あなたが到達したエンディングは『ルート1−2 グッドエンディング』(笑)よ。 と、いうわけで、これにて本当にACSは完結です。 グッドエンディングはノーマルエンドがエースコンバットよりだったのに対して、シスタープリンセス寄りのエンディングという位置づけですね。 いわゆる「実は死んでなかった」というどっかの魁!○塾みたいな反則技を使って、妹が大好きなお兄さんに「俺の千影を殺しやがって、ゆるせん!」とか言われないようにするためのエンドなのです。 もちろん、今の冗談ですよ(笑 半年を越える連載を最後まで続けることができたのは掲示板の常連さんやたくさんの名無しさんの声援があったからこそであり、この場を借りて厚くお礼申し上げます。 ACSがあなたの生活にほんの少しの楽しみを与えることができたのなら、非常に幸いです。 さて、では咲耶以外のその後って奴を少し書いてみましょうか? 結構こういう後日談ってのが作者は好きなのです。 JOJOの第2部完の後の「その後〜」っいうのを全部空で言えるぐらいに(笑 個人的には、スターリングラードで死んだシュトロハイムが活躍する仮想戦記とか書いてみたいと思っていたりします。もちろん「ドイツの科学が世界1であることを、奴らに教育してやるゥゥゥゥゥゥ――――――!」(爆 まずは日本国から 戦争は西日本の勝利によっておわるわけですが、当然ですが東ドイツのように東日本は借金だらけで、経済も滅茶苦茶です。 これを併合したことによって、既に戦争で屋台骨が傾いでいた西日本は確実に共倒れでしょう。戦争の死者も壊滅的な食料自給率を考えると、餓死すらあったのではないか?と思えてしましいます。とりあえず、高齢化も進んでいることを考えると死者数は1000万人単位になるでしょう、国土もせまく現代戦であること、さらにイデオロギーを理由とした虐殺、略奪など考えたくもないことになっているでしょうね・・・ というわけで、戦後日本は大量移民を受け入れ、WW2後のイギリスのような国家になるんじゃないかなと。 さらに戦後の日本軍 戦後復興など、経済復興のために大軍縮が行われ、多くの軍人が職を失うことになるが、冷戦のおかげで、実際には直に復職することができた。 とはいえ、確実に縮んだ軍に残ることは容易ではない。 興味深いのは、接収された東日本軍装備のその後で、東日本の主要産業である軍需産業を維持するために、東側の装備が戦後大量に採用されている。 BMP−3、BTR−60など大量の装甲車や対空戦車など、西側規格に改良された兵器は多い。戦車さえもT−80Jなどが長く量的な主力を維持したほである。 艦艇はさずがにロシア式設計の欠陥があり、敬遠されたが、使われなかった沿岸SAMサイトが戦後接収され、一部国防海軍艦艇にも装備された。また修理中だった赤衛艦隊の空母「赤星」が「赤城」と名を代えて、再就役している。また艦載機はF−14の寿命等があり、代替機として、接収されたフランカーシリーズが改造され使用されている。 空軍においては、ヘリ、輸送機などで、多くの東側装備が運用され、流石に再生産はされなかったものの、Mig29シリーズ、Su−27系の機体が数多く運用された。(電子装備などは保管状態に戻した中古のF−16、F−15、戦時中に輸入された旧式機から取り外したものを充てていたらしい) 最後のメビウス1の搭乗機になったシルフィードだが、財政難から採用は遅れ、可変翼が思った以上に効果的ではないことが後にあきらかとなった。その為、通常の後退翼機に改修されたが、可変機構が無い分軽く、機動性は著しく向上したという。採用後の配備ペースは早く、国防空軍の主力戦闘機として君臨する。 ではキャラクターに移って、まずは一番書き易かった春歌から 春歌(戦車将校) 戦争終結後、捕虜生活を経てドイツへ帰国。当然敗戦の将に居場所はなく、予備役に編入されるものの、暇な時間を使って「菊と戦車」を著す。同書は高地形障害下での現代戦車戦のバイブル的な存在となり、世界各国の士官学校において教科書として使われるなど、数々の名著を発表。充実した執筆生活を送る。代表作は「田んぼの中の虎」「遠すぎた金沢」「ラスト・オブ・アイアンクロス」など多数 可憐(戦艦『解放』艦長) 戦後は『解放の会』を設立、会長となる。主に戦後職を失った解放乗組員の職業斡旋、一時金の給付などに奔走し、最終的には赤衛艦隊の失職兵まで面倒を見ることになる。また赤衛艦隊将兵の名誉回復運動にもたずさわり、戦死した東日本将兵の靖国神社での慰霊問題などで全面的な論争を戦い抜いた。 また、戦後明らかになった東日本クーデター計画の中心人物として、世界中から平和の使者として認知され、数々の講演を行うが、その報酬は戦死した将兵の遺族に寄付するなど、最後まで東日本軍人の誇りを貫き通した。 彼女の葬儀に詰め寄せた参列者は10万人を越え、葬儀場上空を海軍機が弔問飛行した。 鞠絵(レジスタンスリーダー) 大阪解放の原動力となった演説など、高い知名度を生かして政界に進出する。 僅か35歳の若さで内閣総理大臣に就任し、元東日本国民への差別問題、移民差別問題の解決に奔走し、深刻な経済不況、破綻した戦後財政の建て直しなど数々の難問に精力的に取り組む。傾斜生産方式の採用、豊富な異民族管理マニュアルを持つ旧東日本内務官僚の大量抜擢、宇宙開発5ヵ年計画などなど、停滞していた戦後日本を立て直すことに成功する。 またソヴィエトとの緊張緩和、節度ある融和と対立などなど。外交でも活躍した。 彼女の在任中に行われた宇宙産業への予算重点配置はその後も継承され、その努力はストーンヘンジ改造マスドライバー、大出力発電衛星によるエネルギー完全自給、宇宙産業による日本経済の大躍進など、戦後日本の発展を約束するものだった。 花穂(歩兵中隊指揮官) 数々の激戦を生き残った名指揮官であるが、上官に反抗的なところがあり、戦後は職を失いかける。しかし、ネメシス突入作戦を成功させた功もあり、軍に残ることができた。 戦後は主に特殊部隊指揮官としての才能を発揮、共産テロリストによる千歳空港占拠事件においてはC−1による強行着陸作戦を指揮、最小の犠牲で事件を解決する。また黒部ダム爆破テロを阻止するなど、数々の”冒険”は日本特殊部隊史を語る上では欠かせない。 白雪(特殊工作員) 戦後はSRIにおいて、数々の特殊情報作戦に参加、『SRIで最も危険な女』という名誉な?称号を得る。 また、鞠絵に続いて政界入りを嘱望されるが、これを辞退。SRIも辞職し、喫茶バー『スカイキッズ』のマスターになる。 近くの空軍基地の若い衆からは『あねさん』と呼ばれているらしい。 四葉(スカイクローバー) 戦後、英国に戻る。それなりに真面目に勤務に努め、何故か最終的に空軍大将にまで出世する。しかし、本人は将校としての威厳や能力が不足しているのではないか?と常に気にしていたらしく、戸惑ったような顔をすることが多かったという。しかし、よく軍務を果たし冷戦下のRAFを支えた。 なお彼女が参謀長になって以来、RAFの食事には必ずドーナツが付くようになったという。 亞里亞(パイロット) 戦後は軍を辞め、社交界からも姿を消すなど、病死説が囁かれたが、航空小説家として世界の文壇にセンセーショナルを巻き起こすことになる。 処女作「黎明飛行」は現代航空文学の最高傑作と称され、サンテグジュペリの後継者と呼ばれる。 メビウス1との友情は終生続き、メビウス1に宛てた手紙が死後公開され、これも手紙文学の傑作として広く親しまれている。 雛子(たぶん語り部) 高校卒業後、周囲の反対を押し切って、空軍に志願する。 過酷な競争を勝ち抜き、空軍士官学校を優秀な成績で卒業。元気の良いオフィサーパイロットして内戦のアメリカに派遣される。2年の派遣期間の間に、アメリカ共産党軍機を12機撃墜し、続けて中東動乱でも、イラク軍機を8機撃墜する。 帰国後は、その能力が認められ、国防省での栄達の道を用意されるが、あくまで戦闘機パイロットに拘った。そんな彼女が退役まで所属したのは空軍最強と名高い第158戦術戦闘航空団、日本で唯一Su−35を装備した”黄色中隊”の伝統を引き継ぐアグレッサー部隊だった。 彼女のコールサインは、黄色の13。 これは黄色中隊の長としての名誉称号であり、メビウス1とならぶ最強を現す称号として国防空軍パイロットの憧れの的となる。 とはまあ、妄想を書き連ねてみました。 これにて、本当にACSはおしまいです。今までお付き合いありがとうございました。 就職活動など、忙しいので今後の更新についてはしばらく難しいですが、気長にお待ちください。暇になったらまたいろいろ書いていこうと思います。 では、また会う日まで >新作「For Air LOVE」を読んでみる >帰る |
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