花穂の悲鳴はKPVTの射撃音に掻き消されて、彼女を尊敬する部下には聞こえなかった。
 銃撃に嵐が見る間に壁を削りとり、跳弾が通路に荒れ狂う。
 花穂たちは慌てて後退、バリケードまで逃げる。
 バリケードには仲間が折り重なって倒れていた。死体を弔う暇さえない。
「不味いな・・・どんどん制御室から遠ざかっていく」
「それどころか、このままじゃ全滅ですよ。サー」
 屈強な体躯をした長偵のベテランが情けない声で言う。 
 まったくだね、と笑ってかえした。笑うしかない。
「それでもなんとかしないとね・・・このままじゃメビウス1が神風アタックをしなくちゃいけなくなる」
 花穂が率いる決死隊の任務は原子炉制御室の制圧だった。
 制御室の制圧し、原子炉直上の搬入扉を開けなければ、突入するメビウス1は脱出できない。
 作戦では、後5分以内に制御室を制圧しなければならないのに、もう3分しかなった。
 13もある隔壁を突破してきたのに、ラスボスが強すぎた。
 今まで助けられてばかりだったから、ようやく恩返しできると思ったのに。
 くそったれ!
「ところで、あれの弱点とか誰かしらない?」
 金属の擦れる音が銃声の途絶えた廊下に響く。
 敵は自立行動が可能な無人兵器。姿は小型のM113といったところで、大きさは軽自動車よりも2回りほど小さい。けれど車体上面にむき出しで重機関銃を装備している。おそらく14.5ミリKPVTだろう、装甲車の正面装甲をさえぶち抜くコワイ奴である。それに火炎放射器や擲弾発射機まで装備してとても近寄れない。敵歩兵のサポートがないのが不幸中の幸いだろう。けれど、一台しとめるのに決死隊の半分が喰われた。さらに一台出てきたら、どうにもならなくなった。
「昔、ドイツのIDEXであれに似たのを見ましたよ。最新型の無人兵器です。たしか拠点防御用だったはず・・・」
 ヒゲもじゃの赤銅の肌をしたアラブ人のような部下は海軍の特務部隊から引き抜いたグラップリングのエキスパートだった。
 もっとも、首も腕もないロボット相手では技を披露する機会はないのだけれども。
「そんなことはどうでもいいよ、弱点とかはないの」
 アサルトライフル以上の武器はもう全て使ってしまっていた。手榴弾も今のでラストだ。
 89式小銃は優秀な突撃小銃だけれども、それは相手が人間である場合だけだ。装甲された無人兵器には分が悪い。
「稼働時間が短いって話です」
「それってどれくらいなの?」
「たしか・・・・6時間」
 問答無用でヘルメット上から殴った。
 殴った手の方が痛い。
「状況は悪いね・・・」
 皮が少しすりむけてしまった手を摩って言う。
 重火器なしであれと殺り合うのはできれば避けたいところだ。パンツァーファウストかRPGが欲しいところである。贅沢を言えば、戦車が欲しい。
「いっそ、降伏でもしますか?」
 叩かれた頭を撫でながら彼は言う。
「そうしたいのは山々だけどね・・・ちょっち、やってみたいことがあるのよ」
 履帯がリノリウムの床を噛む音はいよいよ大きくなってきている。
 それは死神の足音だった。戦う術はもうほとんど残っていない。
 けれど、絶望だけはすまい。
 やっと掴んだ恩返しのチャンスなのだ。例え、鶴のように機織で羽をむしって命を落すことになっても、勝たなければならない。
「で、なにをするんですか?」
 イタズラの計画を練る悪ガキのような顔で、たった2人だけ残った部下は笑った。
「まさか、ダイナマイト腹に巻いて自爆特攻なんてゆるしませんぜ」
「ヤクザ映画の見すぎだよ、それ。まだ死ぬつもりはないよ。それでね・・・」
 計画を打ち明けた瞬間、半信半疑の笑みを2人は浮かべた。
 けれど他に手がないのなら、それが最善。
 花穂はゆっくりと立ち上がり、勝利を掴むために最寄のトイレに足を向けた。






 彼はゆっくりと前進していた。
 もっとも、それは外部からの認識に過ぎない。彼は可能な限り最高の速力で目標に肉薄している。
 拠点防衛用に開発された彼は高速で機動する必要性などなかっただから、これは仕方が無い。開発者であるロシア人は実にロシア人的なリソースの大胆な重点配置を行って、速力ではなく装甲や火力の強化に努力を傾注していた。
 いわば、彼は歩兵を支援する小型のトーチカのようなもので、火炎放射器や擲弾発射機など人間が使うには大きすぎる兵器を自走化した、自走分隊支援火器ともいうべき存在だった。
 故に、支援するべき歩兵のいない彼は本来の想定状況から完全に外れていると言える。それでも、圧倒的な大火力で貧弱な携帯火器しかもたない敵兵を圧倒していた。
 そのことについて彼が思うことは何もない。 
 西側を遥かにリードしているソヴィエトの人工知能技術の粋を詰め込んだ彼でも、残念ながら感情を有するまでには達していなかった。
 彼のような存在が、金星に降り立ったロシアの宇宙飛行士を助ける宇宙探査ロボット並の感情や知性を持つようになるには後半世紀が必要だった。
 けれど、現状ではそれほど問題はない。
 戦闘に感情は不用とはいわないが、必要性は小さなものだったし、自律行動よりも人間による遠隔操作に重点を置いていたから実際には問題なかった。
 だが、今彼は一人だった。指示を与えてくれる人間は一人もない。データーリンクシステムもダウンしてしまって応答がない。無論、そういった情況は設計以前から想定されていた。その場合は最後に入力された命令を続行することになっている。
 与えられた命令はサーチ&デストロイ。
 敵残存戦力は歩兵3。対して残弾はまだ60%以上残っている。撤退の必要はない。
 プログラムに定められたとおりに角を曲がったところで彼の視界は閉ざされた。
 光学的な索敵手段は軒並み壊滅。カメラは白い闇だけを無機質に写すだけとなる。
 それが煙幕手榴弾による欺瞞であることは直に分った。けれど、それほど問題ではなかた。捜索手段は光学よりも対人レーダーや赤外線感知の方が正確である。
 無力化された光学に代わって対人レーダーによる索敵を実施、けれどそれも虚しい。アルミ微粒子を含んだ煙幕は電波を散乱させて電子の魔眼を潰した。
 同時にバリケードにばら撒かれた使い捨てカイロの酸化鉄が高熱を発し、赤外線を放射する。IR画像は高温を示す赤で塗りつぶされ、意味のある情報を外界から引き出せない。
 情報遮断。
 彼は全く無傷だったが、戦力的には死に体だった。人間なら目を潰されたようなものである。
 こんな時に指示をだせる人間が傍にいれば、迷うことなく離脱を指示しただろう。当然とさえ言える一時的な戦術的な後退である。
 彼は焦る必要が全くなかった。ただ待つだけでよかったのである。煙幕はやがて晴れるだろうし、酸化鉄による赤外線欺瞞も単純な波長であるから解析してフィルターをかけてしまえば問題ない。5分もしないうちに隠れ蓑は剥がれる。そうなれば火力の単純な投射で敵戦力は撃破可能である。
 けれど、その場で止まって待つのは自殺行為だった。
 人間の感覚器は5つもあるのだ。視覚を潰されても、残る四感で獲物の道筋を辿ることができる。
 例えば、彼の電源を確保する小型ディーゼルの駆動音だけで標的の所在を見当づけることは容易い。転輪が履帯をまわす金属の軋みだけでも標的が静止しているのか、それとも移動しているのか簡単に分る。狭い通路であるならばなおさらだった。
 待った時間はおよそ3分。
 時間の長短を感覚で捉えることのできない彼にとって器質的には時間だった。
 けれど、それで十全。
 花穂は針に掛かった獲物を手繰りよせるだけだった。
 煙幕が晴れていく。
 彼に装備された8つの高精度カメラは機能を取り戻す。レーダーも赤外線もまだ封じられているが、光学だけで十分だ。
 機能を取り戻したカメラが敵の姿を捉える。
 目の前に敵がいた。
 それはありえない敵だった。自分の同型機、クルップ・ゲルマニア製TYEP7ブロッケン。けれど、銃口をこちらに向けている。14.5ミリKPVTはこちらの装甲を軽々と貫く、RPGに並ぶ第3種高脅威度兵器だ。IFFに応答はない。
 ならば、躊躇する必要はなかった。何故そこに同型機がいるのか?何故裏切ったのか?など人間なら当然の疑問を彼は思いつきもしない。そもそも彼に裏切りの概念など存在しないのだ。あるのは敵か味方か、という単純なアルゴリズムだけだった。
 攻撃、自己保存の為に敵機を破壊する。けれど、トリガーを引く直前で彼は攻撃を中止した。
 発砲する瞬間、敵機の背後に人影を見つけたのだ。
 角を曲がった向こうから、バケツを片手に猛然と駆け抜ける人影がある。
 友軍兵士だろうか?だがIFFに応答はない。この施設にいる友軍兵士は小型発信機を身に着けるよう義務付けられている。識別電波を出していなければ、それは敵として認識される。
 ならば、あれは敵だ。
 今度こそ、14.5ミリ重機関銃が火を噴く。
 敵機と、敵機に向けてバケツを満たす血液増量剤、すなわち生理食塩水をぶちまける敵兵はもろともに弾丸の唸りの前に砕け散った。
 そう、砕けて散ったのだ。血飛沫など飛ばない、ガラスを砕くような音を残して敵は視界から消えた。あまりにも奇妙な死。けれど、彼は人の死についての解釈を与える機能を持たない。
 粉砕された破片が四方に散って、蛍光灯の灯りを受けて輝く。
 輝きが廊下に散らばる直前、断片となったトイレの姿見が映したのは、塩水を浴びてショートする鋼の骸とスタンガンを押し付ける花穂の姿だった。
 




 機械の兵士を打ち倒した勇者を迎えたのは物言わぬ骸の山だった。
 折り重なるように積みあがった死体の山。どの死体も口から体液を垂れ流して死んでいる。手足は痙攣したまま固まったのか、酷く歪に曲がっていた。
 悪臭が酷い。
 腐敗するには早すぎるから、おそらく生前に恐怖で失禁、脱糞したのだろう。屈強な兵士をそれほどまでに恐怖させるものがこの部屋に充満している。
 おそらくC兵器。けれどこの部屋の主はガスマスクをしていないところを見ると洗浄ずみなのだろう。
「おめでとう。よくここまで来た、勇者よ」
 部屋の主は扉を開いた勇者に背を向けたまま言った。
 けれど、そんな冗談を花穂少佐は取り合うつもりなかった。
 冗談に取り合う余裕など、この原子炉制御室までの道行きですべて使い切っていた。
「鈴凛博士ですね。あなたには逮捕状が出ています」
「そんなもの捨ててしまいなさい」
 部屋の主、鈴凛博士は即答した。
 あまりにも早かったので、聞き逃してしまったぐらいだ。
「すいません、もう一度お願いします」
「だから、そんなの捨ててしまいなさい、っていったの」
「正気ですか?」
 ノートパソコンに向かう鈴凛博士の背中に花穂は問いかける。
「さぁ?どう思う?私は正気かな?」
 花穂の問いには答えず、楽しげに博士は返す。
 それに、ありったけの敵意を込めて花穂は断言した。
「あなたは狂っているよ」
 こんな馬鹿げた世界最終兵器を造るなんて正気ではできない。
 自分だって戦争の狂気には肩まで漬かっているけれど、それでも世界を滅ぼす悪魔の片棒担ぎなんてことは絶対にできない。
 世界を滅ぼす悪魔、世界の敵。それが突入前の短いレクチャーの中で抱いた鈴凛博士のイメージだった。
 もちろん、バイアスが掛かっていることは否定しない。
 けれど軍人なんてものはそのぐらいで丁度いいと思っていた。軍人は番犬のようなもので、ただただ主人の命令に従っていればいいのだ。そうすれば褒めてもらえるし、美味しい肉にもありつける。
 しかし、鈴凛博士は狗の理解など遥かに超えた存在だった。
「あらら・・・理解されないって辛いわ」
 大げさに肩を竦めて博士は言う。
 その姿にカチンときた。これで会う前から最悪だった印象はもう修復不可能だ。
「でも、これだけは分ってほしい。私は世界を滅ぼすつもりなんて全くないわ。証拠だってある。突入作戦を立案したのは私だし、今までハッキングでセキュリティーシステムを押し止めてきてあげたのよ。少しは感謝して欲しいわ」
 それは横柄な口調だったけれど、嘘をついているようには見えなかった。
 嘘、偽りを見抜くことには自信がある。フロントコマンダーであれば、いやでも直感は練磨されていく。流動的な戦場の中で、名も知らぬ上官や部下を駆使して生き残るには、
 この人は嫌な奴だけれども、嘘を言って保身を図るような人間ではない。それは直に分った。
 感情は納得しないけれど、直感では好感を持てる人物であることは分るのだ。ただ、個人感情はどこまでも直感とは乖離するけれど。
「じゃあ何故こんな物騒な兵器をつくったの。まさか脅されて、なんて言い訳は言わないでよ」
「それこそ、まさかよ。私は一度だって強制された覚えはないわ。私は自分の意思でこの城を造った。それに、世界を滅ぼそうとするのは逃げてきた軍人達よ。私はただのビルダーに過ぎない」
 明確な断言。凛々しいとさえ思えてしまう。
「答えになってないよ。あなたが終末兵器を造ったということに変わりは無い」
「そのとおり。けどね、創造することは悪ではないと私は信奉しているの。それが終末兵器だろうと、バラの花だろうと同じことよ」
「それは詭弁だ!」
 今まで黙っていた部下の一人が怒声を飛ばす。
「科学ってのは、こんな化け物を造るためにあるのか?違うだろ!」
「それこそ勘違いよ。例えそれがどんな破滅的なものであろうと、創造という行為に善悪はない。そもそも善悪なんてものは結果に過ぎない。どんなものだってそう。包丁は人を殺すことができるけれど、ふぐ刺しをつくりには欠かせないでしょう?すべてのものには二面性があるのよ」
 それは静かな熱弁だった。
 平板な声で、相変わらずこっちには背をむけたままだったけれど、彼女が心底それを信じていることは簡単に分った。
 けれど、納得できるものじゃない。
 それを見透かしたように、博士は言葉を繋ぐ。
「ま、どうしても理解できないなら分らなくてもいいわ。でも、これだけは言っておく。最初にあったのは人間の幸福の追求だった。不可能を可能に、出来ないことを少しでも減らしたかった。出来ない、不可能、なんて言葉で誰かが泣くのがイヤだった。泣き寝入りすることが悔しかった。少しでも楽を、楽しいことを、こんな世界に、こんな世界だから増やしたかった。ネメシスは発電衛星として建造されたものを悪用されただけ。何かをはぐくむことは絶対に悪ではない。科学は人の幸福のためにある。例え、その結果がどうしようもない破滅でも、科学は、創造は悪じゃない」
 けれど、と一旦博士は言葉を切った。
 そして、
「ただ、私には人を幸福にする才能がなかった」
 それこそが至人と呼ばれた天才の最大の不幸であり、失敗であり、欠陥だった。
 沈黙した肩に手を伸ばす。
 寂しげに笑う博士は灰色に煤けて見えた。
「あなたは―――!」
 その時、鼓膜を割るサイレンといっしょに地面が震えた。
 大スクリーンの一角、この要塞のどこかを映すカメラが爆炎を中継してくれていた。
 おそらくそれはメビウス1が突入する放熱溝。炎に包まれた鉄塊には目覚えがある。それはたしか、メビウス1が破壊する予定の巨大ラジエターだ。
「これで・・3・め。予備の・・冷却システ・・が作動するわよ」
 博士の静かな声は暴力的な機械の唸りのまえに、途切れ途切れにしか聞こえない。
 いや、そもそも花穂は聞いてさえいなかった。目前で目覚める巨大なシステムに目を奪われていたのだ。
 管制室のガラスの向こう。先の見えない闇が詰まっていたトンネルの向こうに光が差し込む。それはまるで皆既日食から回復する太陽に見えた。それまで暗がりに隠れていた巨大なファンがゆっくり回転数を上げ、外気を吸い込んでいく。それは暴風を巻き起こし、ガラス窓は痺れるように震える。
 巨大な、想像もつかないような何かが静かに動きだしていた。それにとってほんの小さな一挙動さえも、床を震わせ空気を大きくかき混ぜる。
 もし巨人の目覚めというものがあるとしたら、それはまさしくこれだろう。目には見えない、手にはとれない、人間が作り上げた巨大なメカニズム。最早それは機械を越えた存在となっていた。
「どう、凄いでしょ?」
 子供じみた自慢をする博士。けれど、これはあらゆる意味で圧倒される。
 だけど、圧倒されっぱなしというわけにはいかない。
「博士、原子炉直上の搬入扉を開けてください。そこから戦闘機が脱出しますので」
「分っているわよ・・・この計画を立てたのは私だって言わなかった?」
 どうだ、と博士は胸を張った。けれど、直に咳き込んで体を折る。
「もうここはいいから。早く脱出しなさい。ラジエターの1次冷却水は放射能汚染されてるから、ここの防護では数分も保たないわ」
 確かに、メビウス1の脱出路を確保したら決死隊は離脱することになっていた。高温・高圧の1次冷却水はラジエターが破壊されると高濃度の放射能を含む水蒸気となって拡散する。もしそれに撒かれたら数秒で人体など溶けてしまう。放射線以前に、高温高圧の蒸気はそれ自体で既に十分な殺傷力を持つのだ。
「博士も一緒です」
「それは出来ないわ。万が一メルトダウンが起きたとき、対処できる人間が必要だもの」
 それに、と博士はつけ加えた。
「私はもう助からない。今まで科学者としてずっと生きてきたの。恥をかかせないで」
 初めて博士は花穂に振り向いた。
 白衣は黒ずんだ赤い染みで汚れていた。そして、染みは今もゆっくりと白地を侵食している。
 戦場を渡り歩いてきた兵士の直感が博士の運命を教えてくれた。
 最低でも3発、貫通していないから弾丸は確実に中で跳ね回っている。生きてること自体が既に奇跡のようなものだ。
「おなかの中がもうぐちゃぐちゃでね。ホントは死ぬつもりなんてなかったんだけど、警備の兵に一人往生際の悪い奴がいてさ・・・」
 床に落ちた博士の視線の先には一人の兵士が壮絶な顔をして転がっていた。手にはスライドの下がったトカレフが握れている。
 唇を動かさず、喉を絞るようにして話す声は失血死の特徴だ。血が足りないから、唇は青ざめて動かなくなる。
「扉を出て右へ、突き当たりまで行って。奥から3番目の部屋が倉庫になっているわ。そこに工事用エレベーターがあるの。電源は確保してあるわ。地上に直通だから、地上に出たらなるべく風上へ逃げて」
「あなたはどうなる」
「私は責任を取るだけよ。さぁ、行って。彼女が来るわ。私は奇跡が見たいの。私はついに人を救うことができなかったから、最後に世界を救う奇跡を見るの。次は、そんな風に生きることができるように」
「あなたは酷い人だよ。これじゃ、文句も言えない」
「ごめんなさい。私、勝ち逃げが得意なの」
 博士は笑った。それはまるで白い百合を思わせる、息を呑んでしまうくらいに清らかで穏やかな笑みだった。
 それで終わり。もう語るべき言葉も、時間もない。無言で、足早に制御室を立ち去る。
 部屋を出ると扉は自動で閉まった。扉に挟まれ狭まる無機質な風景、最後に一度だけ振り返った。
 死体の山の向う、使い手をなくした機械達の向う、最後の時を刻む科学者の後姿の向う、赤色のガラス窓のさらに向う、暗いトンネルを越えて向う、明るい光の満ちた世界、それすら超えて遥か遠くを見たような気がした。決してたどり着けない地平線、理想郷。人を幸福にする才能がなかった科学者が夢見た理想。
 ただのトンネルの向うに見える光がどうしてそんな風に見えたのかは分らない。気まぐれの感傷か、それともただの幻か、それでもその理想がとても美しいことだけは分った。
「博士、あなたは少なくとも間違えてはいない」
 遠くに聞きなれたジェットエンジンの爆音を聞いた。それは自由な青空から勝ち鬨のように空気を震わせて音を伝えてくる。
 戦いはもう終わった。
 ここから始まるのは後始末で、そして生還するための戦いだ。
 硬い扉の向うに消えた地平線。もう振り返ることはない。リノリウム張りの床を踏み、駆ける足は力強く、迷いはなかった。






 アフターバーナーを噴かして垂直上昇、軸線をあわせてからスプリットSで高度と速度を稼ぎつつ開いたばかりの搬入扉に機首を向ける。
 搬入扉はまるで異次元に続く陥没のようにぽっかりと口をあけている。口は今までよりのずっと狭い、左右の余裕は3メートルもない。
 額に汗が滲む、咲耶は手の甲で拭った。集中力はとっくの昔に擦り切れて、今は体に染み込んだ精密な脊髄反射だけが頼りだった。
 最後にたよりになるのは、運でもなければ才能でもない。神様など論外だった。純粋な技術、練磨してきた技術だけは決して裏切らない。
 爆弾の残弾は残り1発、ここまでは予定通り。
 後は、突入チームが脱出路を開いてくれることを信じるしかなかった。
 イーグルは既にアプローチに入っている。
 たとえ脱出路が開かれなくても刺し違えてでも最終冷却器を破壊する予定だった。戦闘機一機と世界なら安い交換である。
「メビウス1からスカイクローバーへ、アプローチに入るわ。脱出路の解放を確認したい」
「こちらスカイクローバー、脱出路の解放は確認できないデス。時間が無いデス。そのまま突入してください・・・ごめんなさいデス」
「気にしないで・・私は花穂ちゃんを信じる」
 苦悶に満ちた四葉ちゃんの声だけで、幾らか救われた。
 スロットルを絞って、速度を殺す。機体は失速前の吐き気のするような震動を起こす。突入路は今までよりもずっと狭い。脱出口も無い。今度こそ生きては帰れないだろう。
 だから、死ぬ前にしておくことがある。
 操作パネルに指を走らせて、射出座席の設定をタンデムからシングルに切り替える。機長権限には電子戦士官を緊急離脱させる権限がある。生還が困難な状況下で、生還の余地のある場合は機長が任意でRIOを脱出させることができるのだ。
「何をしているの?」
 けれど、操作パネルを撫でる指は後ろから圧し掛かる重みで止められた。
「衛ちゃん、規定違反よ。ちゃんと座席について」
「イヤだ」
 即答に言葉が詰まる。
 ハーネスを外した衛ちゃんに後ろから抱きしめられていた。回された手から、温かみが伝わってくる。
 寒い冬の夜に飲む熱いコーヒーのように、染み出すような温もりは冷えた背中を暖めてくれる。
 手に篭った力は強くて、ふりほどくことなんて出来そうにない。
「ボク達は最後まで一緒だよ。メビウス1はさくねぇだけじゃない。ボクだってメビウス1なんだから、ボクだけが逃げるなんてことはできない」
「だけど・・・今度こそ生きて帰れないかもしれないのよ」
 こつん、と衛ちゃんのおでこが当たる。
「ボクはさくねぇを信じる。だから、さくねぇも自分を信じてあげて」
 耳元で囁く衛ちゃんの声は力強く、優しかった。
 温もりが、ほのかに甘い香りを残して離れていく。
 カチャリ、とハーネスの留め金がこすれる音がした。今なら衛ちゃんだけでも安全に脱出できる。
 だけど、それは衛ちゃんの信頼を裏切ることだった。
 操作パネルの射出座席設定はキャンセル。全てを白紙に戻す。
 突入口は目前だった。
「私は、私を信じる」
 それはこの世で最も困難なことの一つではないだろか?
 それに比べるなら、トンネル潜りなどなんてことのないように思えてきた。
 突入。
 青空が消え、有限の暗闇が取って代わる。
 手を伸ばせば届きそうになるほどの天井、左右の空冷ファン、衝突防止センサーは悲鳴を上げ続ける。それは拷問の叫びに似て、神経を恐ろしい勢いで摩滅させる。
 それは唐突に途切れた。
 センサーカット、衛ちゃんの機転が爪先ほどの足場を残してくれた。
 それだけを頼りに、光の射さなくなった闇の中を飛び続ける。基準になるものなんてなにもない。
 上下も、左右も、機速も、トリムも、何も読み取れない闇。自分の手足さえ、そこにあるのか不確か、体が透明になったようで、自分が生きているのか死んでいるのかも分らない。
 実は自分はもう死んでいて、暗い闇の中へ堕ちて行く最中なのではないかと思うほど濃い闇。灯りなんて一つもない。ただ心臓の音だけがやけに煩く耳に響く。だから自分の体がそこにあると分る。まだ生きていると分るのだ。
 目を開けていても、光の無い世界では目を瞑っているのと何も変わりない。水晶体は何一つ実像を結ばない、ただ闇だけが目に流れこんでくる。
 けれど、翼を過ぎる風だけを感じてイーグルは飛ぶ。
 触れたが最後、時速500キロを超える20トンの巨体は自重と自速だけで破壊されてしまう。
 けれど、奇跡のような精密さで鷲は障害をかわしていく。
 冷却パイプの出っ張りを、主翼が感じる気流の乱れとして感じ取り、回避する。回避した分だけ機体はバランスを失う。けれど、それで正解。
 右に傾いた機体はそのまま地を滑るように障害をすり抜ける。すり抜けた巨大空冷ファンのブレードが右主翼に暴風を叩きつける。イーグルはそれを用いて傾きすぎたバランスを修正、平衡へ復帰する。
 だが今度は揚力が大きく。機体は浮揚して、双尾翼がコンクリートと擦れ合って火花を散らす。
 しかし、それで二つの空冷ファンを飛び越えることができた。
 すぐさまトリムを機首にずらして、破断寸前の尾翼を救う。同時にラダーを踏み込んでイーグルを横滑りさせた。持ち上がった機首に阻まれて機体表面の気流コンディションは極度に悪化する。揚力が失われ失速する。
 けれど、ほんの僅か右に滑ったイーグルは完全遊動のエレベーターに空冷ファンの暴風を浴びせて揚力を稼ぎ出す。
 機体は持ちなおす。イーグルはまだ飛べる。
 神業に達した操縦技術はタイトロープなアクションを繰り返して、長い空洞を飛びきった。弱い光が見えて、視界が開ける。
 出撃前に穴があくほど繰り返して見た最後の標的を視界に捉えた。
 長かった戦いがこれで終わる。
 数え切れないほどの命と街を炎に沈めた戦いが遂に終わる。私の戦いも、これで終わる。戦争を終わらせるために、数え切れないほどの人を殺してきた。お兄様さえ、殺した。最初はお兄様のためと自分に言い聞かせて、最後にたくさんの命を救うためと自分に言い聞かせて、目の前の敵だけを打ち倒してきた。
 その果てに得た結果が今、目前にある。
 けれど、喜ぶべき時を前にして感情が動くことはない。
 何も感じない。楽しいとも、嬉しいとも思えない。
 目前に広がる光景はまるで荒野だ。果てしない流血と最大の裏切りを代償に得た何も無い乾いた荒野。
 それが英雄メビウス1のたどり着いた終着駅だ。
 
 ―――あぁ、こんなのダメだ・・・
 
 私は気付いてしまった。
 こんなもの、ちっとも嬉しくない。私は、私が最初に望んだモノを何一つ得られなかったではないか。一番初めに望んだ思い切り捨てて、平和なんていう他人の望みを求めてしまった。
 平和なんていらない。私はお兄様さえいてくれればそれでよかった。それが最初にあった絶対の理由だったはずなのに、私はそれを裏切った。
 そして、辿りついたのは何も無い荒野だ。ここには私の求めた望みは何も無い。
 私は、私を信じよう。けれど、それはメビウス1としての自分だけだ。
 私は、咲耶を信じられない。私は、咲耶を許せない。私は、お兄様を殺してしまった咲耶を受け入れられない。
 だから、私を消してしまいたいと思ったのだ。
 自分のことなのに、今更のように気付く。
 お兄様がいない世界を生きることが辛い。けれどそれ以上に、私はお兄様がいない世界を選んだ咲耶が許せない。
 けれど、それでも、一度願ってしまった他人の望みを叶えよう。
 兵装投下スイッチを押す。かすかな震動とトリムバランスの変化で最後の1弾が機体を離れたことが分る。
 機首上げ、スロットルを開く。
 脱出口は欠けていく月のように、青空を残してゆっくりと左右を引き下がる。
 空へと駆け上る刹那、冷却器の向うに人の姿を見た。
 白衣を着たその人はとても満足げに、嬉しそうに笑っていた。
 その目が、
『あなたの勝ちだ』
 と祝福している。
 けれど、咲耶は負けたのだ。英雄は勝利して平和を得た。けれど、そのために咲耶は大切な人を裏切った。そして取り返しの付かない間違いを犯した。
 どうしてそれが勝利と言えるのか?咲耶は一番大切なものを裏切ったのだ。その代償に得たのは英雄の称号と平和。けれど、それは私の求めたものではなかった。
 狭い視界に広がるのは青空。
 太陽がまっすぐに私を光で打ち据える。
 太陽も、青空も、人の思いなど気にもせず、今日もそこにあった。
 なのに、一番大好きな人はもういない。
 この青空の下から、永遠に失われてしまったのだ。
 消える飛行機雲を追いかけるように、大切な人を追い続けた少女は、最後に掴みかけた飛行雲を見送った。
 あの夏の日から、少女はずっと変わらずにいようと思っていた。
 一途にあの人を想い続けると、立てた誓いの輝きは美しかった。けれど、私はそれを自分で捨ててしまった。
 何もかも変わっていく。この空の青さだって、夕暮れ時には失われる。
 けれど、ずっと変わらないものだってあるはずだ。あの夏の別れから、ずっと育ててきた想いは永遠になれたかもしれない。
 私がそれを裏切らなければ。
 スロットルは全開、タービンブレードの唸りは高らかに、イーグルは爆音を残して地の底から駆け上がる。
 私は祈るように瞼を閉じた。それだけで世界は闇の底に消える。
 けれど、鼓動はまた永遠を求めて動きだす。



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